いろんな国の歌謡や音楽を知るついでに、その国の言葉をちょっと勉強する、
というのが私のコーショーなシュミのようになっている。
10年くらい前にはロシア語に取り組んだ。
取り組んだが、落伍した。
名詞の格変化だったかが、30以上有った。
ロシア人だって間違うようなものを憶える煩わしさに挫折した。
今なら、そんなもんブッ飛ばしてさらりと全体を学べば良かったんじゃないか、と思うが。
あの美しい響きの言葉にもっと馴染んでおきたかった。
あと、スラブ語派の言語をひとつ知っておきたかった。
親しみのある単語と言えば、食物の名前だ。
「ピロシキ」
これ、実は複数形。
一個だけ食べたなら「ピロショーク食べた」と言うのが正確だ。
意外なのは、鮭の卵の「イクラ」はロシア語ということだ。
軍艦巻の種を外来語で呼んでいたとは。
これも、複数形。
一個ずつつまんで食べるなら、「イコをちまちま食べたい」と言うのが正確だ。
私は、物を包むための大きな布を一枚、というのは正確に
「フロショーク」と呼んでいる。これは冗談。
老母は「ボルシチ」にちょいと具を多めに入れて
「ボルハチ」と呼んでいる。これも冗談。
複数形と単数形の違いが無い物もある。
英語だと羊は群れでいるから数えられないので、複数でもsheepと言う。
ロシア語では鶏のкурицаに複数形が無い。
それは、ロシアで永く飼育されてきた鶏の品種の習性に由来する。
品種によるためというよりは、土地柄かもしれない。
と言うのも、この鶏は何羽もの群れで行動するのだ。
そんなの当たり前、と思うかもしれない。
ちょっと違う。
日本でも冬の夜などは鶏は何羽かが集まって寄り添って眠る。
ロシアでは、それが冬の夜に限らない、というわけだ。
冬だろうが夏だろうが夜だろうが昼だろうが、群れで行動する。
単位も数羽、なんてのじゃなくて、一つの群れが数百羽という単位らしい。
何十kmも先まで見渡せる丘陵地帯での鶏の放牧場は、
まるで地面の苔が自ら移動しているかのように見えるそうだ。
一度訪れてこの目で見たいと思っている。
※
写真は日本も日本、ウチの近所である。
ロシアの光景を想像するには到底及ばない。
が、掲示板にある地区名が今回の話につながるではないか。
※
毎月一日は法螺話を書いています。
というのが私のコーショーなシュミのようになっている。
10年くらい前にはロシア語に取り組んだ。
取り組んだが、落伍した。
名詞の格変化だったかが、30以上有った。
ロシア人だって間違うようなものを憶える煩わしさに挫折した。
今なら、そんなもんブッ飛ばしてさらりと全体を学べば良かったんじゃないか、と思うが。
あの美しい響きの言葉にもっと馴染んでおきたかった。
あと、スラブ語派の言語をひとつ知っておきたかった。
親しみのある単語と言えば、食物の名前だ。
「ピロシキ」
これ、実は複数形。
一個だけ食べたなら「ピロショーク食べた」と言うのが正確だ。
意外なのは、鮭の卵の「イクラ」はロシア語ということだ。
軍艦巻の種を外来語で呼んでいたとは。
これも、複数形。
一個ずつつまんで食べるなら、「イコをちまちま食べたい」と言うのが正確だ。
私は、物を包むための大きな布を一枚、というのは正確に
「フロショーク」と呼んでいる。これは冗談。
老母は「ボルシチ」にちょいと具を多めに入れて
「ボルハチ」と呼んでいる。これも冗談。
複数形と単数形の違いが無い物もある。
英語だと羊は群れでいるから数えられないので、複数でもsheepと言う。
ロシア語では鶏のкурицаに複数形が無い。
それは、ロシアで永く飼育されてきた鶏の品種の習性に由来する。
品種によるためというよりは、土地柄かもしれない。
と言うのも、この鶏は何羽もの群れで行動するのだ。
そんなの当たり前、と思うかもしれない。
ちょっと違う。
日本でも冬の夜などは鶏は何羽かが集まって寄り添って眠る。
ロシアでは、それが冬の夜に限らない、というわけだ。
冬だろうが夏だろうが夜だろうが昼だろうが、群れで行動する。
単位も数羽、なんてのじゃなくて、一つの群れが数百羽という単位らしい。
何十kmも先まで見渡せる丘陵地帯での鶏の放牧場は、
まるで地面の苔が自ら移動しているかのように見えるそうだ。
一度訪れてこの目で見たいと思っている。
※
写真は日本も日本、ウチの近所である。
ロシアの光景を想像するには到底及ばない。
が、掲示板にある地区名が今回の話につながるではないか。
※
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