犬小屋:す~さんの無祿(ブログ)

ゲゲゲの調布発信
犬のこと、人の心身のこと、音楽や自作のいろいろなものについて

見えにくい病

2014年11月27日 | 椰子の実の中
統合失調症の友人が、かなり回復し、結婚した。
結婚に関して偏屈な思いのある私だが、20年ぶりにひとさまの結婚を祝った。
http://blog.goo.ne.jp/su-san43/e/24b71a7efa936dd727d698d693795098



彼女を含め、患者は、自分が統合失調症であることを
誰にでもオープンにできているわけではない現実がある。

病気の全体像は知られていないので、そこで、誤解や思い込みなどが
生じているからだ。

分裂病という以前の名称や、独り言や突飛な行動などの症状の外見から、
「怖い」というイメージを持っている人も多い。

しかし、実際には、昨日も書いたとおり、症状の質や種類や強さは、
その人によって様々である。

薬によるコントロールもかなり可能だ。
特に、数年前に、さきに書いた動的・静的の両方の症状に効く新薬が認可され、
統合失調症の薬による治療は大きく変化した。

以前からの向精神薬も使われている。
薬剤によって症状を抑えることによって、うまく社会生活を営むこともできる。

統計的には、人口の1%が罹患しているということだ。
けっして珍しいものではない。
だから、知らないだけで、身近に統合失調症の患者がいることは、ありえる。
もし、そのことを「怖い」と感じるなら、それはただ、
病気や患者について知らないことからくる、差別的感情に過ぎない。

知ってしまえば、怖いものではない。

電車やバスや道で、大声で独り言を言っている人がいる。
でも、幻聴がきこえていて、それがどれだけ、現実の声と区別が付かないものか
知っていれば、奇妙さは薄れるのではないか?

急に暴れだす人がいる。
けれど、誰だって、何もしていないのに警察官に腕をつかまれたら、
怖くて逃げ出したくなるのではないか?

こういった症状は、目に付きやすいので、
こういうものが統合失調症であり、統合失調症の人はみんなこうだと
思われがちだ。

しかし、思い出していただきたいのは、昨日書いたように、
鬱病と誤診されるような症状も多く強く出ることだ。
こういう時は、外に出られない。
そんな気力は無くなる。

外に出ないのだから、そういう状態であることは、家族しか知り得ない。
だから、こういった症状が統合失調症のものであることは、
ひろく知られにくい。
しかし、こういった静的な症状も深刻だし、
外へ出られないので、治療を受けにくい。



実態が知られにくい特性がある。
一部の特徴だけが知られ、全てがそのようだと思われがち。
知らないから、「怖い」「気持ち悪い」。

これは、差別の構造そのものだ。

私自身は、'同性愛者'として生きてきて、(自覚は同性愛ではないが)
まさに、この構造の中にいた。

そういった意味での共感も、この友人の結婚を祝おうという気になった
理由のひとつとして、あると思う。



人口に対して1%の患者がいて、患者に少なくとも一人の家族がいるとして、
残りの98%が、自分にとって統合失調症は無関係なことだから、
病気の実態も、当事者の生活や、制度や治療の実際についても、
何も知る必要など無い、と考えるとしたら、
社会は見放された少数者ばかりになってしまう。

なぜなら、統合失調症でない98%の人だって、何かしらの少数者ではあるからだ。
身体障がい、他の精神障がい、たくさんの難病、
また、子育て中のひと、介護、独居老人、低所得者、外国籍、
問題は様々であり、何にも負っていない人など、ありえないはずだ。

例えば私は統合失調症ではないが性的マイノリティである。
老母は統合失調症でも性的マイノリティでもないが、難病の患者であり、要介護1だ。

もし、自分が抱える問題以外には興味も無ければ責任も無いと思うのであれば、
そんな人は社会的に保障を得る権利も無い、と私は言いたい。



ちょいと話がずれたが、こういった状況の中、私の友人自身が
体験した症状について、明日は書きたい。


コメントを投稿