犬小屋:す~さんの無祿(ブログ)

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禅の美術 国立博物館

2016年11月19日 | よみものみもの
上野の国立博物館に行ってきた。

臨済禅師1150年・白隠禅師250年遠諱記念特別展ということだ。
簡単に言えば、エライお坊さんが死んでからキリのいい年数だから
パーッと派手にやろう、ってわけだ。

たしかに派手だった。
著名な大作がわんさか集まっていた。

先日、出光美術館に仙崖コレクションを見に行った時もそうだったが、
客の年齢層は高い。
47歳の私は、フロアで一番の若輩ぴっちぴちといったところになる。
自分が一番の若者という立場になることは、
ちっとも若やいだ気分にならないわね。どうしたことかしら。

会場内のソファは休憩する人で一杯だ。
そのへんはご覚悟の上お出かけなさいませ。

しかし、これだけの物を一遍に見られる機会もなかなか無いだろうという内容で、
見ごたえあった。

団扇の面に、米芾の書で達磨大師の言葉を表した。
http://blog.goo.ne.jp/su-san43/e/fe9eb38fb5dabee9c2acd4c1e3f8b826
http://blog.goo.ne.jp/su-san43/e/65c9b169e4b558dcc816b5232986af58

米芾は宋の時代の人だが、この頃、禅が流行っていた。
蘇軾も黄庭堅も、禅をやっていた。
米芾は禅なんかやらなかったようだ。たしかに、似合わない。

ちょいと100年単位で遅れて、日本にも禅ブームがやってくる。
エライ坊さんの肖像画や彫刻、書斎と風景の水墨画に漢詩を添えて、
などなど、とにかく真似っこしまくる。

しかし、絵を見比べると、どうも中国の絵画に習いきれていない。
エライ坊さんの顔や、衣服のひだや、椅子の足など、
立体感がまるで違う。
日本の画のレベルが低いとかいうことではなく、物の見方や表現の基盤が違うのか、
というあたりで今のところは理解している。

彫刻はすばらしいと思ったが、よく考えると、中国製の仏像や頂相(エライ坊さんの彫像)を
見ていない。
比べてみたい。

さて、国立博物館は建物がひとつだけじゃない。
東洋館の方では、篆刻作家の展覧会をやっている。
これも行かねば。

つづく

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