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自動車運転免許証とジェンダー

2019年07月18日 | のりもの
[あらまし] 私は、生まれた時の性別は女性。恋愛対象は女性。
性別の自己認識は、女性ではなく、男性でもない。


写真付きの身分証明書で性別欄の無いもの
というと、自動車運転免許証くらいだ。



健康保険証には写真は無いが性別欄が有る。

見た目、性別がはっきりしない人(Xジェンダー)とか、
見た目の性別と生まれた時の性別が異なる人だと、
身分証に性別欄が有ると、ひどく不便をする。

たとえば生まれつき女性で、でもそれに違和感が有る人が、
ホルモン治療で(あるいはただ服装や髪型などで)男性的な見た目になる。
そして、何かの時に医療を受けるということになる。
病気であったり、健康診断であったり。
その際に、健康保険証を提示する。
そこに性別欄が有る。
トランスセクシュアルという概念を持たない人がその保険証を見れば、
最悪の場合、他人の保険証を使っているという疑いがかけられる。



パスポートには写真が有って性別が有る。

トランスセクシュアルという概念を持たない人がそのパスポートを見れば、
これまた最悪の場合、パスポート偽造という疑いさえかけられる。



現在の日本で戸籍の性別を変更するには、いくつかの要件が法律で定められている。
性別二元論に基いた法律なので、今後、いろいろな点で見直しが必要だと思う。
この辺りについては、あらためてねちねち書くかもしれない。

ざっとまとめると、戸籍の性別を変更するためには、
子どもがいなくって、結婚していなくって、内性器を除去していなきゃいけない。
乱暴に言えば、簡単には変更できない。

また、性別には男か女しか無い。
いやそりゃそうだろ、と思うかもしれない。
けれど、性別を決定できない人は、けっこういる。
この辺りについては、以前も書いたことが有る。
「トランスジェンダー」「Xジェンダー」「性分化疾患」などのキーワードで検索して、
調べてみてください。

今言いたいのは、自動車運転免許証って、
性別の曖昧なところにいる人にとって、なかなか都合の良い身分証なんだよ、ということ。

「写真付き」の身分証を求められることが有る。
その時に、見た目と食い違う性別の記載が無ければ、すんなりと受け入れられやすい。
写真付きで性別欄の無い自動車運転免許証は、
トランスジェンダーにとって他の身分証よりは使いやすい身分証だと言える。



私は性別をトランスするつもりは無い。
(女性と分類されたくないけれど、男性と分類されたくもない。)
けれど、見た目はいわゆる女性らしい女性ではない。
非常に曖昧なところで、私をどう見てどの性別に振り分けるかは、
まったく、見る人の認識にゆだねられる。

私を「おっさん」と見る人もいれば、
すんなりと「女性」と見る人もいる。
私が自分の性別をどう自覚しているかということは、相手の認識に何も影響できないものだ。
性別は男か女のどちらかである、という二元論を常識として持っていれば、
自動的にどちらかに分類しようとする。
分類しようとすることも、分類先をどちらにするかも、その人の価値観による。



そういう一人ひとりの価値観の寄せ集めが社会通念だと思う。
私は、その社会通念を変えたいと思っている。
社会通念を変えるためには、つまり、一人ひとりの価値観を変えていくことが必要だと考えている。

法律を変える必要も有る。
法律を変えるには、議会がどういう傾向かということが重要だ。
どういう人が議員になるかは、認識ある議員を認識ある国民が選ぶ必要が有る。
法律を変えるにも、一人ひとりの価値観を変えることが基盤になる。

とほほに暮れる作業だなあ。
一人でも多くの人にブログを読んでもらいたい、と思う時がある。
じわじわと起こる革命ってものも、有るべし。



次回予告
「運転免許証更新時講習とジェンダー」


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