今日の写真はすべてSX20ISでの写真で~す。
平穏な 暮らしを求め あくせくと (風)
人間って平和を求めるのに戦うのですね、、、、
私の生活ってほんとうにつましい。
家はぼろぼろのちっちゃな古屋。大森林の小さな小屋。。。それでも当人は気に入っていて、もっと小さくってもよかったかななんて思ったりしている。
大きければ、掃除も面倒だし、照明の電気代もかかっちゃうよね~なんてのは別にしてもね。
照明だって、明かりを点けっぱなしで寝ちゃったなんて書いていたリビング。あそこの天井ライトは20Wを5本点けたものが2台と20W3個のペンダントライトを全部点けて、それでもなんか暗いよね~だから。
蛍光灯のせいじゃないと思うのですけどね。
歳をとって目が悪くなってきたからでしょうか。
衣もつましい。
とにかく捨てない。古くなればなるほど、肌当たりがよくなったって喜んでいる人。
たんすの中は10年以上着ているものが多いのですよ。
大安売り専門。T-シャツなんかほとんどがもらい物。
散歩着なんか、ホームレスの人の方がもっといいものを着ているなんて笑われちゃって、改めてみてみたら、ほんとうにそうだったし。。。
それでも、仕事をしているときには多少は気にしていたんですよ。
なんせ、毎夜酒池肉林にご接待を受けていたほうですから。
えっ、接待するほうが着る物にも気を使う?
それってとんでもない思い違いですよ。
接待するほうは、適当に着ていればいいけど、される側は、接待するほうが、こちらをみて、「やぁやぁ、この人を接待できて本当によかった」って思わせるほどのセンスを持っていなきゃ。
身に着けているものってその人の人格の表れなんて、(私は思いませんけど)相手は思っているでしょうからね。
かっこだけじゃ駄目。はやりでも駄目、センスなんです。
だから、接待されるのも面倒なんですよ。
でもそれも、今やもっぱらジャージ。
これじゃいかんと、人に会うときなんかには、気取っておしゃれをしなきゃなんて思っても、せいぜいくたびれたチノパンくらいが関の山。
たんすに何もないわけじゃないんです。
昔は実家に帰ると、親が私の姿を見て目をむいて、即テーラーへ引っ張っていかれて、一着30万も40万もするようなのを何着も作ってもらったり。
でもそれって、一回も着ないで、どこかにしまいっぱなし。
東京に出てきた母親が嘆いていました。
「あんたね~ 歳をとると体系が変わって一度も手を通さないうちに着れなくなるよ、、、」
ご意見ご尤も、重々承知しております。
特に、今や、頭だけの理解ではなく、日夜鏡を見ては、白髪を嘆くんじゃなくって、その豊かになった下腹部を見ながら、思い知らされておりますけど、でも「ボクにはもったいない」のですよ。
あ~たね、家で作ってもらったY-シャツのお金で、今着ているY-シャツ20枚買えるんだから、、、なんてことを言おうものなら、即、雷が落ちますから。桑原桑原。
以前にも書いていましたけど、九州の家の常で、家もどこかで道真さんと結びついているんですね、、、
だからたぶん雷は落ちないとはおもうのですけど。
でも、私が思うに、それは道真さんのおかげではなくって、私がひたすら、頭を低くしているから、、、
雷が鳴ったら、金属のもの、、、ほれ、その指輪も、ネックレスも、放り出して、高いもののそばには近づかないで、、、、目をつぶって、ひたすら頭を低くしておくんですよ。
変? なにをいうのですか、年寄りの言うことには、ちゃんと理由があるのですから。
だって、今や地金の値段がまた上がりだしたって言うじゃないですか、、、ねぇ。
「この金鎖、24金みたいだけど、今、いくらで買ってくれる」なんてことはやりませんって。
またまた脱線しましたけど、私のしょぼふぁ(しょぼいふぁっしょんね。カタカナじゃないところが私のセンスよ)
多摩川のお犬さまたちのファッション。あれって、私の着ているもの全部を合わせてもまだ私のほうが安いな、、、
「あんたね~ いくら誰からも気にされていないから、しかたなく世捨て人を気取っているにしても、もう少し、着る物にも気をつけたら~」なんて芝ちゃんにも言われそう。
岬の住人さん。同い年なんですけどね~
歳をとったら、美しく、活発に、なんてのたまって、それで六本木ヒルズなんかで講師をなさったり、、、
ご案内を読みながら、多少は、うらやましい(特にターゲット層が、若い女性ってとこが、、、いえ、そんな若い人たちに発破をかけられるそのエネルギーということにしておきましょうね、いろいろとさしさわりがあるかもしれないから)とは思いながらも、ボクちゃんには無理だな。
まあ、人さまざまですよね、、、
住、衣ときて、今度は食。
なに、レシピなんぞを書いたりしているから、グルメなんでしょうってですか?
とんでもない、ご期待に背くようで悪いのですけど、仕方なく食べているくらいなもんなんです。
昨日も、夜になって、何か食べに行こうかななんて思いながら、ちょっと小腹が空いているからその前にって、トーストを一枚と、牛の細切れを発見したので、塩コショウで味付けして食べておりましたら、えらくお腹が空いてきた。
なんで~って考えたら、思い出しましたね。朝から何も食べてなかったことを。
きっと、お腹に食べ物が入って、空腹で半分死んでいた胃が気がついて、母さん、朝から何も食べてないよ、、、って喚きだしたんですね。
で、どうしたかというと、トーストをもう一枚追加して、昨日の食事は終わり。
今日も、まだ何も食べていませんけど、作るのも面倒。
作ってくれる人を探すのはもっと面倒。あとあとしがらみができるのは最悪。
はやく、霞料理をマスターしなきゃ。
こんなのを考え出せたら、世界の食糧事情に貢献したというので、ノーベル賞ものですな~
特許をとって、お金儲けができる。
でも、それを何に使う、、、、
さぁ、考えるのも面倒ね~
若いうちって、たとえ、その究極が満ち足りた生活、老後の平穏な生活であっても、その夢に向かって力いっぱい努力し、邁進するべきなのでしょうね。
でも、ある程度歳をとってくると、どこかでターニングポイントを見つけることも必要になるかもしれない。
あと、何年生きられるか分からないのに、平穏のために戦いはできない。
というのか、今の日本じゃありがたいことに戦わなくてもいい平和があるのかな。
ターニングポイントは夢のレベルを下げることも必要かもしれない。
人間の欲望って果てしがないから、難しい問題かな。
でも、今あるもので、栄華を実現できたとしても、それがなんなのよってこともあるかもしれない。
ボクちゃん、年寄りだから、ロハスなんてカタカナ言葉は難しすぎるけど、昔、関西の老人向けの雑誌に書いたことが合ったよな、
「日本のお年よりは不幸だ不幸だって騒いでいる。その原因の多くは経済的な問題だったりするのだけど、ヨーロッパの年寄りを見ていると、年金の絶対額は低いところがあったりするんだけど、むしろ貧しいほうが年寄りがいきいきしていたりして、、、、
要するに、考え方、生きがいの見つけ方が問題じゃないのかな」なんて、、、
でも、年寄りになると、体もあちこち不調が出てくるし、仕事も難しい、食べていけなきゃそれ以上の問題もあるのは、自分の毎日の問題として、切実に見えているんだけどね~
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平穏な 暮らしを求め あくせくと (風)
人間って平和を求めるのに戦うのですね、、、、
こしかたに 未練あらずも いと恋し (ume)
このところの心境です。
こしかたは 涙がなくても もうおぼろ (風)
未練あらずって言い切りたいけど、こちらは未練と後悔たらたら。
残された時間は短く、無駄なことをする余裕はないのですけど。
こしかたを 共に語える 友がいて (ume)
60を過ぎての人生の醍醐味じゃないですか。
一人抜け 二人抜けする ずるい友 (風)
還暦をもうワンステップ過ぎると、早期退職なんて、ずるいのは早々とあっちへ逃げてしまうのがいるんですよ。逃げ帰ってこないところを見ると、そんなにいいところなんですかね~