私の二度目の台湾旅行は、登戸混声合唱団の交流ツアーに参加するワイフのご相伴の旅となったが、この旅で台湾の人々の、特に年配の方々の深く強い親日感情を改めて感じた。二年前の台北訪問のとき、冒頭から、ガイドの呂さんに「現在の台湾の繁栄は日本のお陰だ。中国のお陰でも蒋介石のお陰でもなく、日本の統治時代にその基礎が築かれた」と褒め上げられ、聞いてはいたが「本当に日本の植民地支配は台湾に善政を施したのか?」と、大きな疑問を抱えながらその挨拶を聞いたのであった。
人の国を植民地支配して喜ばれるというのは、どうもむずがゆく、まゆつばものだ。ところが今度の交流会で、いっそうその親日感を見せ付けられた。
そもそも交流した合唱団が、どちらもご年配の合唱団であったことに「親しい日台」の原因があったのかもしれない。こちらの『登戸混声合唱団』の平均年齢は、私の見た目では60台後半であろう。迎える台湾側は『大安長老教会』に属する三つの合唱団で、その名も示すとおり長老連中である。その中の「松年(しょうねん)合唱団」(台湾の「しょうねん」は年寄りのこと。少年ではなく松年、つまり松は長寿の植物)の平均年齢は登戸より上であろう。
この長老たちの大半は日本語を話す。顔かたちから体つきも含め外国に来た感じはほとんどなかった。観客の人たちも、互いに日本語で話す人が多かった。私たちのそばによってきて、登戸混声合唱団の出し物の中の「箱根の山を聞きたくて来ました」とか「富士山の歌が好きです。聞けるのが楽しみです」という調子である。
最も早く来場した老人が私たちのところに来て、「日本の方ですか? 私は大正6年生まれ、数えで92歳です」と名乗られたのには驚いた。背筋は伸び、色艶もよく、日本人と全く変わらない流暢な日本語を話した。
この親密感は、表面的なとり繕いでは生まれない。決してへりくだった態度ではないが、日本に対する全幅の信頼が根底にあるような気がした。
日本の植民地支配は本当に善政であったのか? 改めて、児玉源太郎、後藤新平、新渡戸稲造などの名前が頭によみがえってきた。