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旅のプラズマ

これまで歩いてきた各地の、思い出深き街、懐かしき人々、心に残る言葉を書き綴る。その地の酒と食と人情に触れながら…。

四川大地震などーー人智の無力を痛感

2008-05-16 14:46:53 | 時局雑感

 

 四川大地震の被災規模が、日を追って大きさを増している。今朝の各紙は「死者5万人超、なお生き埋め多数」という中国政府の発表を報じている。つい先日、ミャンマーを襲ったサイクロンの被害につき、「死者10万人超も」という国連の発表に接したばかりだ。
 サイクロンについては、かつて経験したことのない規模のもので、ミャンマーにとっては全く無防備なものであったらしい。何年か前アメリカ南部のニューオルリーンズを襲ったハリケーンも、それまで経験しなかった規模のものであったらしく、それだけ悲惨な被害をもたらした。
 人類はこれまでに経験したことのない、「質をことにする天災」に直面しているのではないか? もしそれらが、地球温暖化などを原因とするあらたな気象の変化によるものとすれば、それは天災というより「人災」の匂いを濃くする。

 地震は地球の奥深いところでのプレートの軋みなどを原因とするので、それは人智ではどうすることもできないのかもしれない。しかし今度の「サイクロンに対するミャンマー」と「四川大地震に対する中国」の為政者の対応に、共通点を見て不安を覚えた。
 それは、いずれも外国の援助を拒んだことだ。(中国はそのご受け入れを認め、今日は日本の救助隊がようやく現地入りしたが) これほどの大災害を受けては、被災者個人はなす術はなく、同じ地上に住むもの同士が助け合うことによってしか救われる道はないだろう。生き埋めなどいう想像を絶する状況にある人を助けるには寸秒を争うはずだ。それを、救助を断ることにより被害を大きくしたとすれば、これは人災ではないのか?

 このような事態に直面する度に「人智の無力」を痛感する。人類は人智なるものを自分の儲けと他国(他人)支配と、果ては享楽のために使ってきて、地球環境を破壊しつつ「自らを滅ぼすかもしれない」天災(人災というべきだろうが)を準備してきたかに見える。そして、「死と直面する」というもっとも人智を必要とする時に至っても、まだその人智は発揮されないのである。
 もちろん、このような能書きを言っていることこそ無力の証明であるが。
                             
                                              


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