世界には今、200近い国がある。それぞれ民族、宗教、イデオロギー、発展段階などに応じて国家を形成している。各国家は、単純には一つになれない歴史的要因の上に「他国と一線を画して」国として存在しているのであろう。
こうした各国は、少なくとも「自分を守るため」に軍備を持つのがごく当たり前となっており、その「自衛のための軍備」で他国との戦争が行われてきたのが人類の歴史と言えよう。イラク戦争でさえ大義名分は自衛である。つまり、テロから民主主義陣営を守るためその温床に「先制攻撃をかける」というものだ。とうてい認められる論理ではないが、世界で最も民主主義の進んでいる国の一つとされているアメリカ国民の大半がこれを支持して、熱狂してイラク戦争に突っ込んだのである。
人類は未だこのような段階にしか達していない。
この段階で軍備を廃絶できるとはとても思えない。とはいえ憲法9条を捨て去るわけにはいかない。それは平和を守る戦いの「世界にたった一つの灯」であり、また、世界は必ずその方向に向かうだろうと思うから・・・。
しかし9条だけから世界平和は来ないだろうとも思える。前回書いたように「イラクに参戦した日本人」K氏は、「アメリカが私から奪ったものは憲法25条(文化的最低生活の保障)である。これが奪われたとき、9条もへったくれもあるものか・・・」と言っている。
世界を覆う貧困問題が紛争の火種の一つであることは疑いない。これらを無くしていく過程(25条の真の実現)で、国は他国を攻める必要性をなくし(つまり軍備の必要を無くし)、それが重なり他国から攻められる可能性が少なくなれば自衛のための軍備も無くなっていくのかもしれない。
気が遠くなるような先の話であるが・・・。
もう一つ、TNさんの言う「国連軍的なもの」が、上記のような段階に至ってもなお、アルカイダのようなならず者を取り締まるために必要な武力ならば、これは軍備ではなく警察力みたいなものではないか? 少なくともそれは「他国を攻める武力」ではなかろうから。(ただ、ならず者とはいえ核兵器を持ち、それに対処する武力となれば警察力とは質を異にするのかもしれないが)