まだ残暑は厳しいが、秋を呼び込みたい一心から秋の歌に移る。
夕空(ゆうぞら)晴れて 秋風吹き
月影落ちて 鈴虫(すずむし)鳴く
思えば遠し 故郷(こきょう)の空
ああ わが父母(ちちはは) いかにおわす
澄みゆく水に 秋萩(あきはぎ)垂(た)れ
玉(たま)なす露は 芒(すすき)に満つ
思えば似たり 故郷の野辺(のべ)
ああ わが兄弟(はらから) たれと遊ぶ
(講談社文庫『日本の唱歌(上)』より)
明治の日本は、西欧に追いつけ追い越せとその文化の取入れを急いだ。音楽の世界でも同じで、各国のすぐれた曲や民謡を持ち込み日本語の歌詞を付して歌い広めた。『庭の千草』、『埴生の宿』、『故郷を離れる歌』など名歌が多い。
この歌はスコットランド民謡の「Comin' through the Rye」が原曲で、他に大木惇夫・伊藤武雄作詞の『誰かが誰かと』という麦畑の歌としても親しまれている。この麦畑の方が原曲には近いのだろうが、『故郷の空』は全く別の歌のような日本歌曲となり、原曲のイメージは全くない。歌われている風景、その詩情、すべて日本そのものである。そしてその通り、私は日本の歌として歌ってきた。だから、「歌いつがれた日本の心…」シリーズに連ねることにする。
作詞は大和田健樹。明治の作詞家・国文学者で、多くの明治唱歌を残している。中でも有名なのは『鉄道唱歌』で、「汽笛一声新橋を」出発した列車は東海道を語り継ぎ、46番で京都、56番で大阪に着き、65番で終点神戸に着くのであるがなお諦めず、66番で「明けなば更に乗りかえて山陽道を進ままし」と結んでいる。相当な作詞力の持ち主であったのだろうが、66番まで続く歌って他にあるのだろうか?
私にとって秋の味覚といえば、ふるさと臼杵の名産「かぼす」である。臼杵でかぼす販売業を営む同級生から、「今が一番良い時期よ」というメールが入ったので、自家用とともに親しい知人・友人宛ての発送の依頼をした。
そのファックスを流しながら、瞼に浮かんだのはふるさとの風景であった。もちろん私の父母は既にいない。父に至っては死後半世紀を超える。しかし「故郷の空」に浮かぶのはいつも、元気であった頃の父と母の姿である。
故郷の実家に活けられてあったすすき (2年前撮影)