11月7日は立冬。暦の上では既に冬である。その前日6日、つまり秋の最終日に私は高知に着き、以後3日間、広洋とした太平洋を眺め続けた。そこで何度も思い出した歌が『浜千鳥』…、それは作曲者弘田龍太郎が高知の出身であることにもよる。
青い月夜の 浜辺には
親をさがして 鳴く鳥が
波の国から 生まれ出る
ぬれた翼の 銀のいろ
夜鳴く鳥の かなしさは
親をたずねて 海こえて
月夜の国へ 消えてゆく
銀の翼の 浜千鳥
月の名所の桂浜
この歌を今の時節にとり上げることにも異論が出るかもしれない。作詞者鹿島鳴秋がこの詩を書いたのは、大正8(1919)年の初夏とされているからだ。「鹿島鳴秋が大正8年6月、柏崎に友人を訪ね、浦浜から番神海岸を散歩して、初夏の海の印象を手帳に書き残した」ということが、柏崎の歌碑などに記されている。
しかし私にはどうしても秋の歌に思える。「青い月夜」、「鳴く鳥の悲しさ」、「翼の銀の色」など、秋か初冬の情景としか浮かばない。そして、それを思わせるように、この詩に弘田龍太郎が曲をつけて発表したのは翌大正9年の1月である。龍太郎はこの曲を秋から冬にかけて作曲したのであろう。
龍太郎は高知県安芸市の生まれ、そこには3歳までしかいなかったが、前に広がる太平洋の印象は強烈に残っていたに相違なく、特に秋から初冬にかけての澄み切った月夜の浜辺を想起しながら作曲したのではないかと思っている。
因みに、平成7年9月に開かれた「安芸童謡フェスティバル~弘田龍太郎を歌う~」のプログラムの「弘田龍太郎童謡12か月」でも、9月の歌に分類されている。
「波の国から生まれ出る」というダイナミックな曲想、「月夜の国へ消えてゆく」という透明感、寂寥感を、鹿島鳴秋は初夏の日本海に見たが、弘田龍太郎は秋の太平洋に感じたのではないか。