旅のプラズマ

これまで歩いてきた各地の、思い出深き街、懐かしき人々、心に残る言葉を書き綴る。その地の酒と食と人情に触れながら…。

歌いつがれた日本の心・美しい言葉⑯ ・・・ 『たきび』 

2012-11-26 12:59:10 | 文化(音楽、絵画、映画)

 

 11月20日の記事で甲州街道のケヤキについて書いた。紅葉したケヤキは見る見るうちに葉を落して、街道は落ち葉で一杯だ。清掃するボランティアが組織されているほどだ。

 この時節になると自然に口ずさむ歌が『たきび』だ。わが家でも今の家に建て替えるまでは庭が少しは広かったので、よく焚き火をして焼き芋などを愉しんだ。子供やその仲間が喜んだものだ。
 この歌は、昭和16年JOAK(現NHK)のラジオ番組「幼児の時間」の依頼を受け、児童文学者で歌人の巽聖歌が作詞、それに作曲家の渡辺茂が曲をつけたもの。二人とも没後50年を経ておらず著作権が有効で、むやみに歌詞を掲載することはできない。
 しかしあえて歌詞を掲載することもあるまい。一度口ずさめば忘れることのできない歌詞が、リズミカルな曲に乗って浮かんでくるから。
 なんと言っても言葉の繰り返しがいい。「かきねのかきねの」と垣根が続き、その曲がり角で「たきびだたきびだ」と心躍る焚き火をやってる。
 焚き火にあたりたいけど子供たちは「道草を食ってはいけません」と親に言いつけられている。しかしあたりたい! 「あたろうかあたろうよ」という言葉のたたみ掛けに、子供たちの揺れる心が良く出ている。そして、やっぱりあたるのだ。なぜって北風が「ぴいぷう」吹いてるんだもの…。
 巽聖歌は岩手県紫波町の出身。上京後は中野区上高田に住み戦後は日野市と武蔵野に住み続けた。焚き火の落ち葉を提供してくれるケヤキを吹き抜ける北風の音を「ぴいぷう」と表現すところは、岩手から武蔵野に住み続けた巽聖歌ならではといえるであろう。

 この名歌もいろいろと受難の跡があるようだ。何と言っても生まれた昭和16年12月は、あの太平洋戦争の始まった時だ。日野市産業振興課の「巽聖歌の足跡を辿る」によれば、「放送は早々に打ち切られ、『たき火は敵の攻撃目標になる』などの理由で、その後も放送できなくなってしまった。戦後は教科書にとり上げられたが、今度は消防署から子供だけの焚き火は危険だとの指摘を受けて、付き添いの大人と水の入ったバケツの絵を添えるというアイデアでこれを凌いだ」とある。
 国の内外から攻撃目標になるほどの名歌であったと言うほかない。

  
          


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