旅のプラズマ

これまで歩いてきた各地の、思い出深き街、懐かしき人々、心に残る言葉を書き綴る。その地の酒と食と人情に触れながら…。

映画「イル・ポスティーノ」について

2008-02-22 14:23:41 | 文化(音楽、絵画、映画)

 

 昨夜、NHKの衛星映画劇場でイタリア映画「イル・ポスティーノ」を再び見た。10年以上前に有楽町の映画館で見て、それ以来心に残り続けている映画である。
 ブログを読み返してみるとちょうど一年前、07年3月3日に「サリーナ島への想い」という題でこの映画に触れている。シチリアへの旅の思い出を書く中で、その旅で訪ねたナソという街からティレニア海に浮かぶサリーナ島を遠望したときの思い出を書いたものだ。というのは、「イル・ポスティーノ」の舞台がサリーナ島であるからだ。

 チリ革命(アジェンデ社会主義政権)瓦解のあと、同政権の樹立に係わった詩人パブロ・ネルーダがこの島に逃避し、そこに毎日郵便物を届ける郵便配達夫(ポスティーノ)とネルーダとの友情物語だ。無学な漁夫の子である郵便配達夫マリオをマッシモ・トロイージが演じ、淡々と描き進んで、ただ清々(すがすが)しさだけが残った・・・というような映画である。

 マリオは自分の思いを恋人に伝えようとネルーダの詩をそのまま書き写した手紙を送る。それが発覚して、ネルーダは「人の詩を勝手に使ってはいけない」と諭す。しかしマリオは「・・・詩はそれを最も必要する人のものである」と言い返す。その裏には「貴方の詩はもはや貴方のものではなく世界全人民のものである」という主張が隠されている。さすがにネルーダも「・・・実に民主的な考えだ・・・」と無断に使った罪を許す。
 前回も書いたが、このシーンが一番好きだ。

 チリに帰国したネルーダは数年後ふたたび島を訪れるが、マリオは既に亡く、パブリート(ネルーダの名前パブロのイタリア読み)という子供と、マリオがネルーダに送ろうと島の「波や風や空の音」を録音したテープが残されていた。ネルーダは海浜を歩きながらそれに聞き入る。
 共産党員であるマリオは、党大会に参加し警官隊の弾圧の中で死んだのだ。マリオはそこで自作の詩を民衆の前で読むはずであった。それは「あるとき詩がやってきた・・・」というネルーダを称える詩であった。
 その詩を書いた紙片が弾圧される群衆の中を舞い、踏みにじられていく場面で映画は終わる。そしてマリオを好演したマッシモ・トロイージも、この映画を撮り終えて一週間後に死んだ。
 字幕の最後は「わが友 故マッシモに捧げる」という言葉であった。
                            
 
 


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