旅のプラズマ

これまで歩いてきた各地の、思い出深き街、懐かしき人々、心に残る言葉を書き綴る。その地の酒と食と人情に触れながら…。

北京五輪開会式を見てーー世界はどうバランスしていくのか

2008-08-09 15:11:30 | スポーツ

 

 NHKが放映する北京オリンピック開会式の模様を最後まで見た。実に204の国や地域が参加し、次々と入場してくる様子を見ながら、様々な思いが胸を去来した。

 これら参加国・地域の中には、参加選手はたった一人で、自ら旗手を勤めて入場してくる国から、アメリカや中国のように1000を超える大選手団を送り込む国まで大小さまざまだ。選手が2人や3人の国もたくさんあった。
 しかも参加国の紹介を聞いていると、国土の90%が砂漠の国や、4分の1が湖の国など、また川が一筋も流れていない国まであって驚いた。かく言う日本は、山地が相当部分をを占めているので、砂漠や平原の国、また洋上に浮かぶ小国から見れば珍しいのかもしれない。
 何よりも驚いたことは、204の中に知らない国がたくさんあったということだ。国連には200近い国が加盟していると言うが、ニュースとなって伝わってくるのは大国が中心だ。サミットやGセブンなど、世界はほんの一握りの国が動かしているかに見える。
 しかし、昨夜の入場行進を見ると、わずか数名の参加国・地域も大国と全く対等にプラカードに導かれ、旗手を先頭に胸を張って行進していた。
 これら204の国々は、れっきとして存在している。
 7月30日のブログに書いたように、ロシアの音楽家ゲルギエフは、「未来への提言」の中で、国際政治で重要なことは「それぞれの存在とバランスだ」と語った。バランスには、先ずそれぞれの存在を認め合うことが前提とされる。その存在を全世界に示すだけでも、オリンピックは意味がある、と思った。

 問題は、ともすればそれら小国の存在を踏みにじる大国の横暴であろう。おりしも昨日、グルジアとロシアが戦争状態に突入した。グルジアが、分離独立を掲げる南オセチア自治州に攻勢を加え、それに対し分離独立派を支援するロシア軍が、国境を越えてグルジア軍を攻撃しているらしい。
 人類が、ゲルギエフの提言「存在とバランス」に到達するには、まだまだ長い年月を要するのであろうか?
                             


再び集中豪雨について

2008-08-07 13:44:24 | 時局雑感

 

 東京の、死者を出すような鉄砲水について書いたが、今度は関西の集中豪雨で間接的ではあるが被害に遭うことになった。
 昨日は名古屋出張のため、17時33分発の新幹線で名古屋に向かった。しかし、乗り込んだが一向に発車しない。やがて放送が流れて、「現在、京都、新大阪間で猛烈な集中豪雨が発生し、運転を見合わせている。いつ発車できるかわからない。」ということだ。待つこと約40分、「ようやく雨が収まり運転を再開した。なお、新大阪-東京間に停車中の電車が逐次動き出すので、しばらく待て」という放送の後、約50分遅れで東京駅を発車した。
 いやはや、関西の集中豪雨により
東京で被害を受けたことになる。やがて、アメリカのハリケーンの被害を日本で受けるような日が来るのだろうか?

 それはさておき、今日の日経新聞の『春秋』に、河況係数という言葉が載っていた。私はこれまで知らなかったが、それによれば「河川の最大流量を最小流量で割った値」で、つまり「増水時には、渇水時の何倍の水が流れるかを示す数値」らしい。
 その河況係数は、「ナイル川(カイロ)は8、ライン川(バーゼル付近)は18。それに比べ、利根川は栗橋付近で484、、紀ノ川は橋本で3740。大陸の大河に比べ、日本の川は千倍も激しやすいことになる」(同)という。
 これが、日本の川は長大な堤防で囲まれている理由だという。そういえば、昨年秋ヨーロッパを訪ね、ライン下りなどもやったが、あまり堤防らしきものは目に付かなかったような気がする。
 日本の川はそもそも激しやすい上に(大陸に比べ千倍とは驚きであるが)、最近の異常気象による集中豪雨でますます激しやすくなっているのか・・・。
 何か末恐ろしくなってきた。
                            

 


暑さの質

2008-08-05 23:08:34 | 時局雑感

 

 今日は都内でも集中豪雨に見舞われて、水道工事をしていた方が鉄砲水に襲われて亡くなったという。
 夏の暑さの中で雨は救いの神で、その到来と過ぎ去った後の清々(すがすが)しさを毎日楽しんできた昔を思い、最近の雨が質的に違ってきたことの恐ろしさを思う。
 何と言っても、このところの暑さには参っている。子供のころの九州の夏と、まさに質を異にする。かつての九州の夏は、6月の梅雨と、7月のじめじめした暑さは嫌であったが、8月になるとカラリとして、むしろ気持ちが良かった。8月は一番暑かったが、それは不快な暑さではなかった。

 私はどちらかと言えば夏が好きで、それは、この「カラリとした暑さ」が好きであったからだ。梅雨の尾を引く7月までは、九州でもじめじめしていたが、8月になると日差しも暑さもグッと増すが、その暑さはむしろ心地よかった。
 それが今日の東京の暑さは何だ!
 暑いというより、とにかくジトジト、ジメジメしているだけだ!

 そして、それを潤してくれるはずの雨は、鉄砲水となって人の命を奪う。
 これまでと同じように工事をしていた人たちを、異常な暑さと異常な雨が襲い、全く予期しない状況の中で命を落とす・・・。
 人類には、今や新しい物差し(価値基準? 哲学?)が求められているのであろう。
                            


悩まず、主体的に生きるのが長寿の秘訣?

2008-08-03 18:03:08 | 時局雑感

 

 政治家は「民への施し」(政治の本質)もやらないで、権力の維持だけに躍起になっているのではないか、と政治家の悪口を書いていたら、斎藤茂太さんの『いつになっても「輝いている人」の共通点』(祥伝社黄金文庫)という本に「政治家が長命なワケ」という一項があったことを思い出した。
 正確には「企業戦士に突然死が多く、政治家が長命なワケ」という項(248頁)で、同じように多忙な企業戦士と政治家では、まったく寿命が違うと言う。前者はストレスがたまり、くよくよ生きているが、後者は「主体的に生きている」から長命だと言うわけだ。
 企業戦士は会社に縛り付けられ主体的に生きにくい。しかし政治家は自分の思うところを喋りまくり、なんとかそれを実現しようと主体的に生きている。この「主体的に生きる」ということが生命の維持の源だ、と著者は書いている。しかも、演説で大声を出し、全国を走り回り、健康に良いことばかりだと言う。加えて「あまり政治に文句ばかり言うのをやめて、政治家のライフスタイルを見習ってはどうか」とまで書いている。
 とはいえ、「国民に目を向けることなく権力維持だけに躍起になっている」ような政治家が居るとすれば、それを許すわけには行かないが、確かにそのライフスタイルは取り入れる値打ちがありそうだ。

 しかし、ただ主体的に生きていればよい、と言うわけでもないらしい。同じ本の別の項に、「僧侶には長命が多く、詩人が短命なワケ」と言うのがある。僧侶は厳格な戒律の中で生きてるが、詩人は自由奔放に、まさに主体的に生きている。しかし規律正しい生活を送る僧侶は長命で、自由奔放な恋愛や無計画な生活を送る詩人は短命、として中原中也や石川啄木の名前が挙がっている。
 こうなるとなんだか分からなくなる。ただ、ハメをはずし過ぎてはいけないが、「悩むことを捨て、主体的に生きる」ということは、生命維持に必要なことのようである。
 いっさいクヨクヨしない、なんて至難の業であるが・・・・・・
                            


政治家の政治と国民の生活

2008-08-02 18:40:07 | 政治経済

 

 テレビも新聞も福田改造内閣のニュースでいっぱいであるので、この機会に政治とは何か考えた。
 三省堂の『大辞林』を引くと、政治とは次のように説明されている。

 「①統治者・為政者が民に施す施策。まつりごと ②国家およびその権力作用にかかわる人間の諸活動。広義には、諸権力・諸集団の間に生じる利害の対立などを調整・統合することにもいう」

 これによれば、為政者(政府、特に首相のことであろう)は、まず民がもっとも必要としている施策を施さねばならない、と言うことになろう。しかしこの改造劇を見ていると、次の②にある「諸権力・諸集団(自民党各派閥と公明党のことであろう)の利害の対立を調整・統合して」なんとか権力を維持して行こうとする策だけが見える。
 各派閥の領袖が党役員と閣僚に並んで調整をとり、都合が悪くなって少し自民党と距離を置きたくなった公明党は、通常なら喜ぶはずと思われる「閣僚2名枠」を、断って一人にしたという記事もある(本日付日経新聞3面)。
 同じく日経3面の『麻生氏と密約説 党内で取りざた』という囲み記事では、福田首相は「私の手で総選挙はしない」と麻生氏に告げ、任期近くまで勤めた上で首相の地位を明け渡す密約を交わしたのではないかとの憶測を報じている。
 もしこのようなことならば、民への施しどころか、まさに国民不在の中での権力維持、権力たらいまわしに躍起になっていると言わねばなるまい。
 いま日本の民は相当に困っている。景気がいいというのはほんの一部の大企業だけで、中小企業の大半は赤字に苦しみ、世に言うワーキングプアをはじめ年収200万円に満たない人口が1000万人を超えている。働くものの5~6人に一人の割合だ。その上、高物価や異常な天災が重なり様々な被害を負っている。民の生活を考えれば、権力のたらいまわしなどしている暇はないのではないか?

 冒頭に引用した辞書をもう一度めくると、「政治家」と言う項の説明は「①政治をつかさどる人」などとあるが、②には「事を巧みに処理する力を持つ人。駆け引きや根回しのうまい人」となっている。私は、現政治家のすべてが国民のことなど考えていない、など短絡的なことは思っていないが、どうも今の政治家は、権力を維持する(それにより相当にいいことがあるのだろう!)ために、「駆け引きや根回し」だけに長けているのではないか、と思えてならない。
 歴史の上で、まさに「民のために尽くした政治家」って誰が居たのだろうか?
                                              

 

 


イチローの4000本ーー「遠いけど、見えないことはない」

2008-08-01 11:31:32 | スポーツ

 

 イチロー選手が日米通算3000本安打を記録した。この大記録についてはマスコミ界に様々なニュースがあふれているので、書く必要はないと思っていた。しかし、ブログが日記の性格を持っている以上、その時々の大事件については、記録だけでも残しておくべきであろう。

 イチローは、次々と日米の野球記録を塗り替えているが、これほどの人材を生んだ日本としては、大いに誇っていいのだろう。
 メジャーと呼ばれるアメリカ野球の方が水準が高いとされている中で、その本場に乗り込んでアメリカ人の築いた記録を破り、またその記録に迫っていく姿はなんとも頼もしい。
 3000本につき、日米通算というとことから、アメリカではそれほどニュースになっていないという報道もあるが、イチロー本人の言うように「日本の9年間のヒット数(1278本)より、アメリカの8年間で打った数(1723本)の方が多い」
 「日本の方がレベルが高いのではないか」と言うイチローの発言がなんとも小気味よい。
 何よりもイチローらしい発言は、4000本を見据えた次の
言葉だ。この言葉には、「すべての記録は一つひとつの積み重ね」をモットーとする彼の性格がにじみ出ている。

 「すごく遠いけど、見えないことはない」 
              (31日日経新聞より)

 アメリカでも4000本を達成したのは、ピート・ローズ(4256本)とタイ・カップ(4191本)の二人に過ぎない。野球の世界では神様とも崇められている二人だ。さすがのイチローにとってもこの二人は「遠い」だろう。しかし、「見えないことはない」ところにイチローの面目がある。
                             


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