旅のプラズマ

これまで歩いてきた各地の、思い出深き街、懐かしき人々、心に残る言葉を書き綴る。その地の酒と食と人情に触れながら…。

辻井伸行(バン・クライバーン勝者)雑感

2010-01-11 14:42:03 | 文化(音楽、絵画、映画)

 

 昨年、「バン・クライバーン国際ピアノコンクール」で辻井伸行が優勝したことは話題になり、その選考過程を収めたテレビ番組を何度か見てきたたが、今日再びゆっくり見た(NHK教育3チャン)。こういうことのできることを休暇の醍醐味というのであろう。

 目の見えない辻井伸行という青年が、この困難なコンクールを勝ち抜き優勝したことについては、どんなに賞賛してもし過ぎることはないであろう。それはさておき、彼を勝者に選んだ主催者の一人の発言に、私は新たな感動を抱いた。それは概ね次のような発言であった。

 「・・・音楽の一曲を演奏し終えることは、新たなスタートであってゴールではない。音楽の理解はそこから始まるからだ。一冊の本を読み終えたとしても、その中身の理解には以降の長い時間を必要とする。
 ところが、ノブユキ・ツジイの演奏は、それぞれの曲の本髄をすべて豊かに表現した。わずか20歳の青年に、どうしてこのような能力が与えられたのであろうか?」

 このコンクールは何週間にわたり多くの曲の演奏を必要とし、しかも独奏だけでなく、四重奏や交響曲との競演がくわわり、単に演奏技術だけでなく「他の演奏者との協調性」や「相手の情感を理解する人間性」、はては「聴衆の反応」や「将来性」までを加味した総合点で判断されるという。
 楽譜も、指揮者の指揮棒もみえない二十歳の演者が、上記の選考基準に照らして、並み居る世界最高水準の相手を制したことは、誠に驚異と言うしかあるまい。

 このような「神の申し子」は別としてわが身はどうか? 音楽は出来ないが本は結構読んできたつもりだ。しかし
 「本は読み終えたときがスタートでゴールではない。そこから始まる・・・」
とすれば、俺はいったい何冊の本を理解しているのであろうか?
                            


海はわれわれ(島々)を分かつのではなく、一つに結ぶ――ミクロネシア連邦憲法前文

2010-01-10 13:16:01 | 政治経済

 

 昨年末1231日付赤旗新聞一面最下段の「潮流」で、ミクロネシア連邦憲法前文を初めて知って気になっていたのであるが、ようやく原文(英語)を手にして、改めてその広大な理想に感動している。

 ミクロネシア連邦は太平洋のミクロネシア地域に位置し、マリアナ諸島、パラオ、マーシャル諸島、パプア・ニューギニアなどに囲まれる連邦国家。広大な海に点在する島々から構成され、その島の数は600島を超えるという。その憲法前文は、自らの起源を次のように書いている。

「ミクロネシアの歴史は、人が筏やカヌーに乗って海に乗り出したときに始まった。・・・そしてミクロネシア民族は、わが世界が一つの島になったときに誕生した」

 点在する島の人々が筏やカヌーで交流し、やがて一つに結び合う。その舞台であった海は、島々を分かつものではなく一つに結び合わせてくれるものであり、そこに民族と国家誕生の原点を見据えているのだ。
 もちろん、その歴史は平穏ではなかった。民族同士の争いもあっただろうし、何よりも太平洋は、大航海時代以降列強の支配が繰り返されたところだ。それらを数え切れないほど経験してきたこの民族は、同じくこの憲法前文で次のように宣言している。

「多くの島々で一つの民族をつくるため、各文化の多様性を尊重する。
お互いの違いこそが、われわれを豊かにしてくれるからだ。
   ・・・・・
 戦争を知っているがゆえに、われわれは平和を願う。
分割されたがゆえに統一を望む。
支配されていたがゆえに自由を求める。・・・」
「われわれの祖先はここに住んできたが誰かを追い出すようなことはしなかった。それを受け継ぐわれわれは、この地以外に住もうとは思わない」

 私は、日本国憲法はその第九条を始めとして世界に冠たる理想主義に彩られた憲法と思っていた。ところが、このミクロネシア連邦憲法はそれをはるかに越えている。 海は世界を分かつものではなく、むしろ一つにつなぐもの・・・、つまり「世界は一つの島なのだ」という精神は、「世界は一つ」という絶対的平和主義の礎をなし、武器を持つかどうかを規定するはるか以前の立場にある。因みにミクロネシア連邦は軍隊を持たない国と聞いている(詳しくは調べてないが)。
                           


今年の政治 ・・・ 民主連立政権「自壊」か「地固め」か

2010-01-08 14:33:10 | 政治経済

 

 今年の政治はどうなるのだろうか? 何としても民主党連立政権に、これまでの自民党悪政――特にここ10年の自公政権悪政の総ざらいをして欲しいのだが。

 ところが早々からもたもた、ごたごたが続き、それを飯の種にするマスコミや評論家連中が得意顔で非難し続けるので、早くも支持率が50%を割った。追い討ちをかけて首相と政権党幹事長の金の問題が表面化してきたのでは、どうも先行きは怪しくなった。
 かてて加えて、藤井財務相の辞任ときた。年齢から健康不安はあったが、こんなに早く辞めることになるとは政権とって不運と言わざるを得ず、「いよいよ『自壊』が始まったか?・・・と思わせた。
 反面、菅副首相
が財務大臣に座り、仙谷行政刷新相が戦略相も兼ねて、菅・仙谷体制が固まると「霞ヶ関改革路線」が明瞭になって、むしろ『地固め』が出来たような気さえする。若しかしたら「雨降って地固まる」の類になるのかもしれない、などと思う。

 いずれにせよ私は、人材的には、菅、仙谷、前原、長妻各大臣に期待している。菅、仙谷には行政刷新・霞ヶ関改革を、前原には国土交通大臣として「コンクリート政治」の打破を、長妻には年金・労働行政の改革で「人の政治」を期待しているからだ。これが、今日本が直面している「生活のほころび」を直す焦眉の急と思うからだ。四年間で具体的な成果が上がらなくても、そこにメスをいれ将来の方向を示すところまで行けば大成果で、国民が政権交代を選んだ値打ちがあったと思っている。これほど痛んだ国だ。直すには5年や10年は十分にかかるだろう。
 だから私は、様々指摘されてるもたもたたがたがた(普天間など)は、殆ど気にしていない。
 ただ、金の問題だけが心配だ。これはどうも許せない。首相も小沢も辞めるべきだと思っている。特に小沢の金は薄汚く、こんな人間を中枢に抱えていては党も政権ももたないだろう。
 鳩山の金は、それに比べればきれいな金のようだが、従来の言動と、これほど庶民感覚とかけ離れていては、現政権がやろうとしているところと符合しない。

 さて、この二人が辞めたときに、はたして「自壊」を防げるか? それともむしろ「地固め」になるか? そこがどうも分からない。
                                         


今年の酒

2010-01-05 17:35:33 | 

 

 昨年は『24節気の酒』を書きつづけた。月に2回訪れる各節気ごとに、その前後に飲んだ酒や、それぞれの節気が与える印象から引き出された酒を書いた。自分が一年を通じて飲む酒を24選べといわれると、それなりに緊張する。全国に在る1000を上回る蔵の中から24選ぶとなると簡単なことではないからだ。
 しかし、そんなに堅くなっていてはおいしい酒もまずくなるので、前述どおり前後に飲んだ印象的な酒を書き並べたに過ぎない。だからビールも焼酎も出てきたし、「秋分」に至っては偶々トルコにいたのでトルコワインやトルコビールなどが登場した。

 さて今年はどうなるか?
 そんなまとまったものを書くつもりはなく、これまで書きなぐったものをまとめる年にしようか、などと思っていたら、暮れから年初にかけて大変な企画が舞い込んできた。
 実は当社は、昨年秋からブライダル事業の充実を図るべく3人の新人を採用した。彼らの新入社員研修を行う傍ら、私の「酒の遍歴」を語っていたところ、これが意外な反響を生んで、その3人から「酒の話を映像化したい」という提案が出されてきたのだ。「これだけの酒の知識と実際に飲み歩いた経験を持ちながら、何故それを映像にしなかったのか?」と言うのだ。
 「本物の酒としての純米酒を追求する姿勢」といい、あちこちのみ歩いた「酒との出会い」といい、そこにはドラマがあるという。「話を聞いているといくらでも映像が浮かんでくる」とまで持ち上げる。私はほとんど真に受けてはいないが、時々頼まれる「酒の話」の際に、以外に一般人が酒について知らないこと、当然のことと思われる酒にかかわる話が驚きを持って受け取られることに、こちらが驚かされることが多かった。
 そんな話をしていると彼らは、「極めて新鮮な話が多い。もっとみんなに真実を知らせる必要が在る。映像を作れば必ず需要がある」とエスカレートしていき、『酒のエデュテイメント』なる方針が打ち出されてきた。エデュテイメントとは、エデュケイションとエンターテイメントを併せたものらしく、教育と言えば堅苦しくなるので、それにエンターテイメントを加味して「酒の話をドラマ化していこう」というのだ。

 だんだん引っ込みがつかなくなくなってきて、やることになりそうだ。どうせ新入社員として映像の勉強をしなければならないのだし、すぐ事業に結びつくかどうかは別にして「勉強のつもりでやるか」と思い始めている。

 どこから何の話が出てくるか分からない時代である。
                    


今年の旅

2010-01-03 17:58:19 | 

 

 今年の旅はどうなるのだろうか? 早くもいろんな誘いが持ち込まれている。うれしいことだ。

 まず海外では、4月『「トスカ」を巡る旅』と銘打つローマへ旅行の話がある。一口で言えば、本場ローマでオペラ「トスカ」を見よう、というものだ。
 ご存知の通り「トスカ」の舞台はローマであるが、この旅はゆかりの地をくまなくめぐり、テアトロ・ローマで本場のオペラを観ようというもの。併せて、かの名画「ローマの休日」を楽しもうと、ローマだけ4泊の旅である。

 実は昨年、娘が「本物のオペラを広めよう」と『オペラ集団「ミャゴラトーリMiagolatori」』なるものを立ち上げ、2回のコンサートを開いた。その歌手の1人前田進一郎君が主催する旅。彼は以前もこの旅を計画して喜ばれたようで、再現を図ろうとうもの。彼はイタリア留学のバリトン歌手で、英語、イタリア語に堪能だから解説に事欠かない。
 娘の活動を応援しようと思っている私としては、その趣旨に沿うものともろ手を挙げて賛成、ワイフともども参加の意思を示している。私はイタリアには3回行っているが未だローマに行っていない。ミラノ、ヴェネツィア、サルデーニャ、シチリアとローマを避けるように周辺を回ってきた。この際、何とかフィレンツェを含めローマに行きたいと願っているのだ。

 国内では「熊野古道」の話が出てきた。年始あいさつに寄ってくれた義兄が、「ジパングの旅3月」の中から探し出し参加の方針だと言う。
 これも予てから行きたいと思っていたところだ。足腰が弱ってきたので、もう実現しないかと諦めかけていたのだが、ワイフも大乗り気だし、これまた急に現実味を増してきた。

 早くも、わくわくするような今年の始まりだ。
                     


今年はどんな年になるのか・・・?

2010-01-02 14:27:47 | 時局雑感

 

 静かで、穏やかな元日であった。快晴、微風、最低気温1~2度、最高気温10度以下。晴れ渡っているがキリリとした冷気がみなぎり、身の引き締まる思いであった。平穏のようだが気を抜くと大変なことになるぞ、と神は日本の状況を国民に示したのかもしれない。
 このような天候も東京など一部だけで、全国的には大雪で、交通手段もままならぬ状態が多かったようだ。それの方が日本の実態を示しているのかもしれない。

 恒例の実業団駅伝を見終わって、2時過ぎからワイフと初詣に出かけた。すぐ近くの世田谷線に松陰神社前という駅があり、世田谷区民館の催しなどに行くために下車はするが、肝心の松陰神社の記憶が定かでないのでこの際参拝することにしたのだ。このところ『坂の上の雲』や『龍馬伝』など明治ばやりであるので、それら明治の逸材を育てた元祖ともいうべき吉田松陰に敬意を表しておこうとも思ったのだ。
 近くで簡単に済まそうと思った魂胆がばれたのか、着いてみると小さい神社の参列者が延々長蛇の列だ。鳥居からあふれて一般道に長々と続いている。といって引き返すわけにも行かず最後尾に並ぶ・・・

    


 待つこと一時間強、ようやく最前列に到達しわずか数秒の祈りをささげて初詣を終えた。既に4時にちかく、日は傾きすっかり冷えたが、境内にある松陰の墓などもめぐり故事来歴を訪ね、おみくじも引いた。

 引き当てたくじは「大吉」ではあったが、旅行は「さわりなし」、商売は「気を付けてすればよし」とか大吉らしい文言よりも当たり前のことが書かれてある。通常なら「吉」か「中吉」ぐらいの内容かもしれないが、お正月のご祝儀で「大吉」と印刷されているのかもしれない。まあしかし、平凡が一番いいのであって、失物は「早く出る」、病気は「気に病むな 治る」とあるので、いいところを頼りに一年を生きていくことにしよう。

 帰りの路上で「八海山のしぼり甘酒」なるものを飲んだが美味しかった。とにかく体が冷えていたので、温かければ何でも良かったのだ。ワイフはたこ焼きで体を温めていた。
 平穏な元旦で何よりであった。
                           

      


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