「静かで、穏やかな元日であった・・・」、これが今年最初のブログの“書き出し”であった。特にいいこともないが特に悪いこともないだろう・・・、何とかこんな調子で一年が過ぎてくれないか、などと思っていたのであるが、そう甘くはないようだ。
ハイチの地震など想像もしていなかったが、「国が無くなった・・・!」と呆然とする人たちを見ると、神はどこまで人類に試練を与えようとしているのかと思う。国家としての機能を十分に果たしえない国に、このような天災を与えて神は何をしようとしているのか? グローバル化した世界は、即座に支援体制を組めると神は思っているのだろうか? 何千キロ離れた地に“一滴の水”を運ぶには、この発達した21世紀の、このグローバル化した21世紀の社会でも何十時間を要する。
そして、その何十時間の間に、水の無い人々は死していくのだ。
思えば、一昨年来の世界同時不況(アメリカ発サブプライムロー不況)は、根源はアメリカ一国内の住宅ローン問題であったが、グローバル化した経済の中で一瞬にして世界不況に発展した。世界経済はコンピューターに繋がれて一瞬にして処理されており、だから不況も一瞬にして世界を駆け巡った。
ところが、ハイチの被災者を助けることに世界は戸惑っている。情報は瞬時にしてハイチに届くが、食料や水は何日もかけてようやく届く。ようやく空路の救援物資が届いても、寸断された道路でその物資は求める人の手には届かない。その間に多くの人は命を落としていくだろう。グローバル化などしていない。
グローバル化とか、コンピューター化などは、一部の金持ちの単なるゲームではないのか?