狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

再び亀田興毅について

2006-05-07 12:19:19 | 県知事選

のんびりとした日曜日の朝。

関口宏の「サンデーモーニング」のスポーツコーナーを見ていた。

大沢親分と張本コンビの「渇!」と「アッパレ!」がオモシロイ。

一昨日の亀田兄弟の試合で大沢親分が特大の「アッパレ!」を放ったところで、隣で見ていた大学2年の息子と久し振りに会話の花が咲いた。

                  ◇

A:「減量に苦しむ相手を前に、チキンをクシャクシャ食い散らかしながらの共同記者会見。下品だし、第一相手に対しても失礼だよ」

B:「相手にメンチをきって威嚇して、自分を奮い立たせるのが作戦なんだよ」

B:「格闘技では良くあることなんだよ」

A:「それは良く判る、・・・だがそれも程度問題だよ」

B:「結局、本人が強いから誰も文句言えないよ」

A:「でも強ければ何をやってもいいという訳ではないだろう」

B:「上品な弱いボクサーより多少下品でも強いボクサーをファンは求めている」

B:「亀田兄弟が出て来て、ボクシングファンが増えたし今ボクシングブームだよ」

A:「それで亀田兄弟は本当に強いの」

B:「当たり前でしょう。 今まで二人とも負け知らずだよ」

B:「それもKО勝ちが当たり前。 弟の大毅などは先月の試合でKO出来なかった悔しさでたった18日後にはKOでリベンジしている」

A:「リベンジって? 同じ相手じゃないんだろ? 大体たった18日の準備期間で探し出せる相手なんてまともなボクサーじゃないだろう。 いわゆる小使欲しさのKO要員だろ。 そういうのをかませ犬だよ」

B:「でも興毅の相手は世界4位だよ。 世界ランカーを2ラウンドでKОするんだからやはり強さは本物だよ」

A:「いやそれは間違いだ。 相手は興毅より格下のボクサーだよ、世界ランクは32位というから。 それにIBF4位と言うがこの団体はいい加減でJBCつまり日本ボクシングコミッショナーは認めていない団体だよ」

B:「それでも2ラウンドでのKO勝ちは強い証拠だ」

A:「強いと言っても弱いもの苛めて強いのか、強い相手に強いかの問題だろ」

A:「3月8日の興毅のKO勝ちは明らかにローブローの反則だよ」

B:「興毅は、レフリーが何も言わないから問題ないと言っている」

A:「それが問題なんだ。 テレビ局が大々的に支援する亀田親子に逆らえるものは誰もいない。 レフリーだって八百長試合の当事者だよ」

B:「それを言ってはお終いだよ。 兎に角ボクシング人気を盛り返したのは亀田親子の功績だよ」

A:「その点だけは認める。 だがそのやり方にも程度の問題がある。ボクシングは野良犬の喧嘩ではない」

B:「話が堂々巡りになって来た」

A:「目的の為には手段を選ばないと言うのではホリエモンと同じだよ。 テレビや芸能人を巻き込むところなんか」

B:「亀田兄弟には若い女の子のファンも増えている!」

A:「そんなのはボクシングファンではない!」


「昼ご飯ですよ!」の妻の一声でしばし水入り。

このバトル、水入り後はどうなるのやら・・・・・・。

 

 


揺れる「民意」  沖縄の「ローマ人」知事

2006-05-06 11:11:01 | 普天間移設

「県民の皆様 こちらは沖縄県広報課です」。 

「今日はヘリポート、・・・もとい、ヘリパッドの移動日です」。

「移動のために皆さんの手を貸してください。 パッドの下には移動用の車が付いていますから,押せば動きます」。

 「不要になった基地は何時でも移動できる便利なヘリパッドです」。

ここで奇妙な夢から覚めた。

「海上基地」はアクアポリス?

そして今度はヘリパッド?

やはりこれは悪夢だ。

                   *

十数年前、時の首相橋本竜太郎とビル・クリントン大統領は普天間基地の移設に合意した。

移動した先の基地固定化を避けるため、いつでも移動できる海上施設が考えられた。

県民は海洋博の海上都市・アクアポリスをイメージした。

海上基地の場所を何所にするかで議論が起きた。

真っ先に手を挙げて誘致を希望したのは当時の名護市長比嘉鉄也だった。

名護市の「民意」は海上施設受け入れに「賛成派」と「反対派」の二つに割れた。

地元メディアは反対派を支持し結論を「市民投票」と言う直接民主制に求めた。

結果は反対派が多数を占めた。

法的拘束力を持たぬ市民投票に基地移設は馴染まない、と判断した比嘉市長は受け入れを正式表明し、同時に市長辞任も表明した。

住民投票による「民意」を覆して異説受け入れた比嘉市長の「苦渋の決断」に、大田知事、地元メディアそれに「町の声」は怒り狂った。

当時の沖縄タイムスは次のように報じている。

≪沖縄タイムス <1997年12月25日> 

政治生命断ち決意/ 比嘉市長、市益を優先/ 海上基地受け入れ表明/「責任、すべて私に」

何だった市民投票/ 市民を無視している/ 受け入れは予測できた/     活性化のため仕方ない /政治には失望した
 
 【東京】「ここにヘリポートを受け入れると同時に、私の政治生命を終わらせていただきます」。二十四日午後八時前、首相官邸で橋本首相との会談後、比嘉鉄也市長は、苦渋に満ちた表情で海上基地の受け入れを表明した。受け入れ理由を「北部振興策も必要だし、また基地の整理・縮小も必要」と説明。さらに受け入れの代償として市長辞任を表明した。普天間飛行場の返還が浮上して一年八カ月。国、県、そして地元住民と大きく揺るがしたヘリ基地問題は着地点を見いだせないまま、一人の首長の決断で、終幕を迎えるのか。市民投票で示された過半数の「反対意思」は、橋本首相を前に市長の一言でくつがえされた。・・・・・以下略・・≫

見出しの文字の多さに記者の怒りと動揺が垣間見える。

記事は19歳から59歳までの男女10名の「市民の声」を報じた。

その10名全員が「住民を馬鹿にしている」とか「将来ある子供たちのために絶対に基地建設はさせない」に代表されるように反対表明をしている。

比嘉市長は自分が辞任することで責任を取り、次の市長選挙に市民の判断を仰ぐと言った。

市長選挙は名護市だけでなく県民を巻き込んだ戦いとなった。

橋本総理と普天間移設に合意していながら、反対派候補の応援をした大田知事に橋本総理が怒りも露(あらわ)なコメントをしている。

「知事の強い要請に基づいて進められてきた日米特別行動委員会(SACO)の合意を自ら否定されるのであれば、どうしようもない」・・・と。

結果は比嘉市長の下で助役を務め、海上施設賛成で立候補した岸本健男が勝利した。

そして十数年の時が虚しく流れた。  

誰もが危険を認める普天間基地はそのままにして。

その間に「反対派」大田知事に対する「賛成派」稲嶺が圧勝して「民意」が大きく揺れた。  普天間基地隣接の沖縄国際大学に米軍ヘリが墜落したのも、その長い無為の期間中であった。

 「民意」の揺れは現地である名護市でも起きた。

「賛成派」岸本市長の跡を継ぐ「賛成派」島袋が「反対派」候補に勝利した。

揺れ動く民意のうねりに耐えかねて稲嶺知事は遂にローマ人(沖縄方言で老耄・ロウモウの人)と成り果てた。

いわく「米軍再編は高く評価」、「沿岸案には反対だ・・・が、陸上に暫定ヘリポート(移動可能なヘリパッド?)を造ってくれ」。

稲嶺知事は大田前知事とは対極の民意で当選しておりながら、「15年使用期限」、「軍民共用」と、実現不可能な無理難題で徒に10数年の年月を無為に過ごした。  その間「普天間基地」の危険さには拱手傍観した。

そして今度は陸上のヘリポート設置とは。

                   ◇

大田前知事は「代理署名拒否」と言う武器を振り回し、首相と移設を合意しながら反対派の市長選挙の応援をした。

首長の「苦渋の決断」が大好きなメディアは大田知事の周りに群がった。

大田知事はおそらくは当時の知事の中では一番メディア露出度の高い知事だっただろう。

知事選敗退後、そのメディアの後押しを受けて、大田知事は現在参議院議員室で悠悠自適の老後を送っている。

稲嶺知事もローマ人化したのを機に、沿岸案実施の際の「公有水面埋め立ての許認可権」と言う武器を振り回して全国メディアに「苦渋の知事」を訴える。

そしてやがて知事退職後は参議院議員室に引きこもる遠大な老後の計画を考えているのかもしれない。 

大田前知事の古事に倣って。

 

 


朝日の天皇制論 「本音では打倒だが・・仕方ないか」

2006-05-05 16:02:19 | 未分類

憲法記念日はほぼ一日中外出していたので、落ち着いて新聞に目を通すことは無かった。

今振り返って各紙の社説を見ると、これが必ずしも憲法論議一色ではない。

因みに全国五紙と沖縄二紙の社説の見出しを列挙してみると、

朝日 「軍事が突出するあやうさ 米軍再編最終合意」
毎日 「憲法記念日 情熱をどう取り戻すか 改正空騒ぎのあとしまつ」
読売 「憲法記念日 小沢さんの改憲論はどうなった」
産経 「あす憲法記念日 脅威への備えは十分か 9条改正して自立基盤作ろう」(2日)
日経 「在日米軍再編を日米の共通利益に」

沖縄タイムス「憲法改正論議]機が熟したとは言えない
琉球新報  「米軍再編最終報告・基地固定化を危惧する/一体的返還の実効性に疑問」

という具合で、三紙が米軍再編問題を取り上げた。

日米安保協議と重なったため、3日付社説が憲法一色とはならなかった。

憲法を論ずるには国の安全保障論議は必須であり、国の安全保障を論ずるには自衛隊の存在、日米安保を論じなければならない。

その意味では米軍再編への日本の対応も憲法抜きでは考えられない。

朝日、日経、琉球新報には憲法に関する社説は出なかった。

敢えて憲法論議を避けたというべきか。


                  ◇

朝日新聞は昨日四日の社説で「天皇と憲法を考える 国民と伝統に寄り添って」と題して、憲法問題を「天皇制」に絡めてバトルに持ち込むつもりかと思ったら意外な内容にいささか拍子抜けをした。   

朝日新聞の世論調査は、78年から象徴天皇制について断続的に聞いてきたが、支持率は常に80%を超えている。≫という通り、朝日自ら実施して来た30年にも渡る世論調査に「常に80%を超える支持率」には流石の「天皇制」嫌いの朝日もひれ伏さざるを得ないのだろう。

朝日の社説本文中、何度か「天皇制」と言う言葉が出て来るが、この言葉は明治憲法制定の時には言葉として存在していなかった。

因みに明治憲法は立憲君主制を基調にした憲法である。

古代日本には言霊(ことだま)と言うことが信じられていた。
言霊とは言葉に宿っていると信じられる不思議な力のことであり、それが更に進んで言霊により、発した言葉どおりの結果を現す力があるとされた。

ある思想・信条を持つグループがその思想をある言葉に秘めて使い続けると、その言葉を聞いた瞬間一つのイメージの呪縛に取り付かれる。

「天皇制」と言う言葉は本来共産党が、自分達の天皇に対する呪いの言霊を込めて使った造語であり、日本の歴史には左翼の登場以前には存在しない。

1922年、日本共産党が秘密裏に結成され、「君主制の廃止」をスローガンに掲げた。

1932年のコミンテルンテーゼは、共産主義革命を日本で行うため日本の君主制をロシア帝国の絶対君主制であるツァーリズムになぞらえて「天皇制」と表記した。(この日本共産党に対する指令が有名な「32年テーゼ」でこれについては稿を改めて書きたい)

そして天皇制と封建階級(寄生地主)・ブルジョワジー(独占資本)との結合が日本の権力機構の本質であると規定した。

第二次世界大戦が終結するまで「天皇制」は共産党の用語であり、一般には認知されていなかったが、現代では共産党と関係なく一般にも使用されている。

戦後の新聞メディアは戦前の反動で左翼に傾き共産党造語の「天皇制」を唯々諾々と使用し一般にも無抵抗に使用され出したのだ。 その意味では共産党の作戦は一部成功した。

今でも共産党の「天皇制廃止論」に従う人はこの言葉に呪いの言霊を込めて「天皇制」、「皇民化政策」等と使用している。

二つの新聞が言論・思想を牛耳る沖縄では「天皇制」に対し、特にこの傾向が多く見られる。

地元新聞の活躍で沖縄では、「天皇制」と言えば、「軍靴の響き」、「戦争」、「侵略」、
「住民虐殺」等々と言霊が彷徨い出して来る。

最後にはコミュンテルンが指令した「32年テーゼ」つまり「天皇制打倒」と言うスターリンの亡霊にまでたどり着く。

「天皇制」は日本共産党内部の「業界用語」であり、その後には当然の如く「打倒」と言う言葉が対句で連なり「天皇制打倒」で熟語は完成する。

しかし、沖縄メディアの師匠・朝日新聞といえども80%を常に超える支持率には抗す術も無い。

「本音では打倒したいが、仕方が無い・・・」、と言うのが本音なのだろう。

                        *

◆朝日新聞社説 2006年5月4日

天皇と憲法を考える 国民と伝統に寄り添って     
 
 「日本国憲法および皇室典範の定めるところにより、ここに、皇位を継承しました」。元号が昭和から平成に変わって2日後、天皇陛下は即位後の儀式で、こう述べた。服装は列席の各界代表と同じようにモーニングコートだった。

 昭和が始まるときの儀式はどうだったか。昭和天皇は陸海軍を統帥する大元帥の礼服に勲章を帯び、「朕(ちん)、皇祖皇宗の威霊に頼り万世一系の皇位を継承し」で始まる勅語を読んだ。

 こうして二つの儀式を比べると、戦前と戦後の天皇の違いがよくわかる。

 明治憲法では、天皇の地位は神代からの神聖なものとされた。日本国憲法は「主権の存する国民の総意に基づく」と定めている。天皇の役割も「統治権の総攬(そうらん)者」から、国政に関する権能を持たない「象徴」へと変わった。

●御真影から記者会見へ

 そんなことを思い浮かべたのは、昨年来、皇位継承の問題をきっかけに、天皇制のあり方や憲法との関係などが論議されるようになったからだ。

 天皇と皇室は長い歴史と伝統を持つ。連綿と続く血統がある。しかし、それだけで、一般の国民と違う特別な地位を与えられているわけではあるまい。

 近代になって、明治憲法が歴史と伝統を踏まえたうえで、その時代にふさわしいように天皇制を位置づけた。さらに敗戦後、日本国憲法によって、天皇の位置づけは大きく変わった。天皇の権威が無謀な戦争に利用された苦い経験からだ。

 天皇制はどう変わってきたのか。憲法はどんな役割を果たしているのか。そうしたことを、この機会に考えたい。

 戦後、国民が最も驚いたのは、天皇の姿や肉声がよく伝わるようになったことだろう。

 「新憲法きょうから施行」。大きな見出しを掲げた47年5月3日の朝日新聞に、もうひとつ「天皇陛下、記者と初の会見」の大きな見出しがある。

 昭和天皇が皇居内で、奉仕作業を見ていた記者たちのところへやってきた。記者たちは天皇を囲み、地方視察の感想や研究のことなどを質問した。その一問一答がくわしく掲載されている。

 「復興には石炭が大事だから、機会があれば炭鉱にも行きたい」「私の生物学も、趣味でやっているから、なかなかものにならなくてね」

 戦前の天皇は「現人神(あらひとがみ)」だった。天皇と皇后の写真は御真影と呼ばれ、全国の学校につくられた奉安殿や奉安庫の奥深くにしまわれた。その前を通る時は必ず最敬礼しなければならなかった。

●国民ときずなを強めた

 記者会見やお出かけなどが報道されるようになって、国民と皇室の垣根が低くなった。その垣根をいっそう低くしたのが、59年の皇太子ご成婚である。

 市民の家庭に生まれた美智子さまと恋愛の末に結ばれたことは、皇室ブームを巻き起こした。子育てや手料理など、日常生活にまで大きな関心が集まった。

 おふたりは、天皇、皇后になってからも福祉施設を訪ね、被災地の住民を励まし、戦地の慰霊の旅を重ねてきた。

 朝日新聞の世論調査は、78年から象徴天皇制について断続的に聞いてきたが、支持率は常に80%を超えている。

 多くの国民と同じような家庭をつくり、平和の大切さを説き、恵まれない人たちに手を差しのべる。そうした皇室のあり方が共感を呼び、国民とのきずなを強めていると思う。そのような行動は、国民主権、平和主義、基本的人権の尊重という憲法の精神に沿おうという天皇の意思の表れでもあるだろう。

 いや、天皇が敬愛され、皇室がいまなお続いているのは、そんなことからではない。千数百年も男系で受け継いできた伝統こそが天皇制の核心である。皇位継承をめぐり、そう主張する人もいる。

●時代に合わせてこそ

 もちろん、伝統を抜きにしては天皇制は語れない。だが、伝統とは何だろう。

 男系での継承は、確かに重い意味を持ってきた。しかし、それを支えたもののひとつに、側室制度があった。これを復活させることはできまい。だからといって、戦後すぐに皇籍を離れた人たちをいまになって復帰させても、国民の気持ちをつかめるだろうか。紀子さまの出産しだいで、当面、男系を維持できるかもしれない。しかし、長い目で見れば、男系にこだわることが、かえって皇室の存続を危うくすることになりかねない。

 そもそも長い歴史の中で、天皇は剣を帯びる武人から、文化的、宗教的な権威に変わってきた。

 古来の伝統も変化してきた。即位後の大嘗祭(だいじょうさい)は皇位継承に伴う重要な儀式だが、長く断絶した時期があった。明治になって加えられた皇室祭祀(さいし)もある。

 伝統のどれを残し、どれを変えるか。皇室は時代に合わせて柔軟に動いたからこそ、長い歴史を保ってきた。戦後も新たな伝統が積み重ねられている。

 古来の伝統や文化を大切にして継承する。同時に、国民の意識や考え方に寄り添っていく。それが国民の求める皇室像ではないか。それはまた、天皇を「日本国と日本国民統合の象徴」と定める憲法の精神にもかなうことだろう。

 
 


 

 


 


「ビューティフルコンサート」鑑賞記

2006-05-05 07:59:36 | 未分類

新聞折込の中に見慣れぬ広告を見た。

「カサブランカ」から「風とともに去りぬ」まで、と題したDVD付きマガジンの宣伝であった。

映画評論家の水野晴男が世界名作映画の感動の名場面を解説した雑誌を見ながらDVDでハイライトシーンを楽しむと言う企画だ。

取り扱い名画100選のリストを見ていたら、嘗て見た名画のシーンが蘇ってきた。

 巧みな宣伝に乗せられたのか、と思いつつもリストを目で追っていくと思い出のシーンとともに大編成のオーケストラによるスクリーン・ミュージックが頭の中で響いてきた。

そういえば大編成のストリング・オーケストラが奏でるスクリーンミュージックを生では聴いたことは無い。

 映画が銀幕と呼ばれ唯一の娯楽であった頃、大スクリーンの映像にに胸を時めかしたあの日あの頃。

憧れの映画スターと共に想い出のスクリーンミュージックが蘇る。

「慕情」、「風と共に去りぬ」、そしてマフィア映画にも名曲があった。
「ゴッドファーザー」~ゴッドファーザー 愛のテーマ。

そして007シリーズも名曲の宝庫だった。
「ゴールドフィンガー」、「ロシアより愛をこめて」等々数え出したらきりが無い。

大画面が訴えかける視覚の記憶と共に、忘れられないのはフルオーケストラの迫力で観客に迫る映画音楽の魅力である。

学生時代クラブ活動でオーケストラに属して下手なヴァイオリンを引いていたせいもあり、クラシックのコンサートはに若い頃からよく行った。

日本ではオーケストラのコンサートといえば、クラシックコンサートと相場が決まっている。

最近は葉加瀬太郎や河井郁子のようにクラシック畑の演奏者がポピュラー音楽を演奏するケースも増えたが、マントバーニーオーケストラやパーシーフェイスオーケストラのようなポピュラー音楽を演奏する専門のオーケストラは日本には無い。

普段クラシック専門の交響楽団が片手間にポピュラー音楽のコンサートを時折企画しているに過ぎないのが現状だ。

プロにせよアマチュアーにせよ、大編成のポピュラー専門のオーケストラが無いのはやはり需要と供給のバランスと言う経済法則故なのだろうか。

ところが沖縄にその需給による制限をを見事に打ち破って聴衆に思わぬ感動を与えた大編成のストリング・オーケストラがあった。                    

                       *

一昨日の憲法記念日。

 偶々友人が主唱するヴァイオリン教室の発表会を付き合いで聞きに行って思わぬ拾い物をした。

自分の子供をヴァイオリン教室やピアノ教室に通わした経験上、この手の「おさらい会」には過去何度か参加したことがある。

出演者は勿論その教室の生徒達で聴衆は殆どが父兄やその親族。

自分の子や孫が演奏する時は必死で手に汗を握って舞台を注目するが、その僅か1-2分の演奏が終わると急に気が抜ける。

後は他の出演者の幼い名演奏を欠伸を噛み殺しながら聴く我慢大会と化す。

それでもピアノ教室の場合はまだ救われるが、これがヴァイオリン教室の発表会ともなると退屈を通り越して苦痛となる。

 ピアノは鍵盤を叩けば同じ音が出る。

 が、ヴァイオリンの場合初心者が出す音は、「キーコ ギーコ」で音程もままならない。

我が子の弾く音なら我慢も出来るが、他人の子供の音となるとこれは地獄だ。

そんな地獄のヴァイオリン教室の発表会に自分の子供が出演するわけでもないのに、友人の主唱する教室とはいえ物好きにも発表会を聴きに行った。

当日の賛助出演するアマチュア楽団でチェロを弾いている別の友人の付き合いで行ったのだ。

最初は件の楽団は生徒達の引き立て役の「おまけ出演」かと思ったが、これが思わぬ拾い物だったのだ。

その訳を説明するには先ず当日のプログラム構成を説明しなければならない。 プログラムは三部に分かれていて第一部で全生徒が同時に舞台に広がり簡単な曲を合奏する。  

一人一人の演奏をソロで聴くと地獄を感じる音色や音程もこれが大人数で弾くと一つの音程、音色に収斂され地獄の音が天使の音にも聞こえる。

これが弦楽器の摩訶不思議なところ。

それに合奏と言っても同じ旋律を弾く単調なユニゾンではなく、全体が二部に分かれてチビッ子やお年寄りの初心者はメロディーパートを弾いて、お兄ちゃんお姉ちゃんの中・上級者がメロディーにオブリガートを付けて曲に変化を持たしている。

この初心者集団のヴァイオリン合奏が聴衆に心地よい感動を与えた。 

最早地獄の演奏会ではなく天使の演奏会であった。

 第二部は地元の音楽家二人による本格的声楽リサイタル。

細身の体ながら朗々と高音がのびるテナーの松尾英章さんが武田光史さんのピアノ伴奏で御馴染のイタリア民謡で聴衆を楽しませてくれた。

そして愈々、拾い物・・失礼、お待ちかねのオオトリがアマチュア楽団を含む大編成のストリングオーケストラだった。

件のアマチュア楽団を中心に、ヴァイオリン教室の上級者、教室主唱者の音楽仲間が20名近くも加わってチェロ、コントラバスも複数付いた大ストリングオーケストラは圧巻であった。

しかも指揮者は沖縄の楽壇では第一人者とも言える、琉球大学音楽科教授の糸数武博さんだからとても一ヴァイオリン教室の発表会とは思えない豪華な顔ぶれだ。

 第三部の曲目は最初の一曲だけはヴァイオリン教室らしくバッハのブランデンブルグ協奏曲第三番だったが、後の三曲は「オリジナル編曲」によるいわゆる映画音楽であった。

地元在住の作曲家山城功さんのアレンジによる「サウンドオブミュージック・メドレー」は若き日に大スクリーンから迫ってきた大編成のオーケストラを彷彿とさせた。

だがどうしてもここで強調しておきたい事が一つある。 

 曲のアレンジだ。

最近沖縄の音楽と言えば沖縄民謡を中心にジャズやロックが有名で、クラシックのアマチュアオーケストラも頑張っている。

しかし、山城さんのような才能の発揮出来る場所は非常に少ない。

 そんな中、地元の音楽家だけで編成した大編成のストリング・オーケストラが演奏する地元作曲家アレンジのスクリーンミュージックを生で聞けたのだ。

これが思わぬ拾い物でなくてなんであろう。

音楽会の性質上入場無料だったのが勿体無いくらいであった。

本土のプロオーケストラでも余り例を見ないオリジナルアレンジによるスクリーンミュージックを大編成のストリングオーケストラが演奏する。 

沖縄では今までには無い新しい音楽分野であろう。

演奏も曲のアレンジも素晴らしかったが演奏会場も沖縄では一流で、あの五島みどりも同じ舞台に立った「シュガーホール」であった。

 因みに発表会のタイトルは「ビューティフル コンサート」と題していたが、出演者のちびっ子から最高齢の生徒の70歳のご婦人まで皆輝いていてビューティフルであった。


亀田興毅への手紙 

2006-05-04 10:43:10 | 県知事選

格闘技ブームである。

その昔、同世代を生きたファイティング原田や海老原博幸に声援を送った青春の日々。

当時は最軽量級がフライ級でその次の軽量級はバンタム級であった。

そういえばもう一人の同世代のボクサー、記録より記憶に残るボクサーがいた。

原田、海老原と並び「軽量三羽烏」と言われた青木勝利だ。

強打で知られ「練習しなくても強い」と言われた青木が当時「黄金のバンタム」と言われたバンタム級世界王者にジョフレ挑戦した時の事を昨日のように覚えている。

40年以上も前の東京。

その時私は代々木上原駅近くにある友人のボロアパートの一室で友人数名とともに酒盛りをしながらラジオの実況に耳を傾けていた。 勿論テレビが今のように普及する前のことだ。

一ラウンド開始から青木の強打が炸裂した。

実況を伝える上ずったアナウンサーの絶叫。

「青木の左右の連打にジョフレ、ロープ際に追い詰められました!」

「青木、 チャンスです! 世界王者は防戦一方です!」。

≪青木のノックアウトシーンを見たい!≫

ラジオはそのままにして、一同部屋をいっせいに飛び出した。 靴を履くのももどかしく。

目指すは後楽園のボクシング会場、・・では勿論無かった。

目指すは決戦高田の馬場でもなく、アパート近くの食堂であった。

その頃は客寄せのためにテレビを置いてある食堂が我々にとっては、見たいテレビ番組の観賞の場であったのだ。

満席の食堂に飛び込んで見たテレビ画面に映っていたのは、リング上で大の字になって伸びているジョフレ、・・ではなくて、練習しなくても強い(筈だった)青木勝利だった。

因みに原田も海老原も世界チャンピオンになったが青木はその後酒におぼれて身を持ち崩した。 それでも東洋バンタム級チャンピオンだったが・・。

皮肉にも青木が華やかなフットライトを浴びて試合がテレビ放映されたのはジョフレに一ラウンドノックアウトされたあの試合が最後であった。 

その後、地元の英雄具志堅用興に興奮し、ホープと期待した名護明彦の後援会にまで入った事のある古くからのボクシングファンとしては最近の亀田兄弟を中心のボクシングブームは嬉しい事だ。

・・・が、一寸待って欲しい。

確かに亀田兄弟の登場でボクシング人気が沸騰、テレビでもボクシング関連のニュースを多く流すようになった。

亀田兄弟の挑発的なパフォーマンスにメディアは大喜びで二人のテレビ露出度はボクサーの仲でも飛びぬけている。

試合以外のパフォーマンスでファンを弾きつけるの事は基本的には是としたい。

是はプロ野球における新庄のパフォーマンスをファンが支持しているのと同じ事だ。

しかし、新庄は敵のチームの選手や監督を侮辱するパフォーマンスは決してやらない。

そのド派手なパーフォーマンスにも自ずと節度とユーモアがある。

節度と品位を失ったパフォーマンスは野良犬の喧嘩と変わらない。 

たとえそれが格闘技でも結局そのスポーツを下品なガキ共のスポーツに陥れる。

昨日の「亀田興毅 世界前哨戦・最終章 」と銘打つ共同記者会見はパフォーマンスを通り越して見るものに不快感を与えた。(尤もそう思うのは私だけ?)

ランキング30位の外人選手を探してきて(自分はランキング4位)、散々相手をを待たした挙句、チキンをムシャムシャ食べながら現れ減量に苦しむ相手を徹底的に愚弄した。

いわく「お? なんや、オレの相手の頬、めっちゃコケてるやん。3日かけて日本に来たんやって? 疲れた顔してるし、かわいそうや。もう帰らしたりぃや。そんな頬コケて、コケコッコーやな(笑)」

メディアは揃ってこのパフォーマンス男に「ヨイショ ヨイショ」。

≪。体調はもちろん、口もますます絶好調の興毅が、あす、そして試合本番のあさってと“亀田劇場”盛り上げる!≫(スポーツナビ)

                        *

亀田興毅君!

明日の試合では相手の減量苦、ランキング、長旅の疲れ等々から、きっと君は勝つだろう。

そして世界チャンピオンになる日も遠からず来るだろう。

だがボクシングを下品なガキのスポーツにしたくなかったら、計量で苦しむ相手を威嚇や侮辱したりするのはパフォーマンスも度を越して下品だ。

試合後悪童風の受けを狙いで独特のパフォーマンスは大受けの半面、「やりすぎ」と眉をひそめる、昔からのボクシングファンが多いのも事実だ。

世界の頂点にたったときは、強さ・品格ともに備わったボクシング界の「真の王者」になってほしい。

少なくとも日本のサムライは強さと共に品格を求めた。 

上杉謙信が敵に塩を送った故事を学んで欲しい。

 

◆スポーツニュース - 5月3日(水)19時3分    

亀田興毅、計量前日に食べて飲んで言いたい放題

亀田興毅は計量前日でもチキンをほおばる余裕ぶり【スポーツナビ】
  
 余裕の亀田、トリ肉うまいわ~。5月5日に東京・有明コロシアムで行われる「世界前哨戦・最終章」を2日後に控えた3日、ボクシングWBA世界フライ級4位の亀田興毅、対戦相手のWBC世界フライ級30位カルロス・ファハルドがそろって共同記者会見を開いた。

 先に着席したファハルドから遅れること約5分、登場した亀田興毅の姿にどよめきの声が上がった。服装にではない。なんと、興毅は「葛飾で買ってきた」というチキンの骨付きもも肉(塩味)をムシャムシャと食べながら登場したのだった。
 「お? なんや、オレの相手の頬、めっちゃコケてるやん。3日かけて日本に来たんやって? 疲れた顔してるし、かわいそうや。もう帰らしたりぃや。そんな頬コケて、コケコッコーやな(笑)」
 あすに迫った計量を前に「オレはいつもこの体重やし、減量がないから楽やで」と、さらにはジンジャーエールまでもゴクゴクと飲み干す興毅。一方、計量前のボクサーにとって一番見せられたくない光景を、しかも対戦相手に目の前で見せられたファハルドだったが、「特別な印象はない。ニカラグアの親しい友だちのボクサーもよく似たことをやっていた人がいたからね」と至って冷静にコメントを述べた。
 「やっぱ、疲れてるやろ。コメントも面白くないやん」と散々食べて飲んで、言いたい放題の興毅だったが、これは恒例のパフォーマンスでもなんでもないという。「あしたが興毅の本番や」と父でありトレーナーである史郎氏が匂わしているように、前日公開計量でさらにド肝を抜くパフォーマンスが見られそうだ。

 また、試合そのものに関しては、「そうやな。試合は5月5日やから、5ラウンド以内で倒すわ。今のオレは強いよ」と興毅は早期決着を宣言。体調はもちろん、口もますます絶好調の興毅が、あす、そして試合本番のあさってと“亀田劇場”盛り上げる!

■亀田興毅 世界前哨戦・最終章
5月5日(金・祝)東京・有明コロシアム 16:00開場 16:30第1試合開始 19:00メーンイベント開始予定

<メーンイベント フライ級 10回戦>
亀田興毅(協栄/WBAフライ級4位)
カルロス・ファハルド(ニカラグア/WBC世界フライ級30位)

<ウェルター級 8回戦>
渡部信宣(協栄/日本ウェルター級5位)
ルイス・オカモト(相模原ヨネクラ/日本ウェルター級9位)

<スーパー・バンタム級 8回戦>
瀬藤幹人(協栄/日本Sバンタム級8位)
佐藤 昭(花形)

<スーパー・フライ級 8回戦>
亀田大毅(協栄)
キティポップ・サンディジム(タイ)

<スーパー・フェザー級 6回戦>
木村 篤(シャイアン山本)
石戸 聡(新開)

<スーパー・バンタム級 4回戦>
小沼直也(協栄)
竹内則雄(ワタナベ)
(スポーツナビ) - 5月3日20時45分更新
 
 

 

 


憲法記念日 沖縄で平和を考える

2006-05-03 08:11:36 | 普天間移設


今日は「憲法記念日」

昨日以来、我が家の愛読紙・琉球新報が護憲論議にウズウズしているのが紙面ににじみ出ている。

一昔前までは憲法論議など、とんでもない反動主義者の為す技で論議自体がタブーであった。

時代は変わるものだ。

今朝の琉球新報には「識者」や「町の声」の憲法論議が溢れている。

昨日の新報社説もいち早く憲法を取り上げていた。

文中で「改憲論議は大いに結構」と、度量の有るところを示しながら,タイトルは「輝きを増す『九条』」と来た。

そして「平和憲法」と言う情緒的文字が冒頭部分を飾る。

「改憲論議は大いに結構」と言いながら「輝きを増す九条」とか「平和憲法」とかの、思い入れたっぷりの文言は冷静な議論には馴染まない。

憲法論議はあえてパスをして、今日は「平和」について考えて見たい。

              
                   *

沖縄・那覇の平和通り
 
那覇の国際通り沖縄三越の前から牧志市場に入る通りを平和通りと言う。

戦後間もない頃戦火に荒れた那覇でいち早く復興を始めた那覇市場界隈を通る道の名称を那覇市が公募して決まった名前だ。

この一帯は戦前は一面に田園が広がり国際通りはいわばあぜ道のような通りだったと言う。

平和通の命名者は家庭の主婦だと聞いた。

心から平和を願う1主婦の素朴な気持ちが平和通りの名前に表れていると思う。

長い冷戦期間がソ連の崩壊と言う劇的幕切れで終結してから様相が変わってきた。

「平和」と言う言葉があの主婦の純な願いとは大きく外れて一人歩きを始めた。

平和とは、一部の例外を除いて、人類全てが希求する「状態」のはずだった。 

が、支持すべき社会主義陣営の崩壊に動揺した左翼グループは「平和」にイデオロギーを埋め込んだ。

この作戦に対して特に心の純な人、やさしい人達程は何の免疫も持たなかった。

次々とグループが増殖を始めた。

この細胞は学校の教科書に転移した。

更に「ジェンダーフリー」「男女共同参画」「人権擁護」と言った名前を聞いただけでは誰も逆らえないようなテーマにも「平和」は飛び火して行った。

教科書への細胞転移先は「歴史教科書」だけではない。

小学校低学年の「家庭科」は今や転移増殖の巣と化した。

性教育と言う名目のポルノ教育がカラーの図解で教えられている。

同じ教材を狼魔人が見たら二十歳の頃でも興奮して2,3日眠れなかったであろう。

又家庭科では「未婚の母」は「自分の意志で子供を持った自立したシングルマザー」と教える。
書き始めたら限が無い。 

話がすぐ脱線するが、 「平和」に話を戻そう。

日本人の抱く概念の「平和」と言う言葉は国連安保理の常任理事国にはない。

少なくとも中国には「平和」と言う語彙は無い。

あるのは「和平」と言う概念だ。「和平」の語源はPEACEだ。

そもそも、「PEACE」は「PACIFY」(平定する)と言う言葉の派生語だ。

圧倒的軍事力が相手を平定し、そこに訪れる秩序が「和平」であって、日本の言う「平和」という「静的」概念は国連安保理では通用しない。

日本語で「太平洋」と訳した[the Pacific Ocean]のPacificも『(提案・政策などが〉和解[融和, 妥協]的な』という意味であって、「平和の」と言う意味は無い。

Pacificの語源であるラテン語・pcificus は「平和の状態」では無く何事かを働きかけて平和を作るといった意味である。(px平和+facereつくる).

強力な力の誇示で平和を維持したローマであれ、モンゴリアであれ、ブリタニカであれ、アメリカ(★)であれ、そして国連であれ、「パックス・・・」の主体者とは、そういうものでしかない。

★(パクスアメリカーナ 7[(ラテン) Pax Americana] 〔アメリカの平和の意〕第二次大戦後、アメリカがその圧倒的な軍事力と経済力によって維持してきた平和。)

[pacific ocean] が  [peaceful ocean]では何か収まりが着かないニュアンスはプロ野球の「パシフィック・リーグ」を「ピーススフル・リーグ」と呼ぶに等しいほど「情緒的」である。

日本では「平和」は念仏のように唱えれば訪れる物と思っている人が多い。

これが正に情緒的である。 平和を語るに国の安全保障を冷静に論じなければならない。

安全保障問題を論じるのに情緒的言辞を弄しては問題の本質が見えなくなってしまう。


                   *

戦争論と平和学

「平和」の対立軸にあると思われる「戦争」「軍隊」と言う言葉は現在の日本では忌嫌われる。

その結果奇妙な言葉の言い換えがまかり通る。

先ず、世界の誰もが「軍隊」と認める武装集団を敢えて「自衛隊」と呼ぶ。

自衛隊の内部で「戦争」と言う言葉は禁句だ。 

これは「有事」と言う言葉に置き換えられる。

ふた昔ほど前、自衛隊が「有事」に備えて「戒厳令」の研究をしていたのをマスコミにすっぱ抜かれて大騒ぎになり当時の幕僚長が首になった。

時が流れ時代も変わったものだ。 その自衛隊が今イラクにいる。

小泉首相はそのイラク派遣も言葉の言いかえで憲法違反を誤魔化し通した。

何だって? イラクは戦争地域ではなく、戦闘地域だって? 

そして自衛隊の行くところは自動的に戦闘地域でもなくなるんだって? 良くわからん!

その一方、ナンでもカンデモ平和を唱えれば良いと言う人たちにも困ったものだ。 

曰く「平和憲法」「平和団体」「平和教育」等々。

水戸黄門の印籠じゃあるまいし、誰も「平和」の合言葉に逆らうモノはいない。 

もしそんな勇気あるものがいたら、忽ち「軍国主義者」「右翼勢力」「ファシスト」等々のレッテルを貼り付けられ議論も封殺される。

そのとき使われる言論封殺の常套句集。

その一:「いつか来た道」

そのニ:「軍靴の響きが聞こえてくる」

ニューヨーク911テロやロンドンの同時多発テロでマスコミは騒ぐが日本にはテロ対策の若手の専門家がいないという。

医学の研究には病気(敵)との戦いの研究が必要なのと同じく「平和」を獲得する為には「戦争」の研究に目をつぶってはいけない。

大学の講座に「戦争論」が無いのは日本だけと聞いたことがある。

その代りに「平和学」と言う講座がある。 

平和学では中国での「反日教育」のような歴史教育がなされている。

日本では一部の政治家,役人もそして一部の国民も憲法と国連を信じていれば平和が訪れると思っている人がいる。


                   *

戦争と平和

「戦争の反対は?」と問われたら、

誰でも「平和」と答えるだろう。

トルストイの名作『戦争と平和』からの連想で、「戦争と平和」という対句は我々になじみ深いからだ。

ところが「戦争の反対語は「平和」ではなく、「外交」である」という言葉がある。(野口武彦著『長州戦争』中公新書)

「平和憲法」の真髄というべき9条の条文を「戦争の反対は外交」と言う定理で吟味してみよう。

先ず条文では前段の「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使」を広義の「戦争」と定義し、「国際紛争を解決する手段として」はこれを放棄している。

では国際紛争の解決手段と一体何か。

戦争の対極を為すもの、・・それは「平和」と言う状態ではなく、「外交」と言う行動なのである。

言い換えれば、国際紛争の解決手段は平和を唱えるだけでは駄目だと言う事である。

平和主義者を標榜する人達の議論に「戦争さえなければ……」、何事もあまんじて受けるという人がいる。

戦争さえなければ平和が来ると言う「戦争と平和論」である。

植民地状態、圧政、差別、奴隷状態は、戦争ではないが平和とは言えない。「戦争さえなければ……」という一部平和主義者の発想は、戦争以外は何でも受け入れると言う、奴隷肯定主義者と変わりはない。

では戦争の対極の外交をすれば国際紛争は解決できるか。

現実はそう簡単にはいかない。

相手の言いなりになるのなら話は簡単で、それでは奴隷肯定主義者と変わらない。

実際の紛争解決の外交は「平和的話し合い」で解決する例は殆ど無い。

「対話と圧力」と言う言葉がここで出てくる。

それでは目下懸案の北朝鮮による「拉致問題」の解決を、憲法9条で言う「国際紛争を解決する手段」たる外交交渉に当てはめてみよう。

「平和的話し合い」がかみ合わず、空回りしているのは周知の通りで、「対話と圧力」の圧力さえ加えられないのが実情である。

自分で出来ない「圧力」をアメリカ議会や大統領に依頼する日本の現状は昨日も書いた。

北朝鮮は日本国憲法の第9条を熟知している。

「国際紛争を解決する手段としては、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、永久にこれを放棄する。」・・・これでは相手に足元を見られて圧力どころの話ではない。

最近の竹島を巡る日韓の対立も、本音では両国首脳は軍事的解決は極力避けるべきだという常識を持っているだろう。

だが、軍備なくして外交はあり得ない。

軍備なしで外交交渉に臨めば、戦争は避けても自国に奴隷状態を招く危険がある。

そうした冷厳な事実は、中国の戦国時代であろうが、二十一世紀の今であろうが少しも変わらない。

平和は単なる安易・安楽の状態ではなく、戦争と同様、厳しく緊張に満ちた外交で勝ち取るものだと考えるべきなのだろう。

「戦争とは他の手段をもってする政治の継続である」。

クラウゼヴィッツはその著書「戦争論」でこう述べている。



 

憲法第9条

1・日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
 
2・前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


小泉政治の光と影 雇用は本当に回復したか

2006-05-02 13:21:35 | 県知事選

今朝のテレビ朝日「スーパーモーニング」で≪変人総理の五年間 その光と影≫というテーマで片山さつき自民党議員と長妻昭民社党議員のバトルがあった。

何回かに分かれたシリーズの二回目で、今朝は経済改革がテーマだった。

そもそも経済の問題は地味過ぎてテレビ討論には馴染み難い。

バブル崩壊以来、経済学者の説く理論はほとんど社会に対して影響力を失ってしまった。

なぜ経済学は実際の経済に通用しなくなってしまったのか。

これにはいろいろな理由が考えられる。

医学の進歩が医術を細分化させ、一つの分野の専門家は他の分野に疎いと言った現象を引き起こした。

同じように、経済学の研究が細分化され数字を操る技巧に走り過ぎた。

現実の経済をさまざま要素に細分化して、その因果関係をいろいろな数式に当てはめて証明しようとした。

このような数学的理論性を主張するアメリカ型の主流派経済学に異論を唱えたのが先日亡くなった「不確実性の時代」その他の著書で知られるガルブレイスである。http://www.nikkei.co.jp/news/main/20060430AT2M30006300
42006.html

経済学も木を見て森を見ない愚に陥ったのかも知れない。

話をテレビのバトルに戻そう。
 
長妻昭: 「タクシーの規制緩和が過当競争を生み、労働者の給与を圧迫」

片山さつき: 「規制緩和しなければ新規参入が出来ない。 雇用も増えない」

又しても脱線。

突然、思考がフランスのデモ騒動へ飛んだ。・・・≪仏の若者雇用政策撤回≫

若者雇用政策とは≪企業が26歳未満の若者を雇用した場合、試用期間にあたる2年間は、理由を提示しなくても解雇できる≫という内容。

経済や雇用の論議は矢鱈と数字が出て来るので素人には判り難い。

テレビの長妻、片山の議論も三百代言の理屈の捏ね合い、或いは詭弁の弄し合いにも聞こえた。

ただでさえ判り難い議論に途中で思考がフランスへ飛ぶなんて、遂に狼魔人もローマ人と化したか。 (ローマ人とは沖縄方言でロウモウ・老耄の始めと云う)。

話を単純化するため「タクシーの規制緩和」を是とする片山氏を「改革派」と呼ぼう。

これを批判する長妻氏はこの件に関しては「保守派」になる。

フランスの「デモをで勝利を勝ち得た若者達」は、保守派になる、・・と言うと違和感を覚える人も居るだろう。 若者が常に改革の担い手とは限らない。

若者達に屈したフランス政府側が改革派なのだ。

フランス政府は「若者救済策」と主張していた。

背景には深刻なフランスの雇用事情がある。

フランスには、民間企業が大学新卒者を同時に大量採用する制度がない。

企業は、退職や転職で正社員に空きが出ると社員を募集する。
・・が、その場合には職能や職務経験を重視するため、新卒者は不利になる。

正社員には中高年が多くポストもなかなか空かない。 

空席待ち状態である。

このため、新卒者は無給や低賃金で企業研修を受け、正社員採用の機会を待つ。

一方、企業側にとっては、正社員として雇用すると、高額の社会保障負担を強いられ、手厚い労働者保護もあって解雇が難しい。

その結果、新規雇用には慎重になりがちだ。

このような事情で、25歳未満の若者の失業率は、全世代を通じた平均(9・6%)の2倍以上の21・7%にのぼっている。

この現実を変えるため、ドビルパン首相は、いわばショック療法で企業の雇用意欲を高めようとしたのだ。

実際、「解雇されても、とにかく職につきたい」とする失業者には、期待を抱かせる政策だった。

多くの失業者を抱え、昨年秋には大暴動が起こった移民地区でも、今回は激しい反対運動がなかった。

しかし、学生や労組の反対は政府の予想を超える激しさだった。

学生は、「雇用増」より「職の安定」を重視し、新制度導入は企業による解雇の乱発を招いて「使い捨て」雇用が横行すると反発した。

労組も、今まで保護されてきた正社員の地位が新制度で脅かされる危機感から大規模な抗議活動を展開した。

1968年の学生デモは、社会変革を求めるものだったが、今回は「フランスの伝統的雇用」保持の訴えだった。 

つまり既得権、終身雇用を守るためのデモだった。

それで結局何が云いたいのか、と言うと数字の出てくる経済や雇用の問題はテレビでには馴染みにくく、論理よりも弁舌滑らかで声の大きい人の論が正しいような気がする、と冒頭のボヤキニ話が舞い戻るわけ。

                    ◇

ついでだから地味な話題を承知で、雇用の問題に驀進する。

「雇用は増えた」、と言う意見。

一方「正社員と非正社員の固定化に過ぎない」と反論の意見。

これを、新聞記事で検証してみよう。

経済の問題は数字が出るから、どの新聞も大同小異だろうと思うのは素人の赤坂見付け、・・で乗り換えたら、では無く、浅はかさだ。(東京に詳しくない人へ:赤坂見附とは、地下鉄・丸の内線と銀座線の乗り換え駅で同じホームで乗り換え出来た)

いつも小難しい記事を書く日本経済新聞なら経済に関しては信用できると思う人も多いと思うだろうから取り敢えず日経の記事を。

◆日本経済新聞 2006年04月28日

05年度の完全失業率4.3%・3年連続で改善

 総務省が28日発表した労働力調査によると、2005年度平均の完全失業率は前年度比0.3ポイント低下し、4.3%となった。前年度を下回るのは3年連続。景気回復で企業が雇用を拡大しているのを受け、完全失業者数が289万人と前年度より19万人減った。雇用情勢は回復基調を続けているが、若年層の失業率はなお高く、一部に厳しさも残している。

 3月の完全失業率(季節調整値)は4.1%で前月比横ばいだった。男性は同0.2ポイント改善の4.3%、女性は3.9%と同0.3ポイント悪化した。

 厚生労働省が同日発表した求職者1人当たりの求人の割合を示す3月の有効求人倍率(季節調整値)は前月比0.03ポイント悪化し1.01倍だった。

 05年度平均の男女別の完全失業率は男性が4.5%、女性は4.1%で、ともに3年連続で改善した。就業者数は前年度より33万人増加。特に男性は8年ぶりに増加に転じた。 (10:54)


同じデータから書かれる記事でも記者の素質や見出しの編集で受け取る印象は大きく違う。

活字離れの昨今、見出しと最後の一行だけで済ます人も多い。

かく言う私も興味の無い記事は大抵これで済ますか、いやむしろ見出しだけの方が多い。

日経の見出し「05年度の完全失業率4.3%・3年連続で改善」を見ると、景気回復で三年連続の失業率減小で小泉首相の「経済改革」は成功した、の印象を読者に与える。

特に文末の「就業者数は前年度より33万人増加。特に男性は8年ぶりに増加に転じた」を見ると求職中の大黒柱のお父さんは自信回復、バラ色の希望を持っただろう。

ところが同じ日の同じネタをあつかった朝日新聞を見よう。

◆朝日新聞 2006年04月28日

3月の失業率、引き続き好調4.1%

 総務省が28日発表した3月の完全失業率(季節調整値)は、約8年ぶりの水準となった前月と同じ4.1%と、改善傾向が鮮明になってきた。これにより05年度平均は、前年度より0.3ポイント低い4.3%と3年連続で改善した。厚生労働省が同日発表した3月の有効求人倍率(同)も1.01倍と4カ月連続で1倍台。05年度の新規求人数は初めて1000万人を超え、過去最多となった。

失業率と有効求人倍率
 
 厚労省は「企業の業績回復が雇用に反映され、労働市場が活性化してきている」としている。一方で、若者の失業率は依然高いほか、正社員の求職者に対する求人数も0.64倍(3月)にとどまるなど、課題も残る。

 3月の男女別の完全失業率は男性が前月より0.2ポイント低い4.3%、女性が0.3ポイント高い3.9%だった。05年度平均では4.3%で、02年度の5.1%をピークに3年連続で下がった。

 3月の雇用者数は5424万人で、前年同月比で111万人増と13カ月連続で増加。一方で、完全失業者数は289万人で、同24万人減と4カ月連続で減った。失業の内訳をみても、リストラなどの非自発的失業が減り、自己都合の失業が増えており、よりよい仕事を求めて一時的に失業する人の割合が高くなっているとみられる。

 ただ、15~24歳の若者の失業率は9.8%。また、地域間格差も残り、1~3月平均で、最も低い東海は3.2%の一方、北海道では5.5%、東北では5.4%だった。

 一方、求職者1人当たりの求人数を示す有効求人倍率は、前月より0.03ポイント下がったが1.01倍と引き続き1倍台を維持した。05年度平均では前年度を0.12ポイント上回る0.98倍で、93年度(0.71倍)に1倍を割り込んで以降ではもっとも高い水準となった。05年度の新規求人数は1008万人と、初めて1000万人を超えた。

 だが求人数の増加を引っ張っているのは非正社員だ。3月の新規求人数では、非正社員は前年同月比4.2%増えたが、正社員は0.2%にとどまった。実際に就職に結びついた件数も、正社員が2.2%に対し、非正社員は3.6%だった。

 

見出しは日経が05年度の完全失業率を取り上げているのに対して、朝日も3月の失業率を挙げて景気回復感を読者に与えているのは同じ。

途中は経済記事の特徴で矢鱈と数字の羅列が何の解説も無く続く。

ただ文末に来ると先ほどのテレビ討論の命題「正規社員と非正規社員」にまで及んでポイントを突いた記述が続く。≪・・15~24歳の若者の失業率は9.8%。・・・ 求人数の増加を引っ張っているのは非正社員だ。3月の新規求人数では、非正社員は前年同月比4.2%増えたが、正社員は0.2%にとどまった。実際に就職に結びついた件数も、正社員が2.2%に対し、非正社員は3.6%だった。≫

日経と朝日の雇用に関する記事は朝日に軍配を上げる。

フランスの学生が起こして雇用に関するデモは日本の若者達にも同じ問題を突きつけているとまで視点が広がれば朝日を見直すのだが。



外交の切り札? 横田早起江さん米大統領と面談

2006-05-01 09:40:41 | 普天間移設

昭和30年代半ば頃、街には誰かが「アンポ」といえば「ハンタイ」と意味も無く返事が返って来るムードが溢れ「アンポハンタイ」をネタにした時事漫才があったくらいだった。

当時大学生で東京にいたが、女の子にモテルにはアンポハンタイを叫ばなければならないという笑い話もあった。

今時ほど「合コン」等という事は流行ってはいなかったが、それでも男子だけのクラスだったので都内の女子大生と何度か「合同コンパ」(当時はそういっていた)をした。

ある合同コンパの時、黙して語らない私に業を煮やしたのか、隣に座った理知的な美人が話題を振ってきた。

「先週の三里塚闘争には参加しました?」。

云うまでもないが、「三里塚」とは成田空港近くの三里塚でその地名は当時の学生運動の聖地的な響きがあった。

三里塚の名前だけは勿論聞き知っていたがノンポリ(政治的無関心者)の私が参加しているはずは無かった。

話振りから件の美女は参加してる様子。 参加したといえば話が弾んでひょっとしたら・・・ロマンスも、・・。

だが待てよ、・・それでは嘘がすぐバレてしまう。

本当の事を言えばモテナイこと請け合いだが嘘をついても・・。

悩んだ挙句の結論は第三の道だった。 ≪徹底的にボケ通そう!≫

「三里塚って、何ですかそれ。 一里塚なら毎年通るけど・・・」。

「イ・イ・一里塚?  一体それは何ですか」。

「正月のことですよ。  昔から言うでしょう『正月や 冥土の旅の一里塚 目出度くもあり 目出度くもない』って」。

「・・・・・・・・」

勿論その瞬間私の周りから女性の姿がサッと消えていったのは云うまでも無い。

ほろ苦い青春の一ページであった。


          ◇          ◇         ◇

 

「近隣の国とは仲良くするべき」・・最近の日中・日韓の緊張の際に絶えず言われ続けている言葉である。

どこの国とも、いやせめて近隣の国とぐらい仲良くしたいのは誰でも考える事。

しかし、実際は近隣の国ほどいざこざが起きるのが現実の世界だ。

フランスは隣国ドイツの脅威に絶えず晒されていた。

普仏戦争でパリに入城、第一次世界大戦でドイツの脅威に晒されたフランスは、第二次世界大戦ではナチス・ドイツによって、遂に国土のほとんどを占領されてしまった。

戦後は辛うじて戦勝国になり連合国の特権で国連の安保常任理事国入りした。

そしてこれも常任理事国の特権である核武装をした。

1960年代は国際的にも、国内的にも「アンポ」にとって激動の時代だった。

1960(昭和35)年に国内では日米安保条約の改定。
米ソ(1949)、イギリス(1952)に次いで、1960年にはフランスが原爆実験に成功。
同年中国(1964)が原爆実験に成功。
1962年にソ連がアメリカの目と鼻の先のキューバに核ミサイル基地を建設しようとした。

1960年代、世界は核による勢力均衡という時代に突入した。

国連安保・常任理事国は全て戦勝国であり核武装国である。


これだけの前置きで、昨日30日の琉球新報コラム・金口木舌の鋭い突っ込みを鑑賞しよう。

琉球新報 2000年4月30日 金口木舌

 フランスの独自外交路線を、元大統領ドゴールの名にちなみゴーリズムという。それは冷戦期、西側に加わりつつも米国と一線を画す「同盟すれども同調せず」の外交姿勢に象徴的に表れた
▼フランスは人口が日本の半分、GDPは4割程度のミドル・パワーの国だが、米英がイラク攻撃を始めた際には毅然と批判した。元沖縄サミット事務局長で、在仏日本大使館公使の山田文比古さんは、著書「フランスの外交力」で、その力の源泉をこう紹介した
▼「核保有国、国連安保理常任理事国、ヨーロッパの中原に位置する地政学的優位性、アフリカなど旧植民地との密接な関係、フランス語とフランス文化を通じた影響力など、フランス外交にはいくつかの切り札がある」、と
▼翻って、日本の切り札は何か。日本文化、ODA支援などが挙げられようか。だが、何より諸外国が戦後日本に対して抱く「平和国家」のイメージが重要と思う
▼向米一辺倒の政治家からすれば、平和な日本は「日米同盟があればこそ」だろう。しかし、その見方は一面的ではないか。本来、憲法の平和主義こそ「平和日本」の象徴である。そうであれば、九条を粗末に扱うのは外交の自殺行為になりかねない
▼「憲法記念日」を前に「切り札」としての九条の重みをかみしめたい。


フランス語やフランス文化はともかく、戦勝連合国の「会員制クラブ」である国連常任理事国であるということと、その結果もたらされた特権である「核軍備」がフランス外交の「切り札」である事は論を待たない。

それがあるからこそ、人口、GDPも日本のおよそ半分程度の「ミドル・パワーの国」のフランスが国際社会で自信に満ちた発言が出来る。

日本のお隣の厄介な三国も二国は核武装し一国は徴兵制で軍備を固めている。

一方新報コラム氏は「日本の切り札は・・・『平和国家』のイメージが重要と思う」と高らかに謳い上げる。

≪向米一辺倒の政治家からすれば、平和な日本は「日米同盟があればこそ」だろう。しかし、その見方は一面的ではないか。本来、憲法の平和主義こそ「平和日本」の象徴である。そうであれば、九条を粗末に扱うのは外交の自殺行為になりかねない。≫

「日米同盟による平和」が「一面的見方」だろうが、何であろうが、国民が外国に拉致されても自国では何も出来ずアメリカに助けを求めざるを得ないのが日本の現実。

横田早起江さんはアメリカに助けを求めて、米国議会で証言させてもらい米国大統領に面談して救出を訴えた。

相手(北朝鮮)を刺激するからと拉致家族に自国の国会証言の機会も与えず、自国の首相が拉致家族と面談したのは、2年前二度目の訪朝から帰国した時あった一度きりだけ。

これが平和国家日本の現実である。

現在アメリカは対北朝鮮に経済制裁発動中である。

これも相手を刺激するからと経済制裁も出来ない日本の現状を見て、「拉致被害当事国が経済制裁も出来ないのにアメリカ頼みはおかしい」と言う意見もアメリカの一部にあると聞く。

≪「憲法記念日」を前に「切り札」としての九条の重みをかみしめたい。≫

結語は高尚な平和の理想を謳い上げ痺れる名文である。

この一文だけでご飯が三杯お代わりできるくらいだ。(玄倉川の岸さんの名文)

尤も、オタカさん、・・まだ死語にはなっていない、土井たか子の顔が浮かんで直食欲を無くしたが・・。

国の安全保障論議には目を瞑り「日米安保」に耳を塞ぎ、外交の切り札を論ずる。

これは、木を見て森を見ず、・・・いや、話題の「偽装マンション」で構造計算には目を閉じて、カーテンの色を論ずるが如し。

求める平和国家日本の将来は砂上の楼閣、というより鉄筋を抜かれた「偽装国家」なのだろうか。

産経抄の云う外交力は「日本の経済制裁発動」を主張する横田早起江さんの毅然とした態度である。

 産経抄 平成18(2006)年4月29日[土]
 
 日本がこれほど鮮やかな“外交力”を示したことがあっただろうか。しゃんと背筋を伸ばし、言うべき主張に過不足がなく、相手の心をぐっとつかんで離さない。米国議会で毅然(きぜん)と語る日本人女性に、多くの米国人が共感を覚えたに違いない。

 ▼二十九年前、十三歳の長女を北朝鮮に拉致された母、横田早紀江さん(70)のことだ。過去の取材でも、これほど説得力ある証言者を小欄は知らない。彼女のように気品の中に迫力をもつ外交官がいたら、戦後日本の地位も違っていたのではないかと思う。

 ▼北朝鮮の将軍様はいまになって、「とんでもない女性を敵に回してしまった」と後悔しているだろう。悲しいことにその母の強さをつくったのは、ほかならぬ金正日総書記本人ではないか。平凡で幸せな家庭から愛(まな)娘を奪われ、北で助けを待つ彼女を思う母を強くした。

 ▼「四半世紀を超え、どの親も老齢のため、残された時間は多くありません」。早紀江さんの証言は感性に訴えるだけではない。「全世界の自由を愛する国民の総意で、『怒っている』と北朝鮮に態度を示していただきたい」。ダメな為政者たちに「時代のけじめ」を迫っていた。

 ▼スミス議員は「サミットはその絶好の機会だ」とブッシュ政権の尻をたたいた。新潟市内の拉致の現場を視察したシーファー米大使が、大統領をも動かした。早紀江さんらと大統領との面会ほど力づけられるものはない。

 ▼北が拉致を解決せず、ミサイル開発をやめないなら日朝首脳が合意した「平壌宣言」を見直せばよい。警察は北を支援する団体のどんな法律違反も見逃すな。「すべての被害者を助け出し、これからの人生を自由の地で過ごさせてやりたい」。早紀江さんのことばが胸を刺す。