◆今日は「憲法記念日」。
昨日以来、我が家の愛読紙・琉球新報が護憲論議にウズウズしているのが紙面ににじみ出ている。
一昔前までは憲法論議など、とんでもない反動主義者の為す技で論議自体がタブーであった。
時代は変わるものだ。
今朝の琉球新報には「識者」や「町の声」の憲法論議が溢れている。
昨日の新報社説もいち早く憲法を取り上げていた。
文中で「改憲論議は大いに結構」と、度量の有るところを示しながら,タイトルは「輝きを増す『九条』」と来た。
そして「平和憲法」と言う情緒的文字が冒頭部分を飾る。
「改憲論議は大いに結構」と言いながら「輝きを増す九条」とか「平和憲法」とかの、思い入れたっぷりの文言は冷静な議論には馴染まない。
憲法論議はあえてパスをして、今日は「平和」について考えて見たい。
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◆沖縄・那覇の平和通り
那覇の国際通り沖縄三越の前から牧志市場に入る通りを平和通りと言う。
戦後間もない頃戦火に荒れた那覇でいち早く復興を始めた那覇市場界隈を通る道の名称を那覇市が公募して決まった名前だ。
この一帯は戦前は一面に田園が広がり国際通りはいわばあぜ道のような通りだったと言う。
平和通の命名者は家庭の主婦だと聞いた。
心から平和を願う1主婦の素朴な気持ちが平和通りの名前に表れていると思う。
長い冷戦期間がソ連の崩壊と言う劇的幕切れで終結してから様相が変わってきた。
「平和」と言う言葉があの主婦の純な願いとは大きく外れて一人歩きを始めた。
平和とは、一部の例外を除いて、人類全てが希求する「状態」のはずだった。
が、支持すべき社会主義陣営の崩壊に動揺した左翼グループは「平和」にイデオロギーを埋め込んだ。
この作戦に対して特に心の純な人、やさしい人達程は何の免疫も持たなかった。
次々とグループが増殖を始めた。
この細胞は学校の教科書に転移した。
更に「ジェンダーフリー」「男女共同参画」「人権擁護」と言った名前を聞いただけでは誰も逆らえないようなテーマにも「平和」は飛び火して行った。
教科書への細胞転移先は「歴史教科書」だけではない。
小学校低学年の「家庭科」は今や転移増殖の巣と化した。
性教育と言う名目のポルノ教育がカラーの図解で教えられている。
同じ教材を狼魔人が見たら二十歳の頃でも興奮して2,3日眠れなかったであろう。
又家庭科では「未婚の母」は「自分の意志で子供を持った自立したシングルマザー」と教える。
書き始めたら限が無い。
話がすぐ脱線するが、 「平和」に話を戻そう。
日本人の抱く概念の「平和」と言う言葉は国連安保理の常任理事国にはない。
少なくとも中国には「平和」と言う語彙は無い。
あるのは「和平」と言う概念だ。「和平」の語源はPEACEだ。
そもそも、「PEACE」は「PACIFY」(平定する)と言う言葉の派生語だ。
圧倒的軍事力が相手を平定し、そこに訪れる秩序が「和平」であって、日本の言う「平和」という「静的」概念は国連安保理では通用しない。
日本語で「太平洋」と訳した[the Pacific Ocean]のPacificも『(提案・政策などが〉和解[融和, 妥協]的な』という意味であって、「平和の」と言う意味は無い。
Pacificの語源であるラテン語・pcificus は「平和の状態」では無く何事かを働きかけて平和を作るといった意味である。(px平和+facereつくる).
強力な力の誇示で平和を維持したローマであれ、モンゴリアであれ、ブリタニカであれ、アメリカ(★)であれ、そして国連であれ、「パックス・・・」の主体者とは、そういうものでしかない。
★(パクスアメリカーナ 7[(ラテン) Pax Americana] 〔アメリカの平和の意〕第二次大戦後、アメリカがその圧倒的な軍事力と経済力によって維持してきた平和。)
[pacific ocean] が [peaceful ocean]では何か収まりが着かないニュアンスはプロ野球の「パシフィック・リーグ」を「ピーススフル・リーグ」と呼ぶに等しいほど「情緒的」である。
日本では「平和」は念仏のように唱えれば訪れる物と思っている人が多い。
これが正に情緒的である。 平和を語るに国の安全保障を冷静に論じなければならない。
安全保障問題を論じるのに情緒的言辞を弄しては問題の本質が見えなくなってしまう。
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◆戦争論と平和学
「平和」の対立軸にあると思われる「戦争」「軍隊」と言う言葉は現在の日本では忌嫌われる。
その結果奇妙な言葉の言い換えがまかり通る。
先ず、世界の誰もが「軍隊」と認める武装集団を敢えて「自衛隊」と呼ぶ。
自衛隊の内部で「戦争」と言う言葉は禁句だ。
これは「有事」と言う言葉に置き換えられる。
ふた昔ほど前、自衛隊が「有事」に備えて「戒厳令」の研究をしていたのをマスコミにすっぱ抜かれて大騒ぎになり当時の幕僚長が首になった。
時が流れ時代も変わったものだ。 その自衛隊が今イラクにいる。
小泉首相はそのイラク派遣も言葉の言いかえで憲法違反を誤魔化し通した。
何だって? イラクは戦争地域ではなく、戦闘地域だって?
そして自衛隊の行くところは自動的に戦闘地域でもなくなるんだって? 良くわからん!
その一方、ナンでもカンデモ平和を唱えれば良いと言う人たちにも困ったものだ。
曰く「平和憲法」「平和団体」「平和教育」等々。
水戸黄門の印籠じゃあるまいし、誰も「平和」の合言葉に逆らうモノはいない。
もしそんな勇気あるものがいたら、忽ち「軍国主義者」「右翼勢力」「ファシスト」等々のレッテルを貼り付けられ議論も封殺される。
そのとき使われる言論封殺の常套句集。
その一:「いつか来た道」
そのニ:「軍靴の響きが聞こえてくる」
ニューヨーク911テロやロンドンの同時多発テロでマスコミは騒ぐが日本にはテロ対策の若手の専門家がいないという。
医学の研究には病気(敵)との戦いの研究が必要なのと同じく「平和」を獲得する為には「戦争」の研究に目をつぶってはいけない。
大学の講座に「戦争論」が無いのは日本だけと聞いたことがある。
その代りに「平和学」と言う講座がある。
平和学では中国での「反日教育」のような歴史教育がなされている。
日本では一部の政治家,役人もそして一部の国民も憲法と国連を信じていれば平和が訪れると思っている人がいる。
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◆戦争と平和
「戦争の反対は?」と問われたら、
誰でも「平和」と答えるだろう。
トルストイの名作『戦争と平和』からの連想で、「戦争と平和」という対句は我々になじみ深いからだ。
ところが「戦争の反対語は「平和」ではなく、「外交」である」という言葉がある。(野口武彦著『長州戦争』中公新書)
「平和憲法」の真髄というべき9条の条文を「戦争の反対は外交」と言う定理で吟味してみよう。
先ず条文では前段の「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使」を広義の「戦争」と定義し、「国際紛争を解決する手段として」はこれを放棄している。
では国際紛争の解決手段と一体何か。
戦争の対極を為すもの、・・それは「平和」と言う状態ではなく、「外交」と言う行動なのである。
言い換えれば、国際紛争の解決手段は平和を唱えるだけでは駄目だと言う事である。
平和主義者を標榜する人達の議論に「戦争さえなければ……」、何事もあまんじて受けるという人がいる。
戦争さえなければ平和が来ると言う「戦争と平和論」である。
植民地状態、圧政、差別、奴隷状態は、戦争ではないが平和とは言えない。「戦争さえなければ……」という一部平和主義者の発想は、戦争以外は何でも受け入れると言う、奴隷肯定主義者と変わりはない。
では戦争の対極の外交をすれば国際紛争は解決できるか。
現実はそう簡単にはいかない。
相手の言いなりになるのなら話は簡単で、それでは奴隷肯定主義者と変わらない。
実際の紛争解決の外交は「平和的話し合い」で解決する例は殆ど無い。
「対話と圧力」と言う言葉がここで出てくる。
それでは目下懸案の北朝鮮による「拉致問題」の解決を、憲法9条で言う「国際紛争を解決する手段」たる外交交渉に当てはめてみよう。
「平和的話し合い」がかみ合わず、空回りしているのは周知の通りで、「対話と圧力」の圧力さえ加えられないのが実情である。
自分で出来ない「圧力」をアメリカ議会や大統領に依頼する日本の現状は昨日も書いた。
北朝鮮は日本国憲法の第9条を熟知している。
「国際紛争を解決する手段としては、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、永久にこれを放棄する。」・・・これでは相手に足元を見られて圧力どころの話ではない。
最近の竹島を巡る日韓の対立も、本音では両国首脳は軍事的解決は極力避けるべきだという常識を持っているだろう。
だが、軍備なくして外交はあり得ない。
軍備なしで外交交渉に臨めば、戦争は避けても自国に奴隷状態を招く危険がある。
そうした冷厳な事実は、中国の戦国時代であろうが、二十一世紀の今であろうが少しも変わらない。
平和は単なる安易・安楽の状態ではなく、戦争と同様、厳しく緊張に満ちた外交で勝ち取るものだと考えるべきなのだろう。
「戦争とは他の手段をもってする政治の継続である」。
クラウゼヴィッツはその著書「戦争論」でこう述べている。
憲法第9条
1・日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2・前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。