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狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

再々・亀田興毅 亀田パパへの手紙

2006-05-19 07:02:22 | 県知事選

5月5日の子供の日、・・・じゃなく、「亀田の日」から二週間過ぎた。

そのテレビ映像でどうしても気になる部分があった。

兄弟のKOシーンでもなければ、試合後の「どんなもんじゃい」を叫ぶシーンでもない。

ある意味では兄弟以上に目立った言動の「亀田パパ」の試合後の態度だ。

兄興毅のテクニカルKOの直後、父史郎は相手のセコンド方面に向かって怒りの表情で何かを叫んでいた。

負けた相手側がTKOはまだ早すぎるとレフリーにクレームを付けるのなら分かるが、勝った側が一体何を怒り狂っているのだ。

ネット検索をして見たら当日リングサイドで一部始終を目撃していた人の書き込みを発見した。

ソレによると当日亀田パパが怒りを露にしていた相手は試合の相手陣営ではなく、その後ろのリングサイドに陣取って亀田親子に「汚いヤジ」を飛ばしていたプロボクサー・クレイジー・タイガー・キム選手に対してであった。

しかもソレが普通のヤジではなく、その名前の「クレイジー」そのままのすさまじさだったらしい。

ヤジの主「クレイジー」はヨネクラ・ジム所属の現役プロボクサー。

ヨネクラジムはガッツ石松等の五人の世界チャンピオンを育てた名門ジム。

ヨネクラジムのホームページ選手紹介欄によると、件の「ヤジ男」の紹介は次のようになっている。

クレイジー・キム
(金山 俊治 Toshiharu Kaneyama(本名))
【東洋大平洋Sウエルタ-級チャンピオン・日本Sウエルタ-級チャンピオン】
熊本県出身。1974年10月4日生。181cm 右ファイター
東海大ニ高、法政大学でアマチュアチャンピオン。79勝15敗の実績を残し1997年プロ転向。
 
平成09.05.27   プロデビュー
平成14.10.10   日本タイトル獲得  その後5度防衛中
平成15.07.15   東洋太平洋タイトル獲得  その後1度防衛中
 
日本と東洋のベルトを同時保持する異色のボクサーである
【22勝(19KO)3敗】 2005.04現在

・・となっている。 で、最近の試合の模様は,

キム、2タイトル防衛に成功=ボクシング

 プロボクシング、スーパーウエルター級の東洋太平洋(OPBF)と日本の両タイトルを懸けた12回戦が24日、東京・後楽園ホールで行われ、王者のクレイジー・キム(ヨネクラ=本名、金山俊治)が挑戦者でOPBF、日本ともに1位の川崎タツキ(草加有沢)にTKO勝ちし、OPBF2度目、日本タイトルは6度目の防衛に成功した。
 戦績はキムが27戦24勝(21KO)3敗、川崎は20戦18勝(14KO)2敗。
 4回に右のストレートでダウンを奪ったキムが、優勢に試合を進め、9回に左右の連打を決めたところで、レフェリーが試合を止めた。 

[ 時事通信 2006年1月24日 22:00 ]

クレイジーキムは名門ボクシングジムに所属し、現在スーパーウエルター級の日本と東洋太平洋の両タイトル保持者である。

その「一流ボクサー」が5月5日「亀田の日」に場外乱闘を亀田パパに仕掛けたと言うのが、テレビに映った亀田パパの怒りの真相だったようだ。

亀田パパさん

息子ををあのような「悪ガキ」キャラに演出しているのはあんただろう!

息子の上を行く「ワルガキ」・・じゃない、「クレイジー」キャラが現れたからってカッカするのは可笑しいよ。

こうなリャボクシングもプロレスと同じだ。

まともな試合より、場外乱闘の方が面白くなるかもよ。

そうなりゃ貴方はもう立派な興行師。 テレビ、芸能界を巻き込んだ貴方のパフォーマンスは大成功だ。  誰も貴方にゃ逆らえない。

当日だって「亀田の日」を演出した貴方の思惑を壊すまいと、テレビ局も、実況アナウンサーも、解説陣も必死だったね。

「クレイジーなヤジ男」をテレビ画面から隠そうとして。

貴方は自分が果たせなかった夢を、息子が世界チャンピオンになって果たしてくれるのが夢だといっていましたね。

どうやら世界チャンピオンの夢を果たす前に、「悪ガキ」キャラと「噛ませ犬」の二本立てでジムとスポンサー(テレビ局)を意のままに動く「マネー・マシーン」にしてしまいましたね。

その意味では貴方は既に成功者です。 夢は果たしました。

貴方が作った「悪ガキ・キャラ」は既に大成功で現役世界チャンピオンより「亀田兄弟」の方のマスコミ露出度は圧倒的に多くなっていますよ。

念のためサンケイスポーツの亀田関連記事の見出しだけを拾ってみてもすさまじい。

◆サンケイスポーツの亀田兄弟関係記事の見出し一覧

亀田興毅プロフィール「緊急速報・亀田興毅 闘拳まつり」 臨時増刊 絶賛発売中!

【5/13】次は『海亀』や!山から海へ、亀田一家の修行は続く
【5/12】ええ場所や!亀田一家の“つくば基地計画”
【5/11】亀田3兄弟、シャモづかみ、丸太切り、まき割り
【5/9】興毅、瞬間最高40.8%…大みそか殴り込みや!
【5/7】亀田興毅10月に“世界挑戦”目標定める
【5/6】亀田興毅、敵なし11連勝!次は世界だ!
【5/6】亀田大毅、91秒KOで100万円ゲット!
【5/5】興毅、計量も軽々OK!フライパンみたいに潰したる!
【5/5】100万円は譲らない…大毅、今度こそKO&熱唱
【5/4】お待たせ会見パフォーマンス!計量前ですが…興毅、チキン爆食
【5/3】弁慶・大毅Vs牛若丸・渡部100万円争奪マッチ
【5/2】ポンサクレック次は興毅…中広に判定圧勝!
【5/1】ファハルド丸裸…“鉄砲玉”竹本が断言「興毅のKO勝ち」
 
【4/30】興毅の対戦相手・ファハルドは“苦学生パパ”
【4/29】亀田兄弟に吉本興業も熱視線…大いに笑UP!?
【4/26】大毅、キムタク黄金スタンドで“歌わなしゃあない”
【4/22】“弁慶Vs牛若丸”実現!協栄ジム内でKO競争
【4/21】亀田兄弟5・5は“兄弟KO”目指す!
【4/20】亀田大毅、3戦目は8回戦で開催
【4/19】亀田“兄弟初競演”決定!大毅は中17日で3戦目へ
【4/18】KO神話崩壊…大毅、無念の判定勝ちに「ごめん」
【4/17】大毅KO宣言!亀田一家も“メンチ”で後押し
【4/15】大毅に「黄金マイク」プレゼント…熱勝&熱唱再び
【4/9】興毅、強烈右ボディーでスパー相手をKO!
【4/6】大毅、必殺技できた!「亀田のあられパンチや」
【4/5】興毅、始球式に登板、大毅はKOと歌のイメトレ中
【4/4】仮想世界戦だ!興毅、次は「大好物」のサウスポー
【4/1】興毅の初世界戦に暗雲、相手ファイトマネー折り合わず


貴方に逆らえる者は、・・・・そう、クレイジーな男しかいないでしょう。


◆だがね、亀田パパさん

本当に息子の成長を望むなら、本物のボクサーにしたいなら、この辺で外国人の噛ませ犬を探すのはやめようよ。

そして力の判った同レベルの日本人ボクサーとタイトル戦前に一度は戦わすのが親心だろ。

本当に強いチャンピオンに育てたいのなら。


                  ◇

◆亀田父あわや乱闘

 日本S・ウエルター級王者のクレイジー・キムと臼井知史(ともにヨネクラ)が試合後、
リング下から亀田を挑発し乱闘騒ぎ寸前となった。2人は試合中からヤジを飛ばし、
試合後はリング上の亀田と父・史郎さんに向かって暴言を吐きファイティングポーズで挑発した。
 リング上の史郎さんが応戦する構えを見せたが、関係者に止められた。
臼井は亀田のスパーリングパートナーを務めた際にもケンカをふっかけるなど因縁があった。
2人の言動に金平会長は怒りを隠さず「自分たちの職場で何をしたかったのか。抗議する」と語気を荒らげた。

[デイリースポーツ]
 

8 :実況厳禁@名無しの格闘家:2005/06/21(火) 21:29:45 ID:VenEqzgp
◎、会場にいたファンが目撃したキム 

私が見たのは亀が勝利者インタビュー受けてた時に
突然 亀パパがリング外の人間怒りだしました
で、なんで怒ってんのかなとか見てみるとクレイジーキムが酔っ払いながら、
アイツ(サマン)泣いてるじゃん八百長!弱い!とかやじってました
そのままマネージャーらしき人に連れて行かれて退出していたのですが、
言いたいことが収まらない様子でホールの階段でマスコミ、専門誌の
インタビューに答えてました!! かなり怒った口調で!!
あいつは弱い!!ぶっ殺してやる!!みたいな事言ってた! 


◎、亀田公式HP上での、 亀田 興毅のコメント

なんか賛否両論あるみたいやけど、とりあえず勝てました。
明日と、いうか今日の朝の日刊みてみ!1面です。
今度は8月に試合あるんで、応援頼みます!
あと、なんやらどこぞの王者が酔っ払ってからんできよってけど、
酒に頼るやつはボクシング失格やね。
同じ階級やったらブチのめすんやけどな。まあ、これに関するコメントは
これが最後という事で。
どうもありがとう!!!

 

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バイト出身が次期社長

2006-05-18 11:11:59 | 県知事選

◆昨日から今朝にかけてのテレビ・ワイドショーは 『主婦パートから社長昇格!…「ブックオフ」サプライズ人事』(サンケイスポーツ)で持ちきり。

41歳の子持ちの主婦が娘二人の学費の足しにと自給600円のパートに就職した。

それが僅か18年で社長就任。(6月24日付け) 

しかもその会社が一部上場会社であるというから、このシンデレラボーイならぬ“シンデレラパート”にメディアが集中するのもわかる。

もう一つの話題は、この「元パートさん」の社長の実弟がタレントの清水國明さんということだが、これはテレビワイドショーに任せるとして・・・。

「元パート」は非正社員の典型である。

「正規雇用と非正規雇用の格差拡大」については先日「小泉改革の光と影 雇用は本当に回復したか」で触れた。 http://blog.goo.ne.jp/taezaki160925/e/104edca1b4b1be5aeba4fcd321160b0c

同ブログのコメントに「審判さん」と言う方から「ストライク!」のコメントを頂いた。

≪あなたのブログ (審判)  2006-05-05 10:24:55
 
>だが、求人数の増加を引っ張っているのは非正社員だ。3月の新規求人数では、非正社員は前年同月比4.2%増えたが、正社員は0.2%にとどまった。実際に就職に結びついた件数も、正社員が2.2%に対し、非正社員は3.6%だった。

↑ストライ~ク!!!
非正社員の使い捨て格差社会は危険!!

新聞記事を引用して何が言いたかったかと言うと「雇用は増えていると言っても、その内訳を良く見ると非正規社員が増えている」と言うことだ。

私見を述べさせてもらうと民主党小沢党首が言う「終身雇用と年功序列は、日本社会が考えたセーフティーネットの最たるものだ」はフランスの学生デモの主張と同じく時代に逆行する考えだ。

 バブル崩壊までの日本経済発展のキワードを列挙してみよう。
「行政指導、護送船団、横並びの経営」、そして「終身雇用、年功序列」。

これらは日本的経営モデルとして世界的に賞賛された。

が、これらの日本型手法による成功は「もっとも成功した社会主義国」と揶揄された。

 

◆ところが、1990年代初頭、過熱した日本経済は一気に崩壊する。

いわゆる「バブルの崩壊」以後「日本型手法」は一気にその弱点を露呈する。

このとき、行政指導をした筈の政府も、それに唯々諾々と従った経済界も、誰一人として責任を取ろうとしなかった。

政府は経済の建て直しを財政出動に頼り、金融機関の不良債権に象徴される「負の遺産」の処理を官民一体となって先送りした。

これは、「行政指導、護送船団、横並び経営」の弊害の最たるものであった。

また、「終身雇用、年功序列」の雇用環境下において、業績が不振であるにもかかわらず事業の見直しやリストラが進まず、多くの企業が余剰労働力=企業内失業者を抱え込む破目に陥ってしまった。

つまり、戦後の高度成長を支えた日本的経営モデルが、「バブルの崩壊」という国家的危機に直面して、その限界を一気に露呈したのである。

政治は責任を取らない。経営者も責任を取らない。労働者も、企業一家意識から抜けきれない。

日本的経営は、成長期には威力を発揮したが、バブル危機に直面すると、その無責任体質を露呈したのだ。

「赤信号、みんなで渡れば怖くない」が「不始末は、みんなで逃げれば怖くない」に転化したのだ。


大銀行や大企業の破綻や倒産が続出すると、リストラによる大規模な人員整理が避けられない急務となった。

そして、正規社員が減って非正規社員が増える時代となった。

これは小沢民主党党首の「終身雇用と年功序列」とは逆の流れだ。

が、この大きな時代の流れであり、もはや誰も止めることは出来ない。

そんな中での「元パートさんの社長就任」のニュースだ

このニュースは「正規社員と非正規社員」の格差に大きな問題提起をした。

終身雇用と年功序列の会社」ではこのようなニュースになる人事は行われなかっただろう。

そう、問題は正規社員と非正規社員にあるのではなく両者の「待遇と身分」の問題なのだ。

3月23日の厚生省の発表によると「短時間パートを除く契約や派遣、嘱託など非正社員の給与は正社員の60%の水準にすぎない」ことが分かった。

◆共同通信
非正社員の賃金は60% 正社員との格差浮き彫り

 厚生労働省が23日発表した2005年賃金構造基本統計調査で、フルタイムで働く一般労働者のうち、正社員の平均賃金(残業代などをのぞく所定内給与、平均40・4歳)が月額31万8500円だったのに対し、短時間パートを除く契約や派遣、嘱託など非正社員は同19万1400円(同42・9歳)で、正社員の60%の水準にすぎないことが分かった。
 同調査で正社員と非正社員の賃金格差を比較したのは初めて。厚労省は格差要因を「正社員は昇進して役職につくことで賃金が上昇することや、勤続年数が相対的に長いため」と分析する一方、「若者にフリーターなど非正社員が多いことから、将来の格差拡大には注意が必要」としている。
(共同通信) - 3月23日18時39分更新

これにパートなどを加えた実感はもっと格差があるような気がする。

今までの日本型雇用市場はあまりにも硬直していた。

例え正社員であり、能力があっても四月の新規採用社員で無いかぎり昇進の道は閉ざされていた。

雇用市場は柔軟でなければならない。

年功序列を復活させれば、意欲や能力のある者が勤労意欲を失う。

「非正規社員」の増加の問題と、「正規社員」との待遇格差の問題は、終身雇用や年功序列とは別問題である。

「非正規と「正規」の壁を見事に打ち砕いた「橋本さん」それに「ブックオフさん」、あんた達はエライ!

これで「どーせパートだから」と言っていた「非正規社員」もきっとやる気を出すと思う。

橋本次期社長がテレビのインタビューに答えて「愚直にこつこつやれば報われる会社にしたい」といった言葉を六本木ヒルズに巣食う金の亡者達に聞かせて上げたい。

因みに「元パートさん社長」の人事をしたブックオフは現在、従業員6500人のうち正社員が焼く600人で約91%の約5900人がアルバイト、パートの非正規社員で占めると云う。


◆産経新聞 (05/17 21:00)


バイト出身ブックオフ次期社長「最強の現場集団を」
 
 「現場のことならだれにも負けません」-。女性パートから身を起こし、古本買い取り販売最大手、ブックオフコーポレーションの次期社長に内定した橋本真由美常務(57)が17日、神奈川県相模原市の本社で記者会見し、「中古業は人材の質によって繁盛店にも不振店にもなる。永久に人材が育ち続ける会社、最強の現場の軍団をつくる」と抱負を述べた。パート時代から約16年の経験を生かし、「新卒入社の社員を半年で店長に育成できる仕組みを整えたい」と意気込んだ。
 平成2年、相模原市に開店した直営1号店にパートとして入った当時の時給は600円。月収は「多くて6-7万だった」。今や珍しくない古本買い取り販売も当時は新業態で試行錯誤の連続。だが創業者の坂本孝社長(次期会長)は「橋本さんが私のアイデアを現場に落とし込み、収益化した。その集積が今日のブックオフを築いた」とその手腕を認める。

 「現場はだれにも負けないぐらいやってきた」と言い切る橋本さん。経営の中枢を担う立場になった今も、気になる店舗を時折抜き打ちで訪れ、エプロンを着けてレジ打ちなどを行うほどの徹底した現場主義者だ。

 同社は平成11年、中古子供服の買い取り販売事業に参入したが、収益が上がらず苦戦。立て直しを志願し、価格帯見直しや人件費削減、従業員の意識改革で黒字転換に成功した実績を持つ。

 実弟は、同社のCMに起用されたタレントの清水國明さん。会見前、電話で「私は『清水國明の姉』と新聞に書かれるけれど、あなたが『橋本真由美の弟』。何であなたの名前が前に出るの」と笑って話したという。

(05/17 21:00)

 

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続・サラリーマン川柳 人生は悲喜劇

2006-05-18 07:03:45 | 県知事選

一昨日は手抜き更新のつもりで「サラリーマン川柳」を取り上げたら、これが当ブログにしては思わぬ沢山の閲覧者の訪問があって驚いた。

柳の下のドジョウを狙って今朝も一番で手抜き更新の「サラリーマン川柳」がらみ。

過去の作品からの「拾遺集」。

                   *

高校を卒業以来半世紀近く続いている同期会がある。

当初多かったメンバー数も気の合うもの話の合うものと数が絞られ、自然淘汰で現在は10名ほどになった。

少なくとも月に一度は会ってバカ話が出来るだけでもお互いのモウロク振りは確認できる。

その、同病相憐れんで傷を舐めあう様は「固有名詞の無い会話」で書いた。http://blog.goo.ne.jp/taezaki160925/e/0fdcc91e9c0caa536d3812ecb8bd8ad5

月に一度はまだ良い。これが久し振りに同級生に会うとなると色んな悲喜劇が生まれる。

相手の(お互いの?)あまりの変貌振りと己の記憶力の衰退とのダブルパンチに見舞われて始め可笑しく、やがては悲しくなっていく。

「お互いを 想いだすまで 立ち話 」
想いだせなかったら何時まで立ち話するつもり?

「同窓会 恩師と思えば  同級生 」
間違っても「先生!老けましたね」なんていわないこと。

「同期会 髪の毛増えた 奴もいる」  
うーん、・・・これってアデランス? 

おぼろげな記憶の糸を辿って、お互いをやっと確認しあった後の話題は、悲しき話題ばかり。

「働けと 言う父親に 職がない
定年になっても俺は働きたいんだ!

「床屋行く 金ひまあれど 髪がない」
うーん、「・・・・・・・」   

「食べて糖 飲んで血圧 吸えばガン」
好きなものを、飲まず食わずで長生き?


嗚呼! 人生は悲喜劇なり。

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座間味島、渡嘉敷島の「集団自決」

2006-05-17 08:09:27 | ★改定版集団自決

◆≪自らの思想と言論に責任を持ち、間違っていたら、きちんとそれを認め、出来る限りの事をする、こういう姿勢を、Intellectual Honesty(知的誠実さ)と呼ぶ。

知的誠実さに欠ける人間は、自分の思想的誤りを自分に対しても
ごまかしてしまうため、いつまで経っても、その思想が深化しない。
同じ過ちを何度でも繰り返す。国際派日本人として活躍するために
は、Intellectual Honesty が、不可欠の資質である。≫
(引用:国際派日本人講座http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h9/jog008.htm)

                   ◇

沖縄戦の「集団自決」をめぐっては、昭和二十五年に沖縄タイムス社から発刊された沖縄戦記『鉄の暴風』で、赤松大尉と梅沢少佐がそれぞれ、両島の住民に集団自決を命じたために起きたと書かれた。

この記述は、沖縄県史や渡嘉敷島の村史など多くの沖縄戦記に引用されている。

『鉄の暴風』は初版は1950年に沖縄タイムス編著、朝日新聞社で出版された。

因みに当時、朝日新聞の沖縄事務所は沖縄タイムスの社屋内にあり、その後初版の内容のままで第8版まで沖縄タイムス社が出版した


その「鉄の暴風」の中、で慶良間諸島の座間味島、渡嘉敷島の守備隊長であった「赤松大尉と梅沢少佐がそれぞれ、両島の住民に集団自決を命じたために起きた」と書かれたことが戦後60年に渡り様様な問題を残していく。

この記述は、その後沖縄県史渡嘉敷島(渡嘉敷村)の村史など多くの沖縄戦記に引用されている。

「鉄の暴風」では「集団自決」を次のように表現している。

≪恩納河原に避難中の住民に対して、思い掛けぬ自決命令が赤松からもたらされた≫

≪住民には自決用として、三十二発の手榴(しゅりゅう)弾が渡されていたが、更にこのときのために、二十発増加された。手榴弾は、あちこちで爆発した。…阿鼻叫喚の光景が、くりひろげられた≫

≪座間味島駐屯の将兵は約一千余、…隊長は梅沢少佐…。米軍上陸の前日、軍は忠魂碑前の広場に住民をあつめ、玉砕を命じた。…村長初め役場吏員、学校教員の一部やその家族は、ほとんど各自の壕で手榴弾を抱いて自決した≫


疑問を抱いた作家の曽野綾子さんは渡嘉敷島の集団自決を取材し『ある神話の風景』(昭和四十八年、文芸春秋)を出版。

座間味島の集団自決についても、生存者の女性が「軍命令による自決なら遺族が遺族年金を受け取れると島の長老に説得され、偽証をした」と話したことを娘の宮城晴美さんが『母の遺したもの』(平成十三年、高文研)で明らかにした。

★初版より30年後の1980年、沖縄タイムスは「鉄の暴風」の「明らかな事実の誤り(改訂版の序文)」の部分を削除した改訂版を発行した。

「軍命令による集団自決」と言う誤報はどんどん一人歩きを始める。

「強制連行された従軍慰安婦」と全く同じパターンで教科書にまで載るようになり、沖縄では「日本軍の住民虐殺」のシンボルになっている。

この本をネタ本にして、その頃数多くの「沖縄戦モノ」が出版された。

その中にノーベル文学賞作家大江健三郎の「沖縄ノート」(岩波新書)があった。

が、「沖縄ノート」はタネ本の「鉄の暴風」の「明らかな事実の誤り」を削除したにもかかわらず、その「明らかな事実の誤り」を訂正する事無く依然として現在でも販売されている。

大江氏が沖縄戦に於ける日本軍の責任の象徴として取り上げたのが、「鉄の暴風」の中で述べられている 『渡嘉敷島の集団自決』だった。

この話を概略説明しよう。

終戦の年の3月、沖縄本島上陸を前に、その南西の沖合にある慶良間列島の中の渡嘉敷島で集団自決が行われた、という事件だ。

当時島には陸軍の海上挺進第三戦隊の130 人が、ベニヤ板の船に120 キロの爆弾をつけて夜陰に乗じて、敵の艦艇に突っ込む特攻舟艇部隊としていた。
 
3月下旬のある日、米軍はこの島を砲撃後上陸を開始し、それを恐れた約三百人の村民は軍陣地を目指して逃げたが、陣地内に立ち入ることを拒否され、その上、当時島の守備隊長だった赤松嘉次隊長(当時25歳)の自決命令を受けて次々と自決したというものだ。

自決の方法は、多くの島民が島の防衛隊だったから、彼らに配られていた手榴弾を車座になった家族の中でピンを抜いた。また壮年の息子が、老いた父や母が敵の手に掛かるよりは、ということで、こん棒、鍬、刀などで、その命を絶った、ということになっておる。
 
10数冊余のこれら沖縄戦の著書は、一斉に集団自決を命令した赤松大尉を「人」「人面獣心」などと書き、大江健三郎氏は「あまりにも巨きい罪の巨塊」と表現した。

当時の資料を列挙すると、1)沖縄タイムス社刊『沖縄戦記・鉄の暴風』2)渡嘉敷島遺族会編纂『慶良間列島・渡嘉敷島の戦闘概要』3)渡嘉敷村、座間味村共編『渡嘉敷島における戦争の様相』4)岩波書店『沖縄問題二十年』(中野好夫、新崎盛暉著)5)時事通信社刊『沖縄戦史』(上地一史著)6)沖縄グラフ社『秘録沖縄戦史』(山川泰邦)7)琉球政府『沖縄県史8(沖縄戦通史)各論篇7』(嘉陽安男著)8)岩波書店『沖縄ノート』(大江健三郎著)9)平凡社『悲劇の沖縄戦』「太陽」(浦崎純著)


                   ◇

しつこいようだが、もう一度繰り返そう。

初版より30年後の1980年、今から26年前、沖縄タイムスは「鉄の暴風」の「明らかな事実の誤り(改訂版の序文)」の部分として「軍命令による集団自決」の部分を削除した改訂版を発行した。

しかし30年間も一人歩きをした「誤報」はその歩みを止めることは無い。

沖縄戦で「アメリカ軍は解放軍で日本軍は住民虐殺軍」というスタンスで論調を展開する地元メディアにとって「軍命令による集団自決」何が何でも死守しなければならない大命題である。

地元学者を総動員して論点をぼかして沖縄の「世論」の押さえ込みに大童。

事実、それが教科書にまで載ってしまうと、地元沖縄在住の人達でさえ「軍命令による集団自決」が誤報であったことを知っている人は少数派であろうし、それを声高に主張する「勇気」のある人は更に少数派か皆無に近い。

地元メディアはすでに「軍命令があったかどうか」は問題でないとか、「集団自決」ではなく「集団死」だとか、「集団死したことが問題」だとかを主張する学者達の意見を掲載している。

「集団自決」問題は当初の論点からどんどん外れ議論は混迷の様相を呈している。

中には「軍命令が無かった」と言う証拠を示せと言う暴論を吐く人さえいた。

これを世間では「悪魔の証明」と言う。

 

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サラリーマン川柳100選決定!

2006-05-16 13:25:19 | 県知事選

◆第19回 私が選ぶサラリーマン川柳ベスト100が決定した。

詳しくは第一生命ホームページを見ていただくとして、 http://event.dai-ichi-life.co.jp/senryu/2006_best100.html

狼魔人も10首選んで見た。

1位 昼食は 妻がセレブで 俺セルフ   (夢庵) 
      ↓
   夕食は 妻はパーティ 俺ホカ弁  狼魔人 →  ひがみ過ぎ?

 

2位 片付けろ 言った上司が 片付いた
         ↓
   保険金 残して先に 片付いて!  狼魔人 → 怖い話だ 

 

3位 散発代 俺は千円 犬一万   (下流の夫) 
         ↓
   葬式代 せめてポチより 多くして  狼魔人 →これもひがみ過ぎ

 

4位 妻の顔 昔モナリザ 今ムンク   (夫のさけび )
          ↓
  妻の顔 昔も今も バラの花   狼魔人 → 一寸ゴマの擦りすぎ?

 

5位 道たずね 防犯ブザーを 鳴らされる  (土佐ッ子)
         ↓
   不審者か? それとも 老人徘徊者? 狼魔人 →  どっちもどっちだ!

 

6位 少子化を 食い止めたいが 相手なし (壽退社希望)
         ↓
   嫁不足 中高年にも 押し寄せる  狼魔人 → 貴方の隣にも一人や二人は・・。

 

7位 忘れてた! 気づいたことも 忘れたい  (物忘れOL)
          ↓
   忘れてた 気づいた事を また忘れ  狼魔人
           ↓
   ここは何所 貴方は誰かと 妻に問い  老魔人→   怖い!

 

8位 連れてって 今じゃ ひとりで 行って来て! (昔はよかった)
          ↓
    あの頃の 幼い声が 懐かしい   狼魔人 → 人生は瞬く間のドラマ?

 

9位 気にかかる メールがはやい あのおやじ  (ハバッチョマン)
          ↓
   チョイワルの オヤジやり過ぎ 極ワルに  狼魔人 → 気を付け  よう 

10位 マイブログ 立ち上げたけど 話題なし  (磯仁)
          ↓
   うーん、これって俺の事?   反省!

 

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沖縄の復帰34周年 基地撤去と軍雇用員

2006-05-15 16:15:54 | 未分類

今日5月15日で、沖縄は本土復帰して満三十四年を迎える。

沖縄タイムスは「国土面積の約0・6%の県土に、在日米軍専用施設の約75%が集中する過重な基地負担」と言う書き出しの社説を掲げている。

これに「日本で唯一の住民を巻き込んだ地上戦を強いられ」と「日本軍による住民虐殺」の表現がが加われば地元新聞が沖縄戦を表現する時の常套句の三点セットが完成する。

が、「住民を巻き込んだ唯一の地上戦」は元樺太住民や歴史家の指摘で沖縄だけではなく樺太でもあったことがわかり、最近では声高には言われなくなった。

琉球新報も「米軍再編問題」があったせいか、紙面の大部分を「基地撤去」の記事で埋めている。

「『反基地』へ大きなうねり」という大見出しの新聞と同じ紙面にいかにも沖縄らしい皮肉な広告が掲載されている。

「米軍従業員就職支援スクール」の「平成18年度前期受講生募集中!」と言う学生募集広告だ。

判りやすく言うと、在沖米軍基地の軍雇用員就職の為の予備校の学生募集である。

沖縄県外の人にとっては、新聞の大きな見出しや社説を読むと、この説明では余計わからなくなるかもしれない。

本土復帰前、基地内就職は軍作業と呼ばれ沖縄では憧れの職業であった。

当然基地就職の門は狭き門で優秀な人が合格し、あぶれた者は「先生にでもなろうか」と学校教師になった。

高校を出ると優秀なものは「軍作業試験」突破し、落ちたものは「軍作業あぶれもの」として琉球大学に入ったという話もある。

事実、高卒後軍作業で働きながら英語等を勉強し米国留学の恩恵に浴した人も沢山いる。

本土復帰後は学校教師は5月15日を期して学校教師、公務員、警察官等は一瞬の内に日本国の公務員となり身分待遇が復帰前とは比べられない程向上した。

弁護士等も簡単な資格試験で日本国の難関の司法試験合格者と同じ弁護士資格が与えられた。

彼らは、今では死語になりつつあるが、「布令弁護士」という自嘲的な言葉で呼ばれていたが日本国の弁護士として日本の何所でも開業できる資格があった。

復帰と共に「基地内就職」の地位が低下した、・・・と、思うのは沖縄の実情を知らない者の勝手な推測だ。

沖縄にある大学予備校は複数の学校が「基地内就職科」を併設しているほど米軍基地就職は依然として人気のある就職先なのだ。

もう一つ沖縄の矛盾を象徴する記事が今朝の琉球新報にあった。

自分自身がアメリカ人と沖縄人のハーフであり米軍人相手にロックを歌い続けていたロック歌手の喜屋武マリーさんが「基地撤去」叫ぶ県民大会で熱唱している記事だ。

◆琉球新報 2006年5月15日

「5・15平和とくらしを守る県民大会」に結集し、基地反対の怒りの拳を突き上げる3500人の参加者ら=14日、宜野湾市海浜公園屋外劇場

 沖縄が本土に復帰して15日で満34年を迎えた。1日に日米両政府が合意した在日米軍再編の最終報告では、名護市辺野古への新基地建設、嘉手納基地などの自衛隊との共同使用が盛り込まれ、県民が願い続ける「基地のない平和な沖縄」は、いまだ実現には程遠い。憲法・教育基本法の改正、共謀罪の新設など、「戦争への準備」を推し進める政府。14日夕に開かれた「5・15平和とくらしを守る県民大会」では、結集した3500人(主催者発表)が基地反対ののろしを上げ、怒りの拳を突き上げた。
 5・15平和行進を締めくくる「5・15平和とくらしを守る県民大会」(同実行委員会主催)には、県内3コースに分かれた行進団が、会場の宜野湾市海浜公園野外劇場に次々と結集。全員で、普天間基地の辺野古沿岸移設や憲法・教育基本法改悪の反対を訴える大会宣言を採択し、「戦争国家へ仕立て上げようとする政府の意図をくじこう」と気勢を上げた。3日間の平和行進には延べ7千人が参加した。
 主催者を代表して沖縄平和運動センターの崎山嗣幸議長が「私たちが願ったのは、核も基地もない平和憲法の下への復帰だった。しかし政府は、辺野古に巨大な軍事基地を造ろうとしており、われわれの願いを足げにするような対応だ。われわれは断固として闘う」と述べ、全国の仲間に共闘を呼び掛けた。
 連帯あいさつで、平和フォーラムの福山真劫事務局長は「この平和行進で沖縄の無念、怒りを胸に刻んだ」と述べ、政府の暴挙を阻止しようと訴えた。伊波洋一宜野湾市長も「普天間基地の問題を解決するため、長く粘り強く闘いたい」と語った。
 オープニングでは、ロック歌手のMarie(マリー)さんが「ラブ&ピース」の思いを込めて熱唱。最後は、全員で「頑張ろう」を三唱し、新たな闘いの構築を誓い合った。

(5/15 9:33)

 
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沖縄の「集団自決」

2006-05-15 10:24:46 | ★集団自決

昨日は沖縄の慶良間諸島の軍命令による「集団自決」について触れた。

これについては何れ稿を改めて書こうと思うが、今日は手抜き更新で「集団自決」の過去の新聞記事転載する。

産経新聞 平成17(2005)年7月24日[日]

沖縄戦集団自決「軍命令」…出版物・教科書で独り歩き

 集団自決が軍の命令だったとされてきた“歴史”が法廷で争われることになった。沖縄戦が住民を巻き込んだ悲惨な地上戦だったことは事実だが、軍の残虐性を示す“証拠”の発端は、島の長老と生存者による遺族のための悲しい口裏合わせだったという。最初に書かれた沖縄タイムス社の『鉄の暴風』の記述は大江健三郎氏の代表作『沖縄ノート』だけでなく、故家永三郎氏の『太平洋戦争』など多くの出版物や教科書で独り歩きしている。主なものを拾った。(教科書問題取材班)

 ◆鉄の暴風

 《恩納河原に避難中の住民に対して、思い掛けぬ自決命令が赤松からもたらされた》

 《住民には自決用として、三十二発の手榴(しゅりゅう)弾が渡されていたが、更にこのときのために、二十発増加された。手榴弾は、あちこちで爆発した。…阿鼻叫喚の光景が、くりひろげられた》

 《座間味島駐屯の将兵は約一千余、…隊長は梅沢少佐…。米軍上陸の前日、軍は忠魂碑前の広場に住民をあつめ、玉砕を命じた。…村長初め役場吏員、学校教員の一部やその家族は、ほとんど各自の壕で手榴弾を抱いて自決した》

 ◆沖縄ノート

 《慶良間の集団自決の責任者も、そのような自己欺瞞(ぎまん)と他者への瞞着(まんちゃく)の試みを、たえずくりかえしてきたことであろう》

 《那覇空港に降りたった、旧守備隊長は、沖縄の青年たちに難詰されたし、渡嘉敷島に渡ろうとする埠頭(ふとう)では、沖縄のフェリイ・ボートから乗船を拒まれた。かれはじつのところ、イスラエル法廷におけるアイヒマンのように、沖縄法廷で裁かれてしかるべきであったであろうが、永年にわたって怒りを持続しながらも、穏やかな表現しかそれにあたえぬ沖縄の人々は、かれを拉致しはしなかったのである》

 ◆太平洋戦争

 《沖縄の慶良間列島渡嘉敷島に陣地を置いた海上挺進隊の隊長赤松嘉次は、米軍に収容された女性や少年らの沖縄県民が投降勧告に来ると、これを処刑し、また島民の戦争協力者等を命令違反と称して殺した。島民三二九名が恩納河原でカミソリ・斧(おの)・鎌などを使い凄惨(せいさん)な集団自殺をとげたのも、軍隊が至近地に駐屯していたことと無関係とは考えられない。座間味島の梅沢隊長は、老人・こどもは村の忠魂碑の前で自決せよと命令し、生存した島民にも芋や野菜をつむことを禁じ、そむいたものは絶食か銃殺かということになり、このため三〇名が生命を失った》

◆教科書

  《日本軍にスパイ容疑で殺されたり、「集団自決」を強制されたりした人々もあった》《軍は民間人の降伏も許さず、手榴弾をくばるなどして集団的な自殺を強制した》(日本書籍新社の中学歴史)

 《日本軍によって集団自決を強いられた人々やスパイ容疑・命令不服従などを理由に殺された人々もおり…》(実教出版の高校世界史)

 《犠牲者のなかには、慶良間諸島の渡嘉敷島のように、日本軍によって「集団自決」を強要された住民や虐殺された住民も含まれており…》(桐原書店の高校日本史)

 《日本軍に「集団自決」を強いられたり、戦闘の邪魔になるとか、スパイ容疑をかけられて殺害された人も多く、沖縄戦は悲惨をきわめた》(三省堂の高校日本史)

 《戦陣訓によって投降することを禁じられていた日本軍では、一般住民にも集団自決が強いられたり、スパイ容疑や戦闘の邪魔になるとの理由による住民虐殺もおこった》(東京書籍の高校日本史)

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朝鮮軍夫  「恨之碑」

2006-05-14 11:13:12 | ★集団自決

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◆一昨日12日の琉球新報に「平和な沖縄・アジアを」という囲み記事が出ていた。

記事は「沖縄戦に強制連行され死んでいった元朝鮮人軍夫たちの思いを表現した恨(はん)之碑が読谷村に建立され、十三日に除幕式が行われる。恨之碑をすすめる会沖縄は十一日、県庁記者クラブで会見し、同碑の発案者元朝鮮人軍夫として沖縄戦で悲惨な体験をしたカン仁昌さん(八六)が思いを語った。」と語る。

「戦争犠牲者の為に国籍を問わず、慰霊碑を建立する」。 

うーん、新報が心温まる美談を掲載か、・・・と思ったが、一寸待ってくれ。http://www.youtube.com/watch?v=lCbB1BAcN3w&search=korea


新聞の誤報が一人歩きして世の中を惑わした例としては「教科書の侵略・進出書き換え問題」や「従軍慰安婦強制連行」等がある。

この二例はその後の検証により誤報であったことは決着済みであるが、間違いと判ってもソレを認めない人やグループも依然として存在する。

例えば当初言われていた「強制連行された従軍慰安婦」も、強制連行された事実が無かったことがわかると「従軍慰安婦」に変化し、「慰安婦」は従軍看護婦や従軍記者とはまるで違う存在で、軍に群がる「売春婦」や「売春業者」であったことが検証されると、今度は全ての形容詞を省いてただの「慰安婦」と呼ぶようになった。

琉球新報の記事で当然のように使用されている「強制連行されて死んでいった元朝鮮軍夫・・」と、・・・又しても新聞は誤報を美談の隠れ蓑に隠して一人歩きさせるつもりなのか。

先ず前のエントリーで書いた谷沢永一いわく「現在の感覚を、過去にそのまま当てはめ、評価を下す史家は、常に歴史を過つ」を挙げておこう。

当時の朝鮮は日本の一部であり、朝鮮人も日本国民だった。

当時の日本国民なら成人男子は徴兵か徴用は当たり前で、軍夫は戦闘以外の雑用を行っていた。
 
一旦徴兵や徴用の命を受けると誰もこれを拒むことは出来なかった。

これは何も朝鮮人軍夫に限った事ではない。 日本人全てがそうだった。

これを現代の価値観で「強制連行」と決め付けるのは「歴史を過つ」ことになる。

そして今朝の琉球新報は9段抜きの27面(三面)トップで「平和な未来誓う」と題して朝鮮人軍夫追悼の恨之碑除幕式を大々的に報じた。

日本兵に連行され、目隠しをして処刑台への階段を上る朝鮮人の青年と、足元で泣き崩れる母親をブロンズで表現した碑は、読谷村在住の彫刻家金城実さんが手がけたという。


戦争の悲惨さの一つの側面。引き裂かれる家族。

 

 

 

日本語と朝鮮語で書かれた決意の文面。

 そして碑には、「この地に果てた兄姉の魂に」と題して「日本軍の性奴隷として踏みにじられた姉たち、軍夫として犠牲になった兄たちに深く頭を垂れる やがて固く結んだ鳳仙花の種が弾け 相互の海を越えて花咲くことを信じて 兄姉よ、あなたたちの辿った苦難を語り継ぎ 地球上から戦争と軍隊を根絶することを この地に果てた兄姉の魂」と記されているという。

 

これは「他国の戦没者も等しく慰霊する」と言った美談ではない。

「恨は日本語でいう恨みつらみや復讐を意味しない」と云うが、沖縄は韓国ではない。 

この「恨之碑」を訪れる人は殆どが日本人だろう。

「恨之碑」の文字といい、ブロンズ像といい日本人にとっては恨みつらみそのものである。

「恨之碑」の第一号は韓国国内にあると云う。

沖縄の「恨之碑」は第二号となるわけだが、この韓国の反日イデオロギー塗(まみ)れの「記念碑」を沖縄に建立する理由が一体どこにあるだろう。


しかも琉球新報の報道は朝鮮人軍夫は「強制連行された」という誤報をあたかも当然の事実として煽る記事を書いている。

韓国が韓国の歴史観で韓国国内に「恨之碑」を建立するのは韓国の勝手だろうが、沖縄は韓国ではない。

沖縄は紛れも無く日本の一県だ。

反戦平和運動も結構だが、沖縄の新聞は他国のイデオロギーにまみれた一連の運動に自分の立つ軸足の位置を忘れている。

彼等は「琉球処分」の時、中国(清)にその軸足を置いた当時の琉球の一握りのインテリ(頑固党)と同じ反日主義者に変わりは無い。

新聞の誤報が一人歩きした話を書いたが、沖縄発の新聞誤報一人歩きした例が「軍命令による集団自決」だ。

沖縄タイムス社編の「鉄の暴風」の杜撰な沖縄戦取材が一人歩きし、ノーベル賞作家大江健三郎の「沖縄ノート」(岩波新書)まで飛び火して遂には教科書にまで載るようになったことでは「従軍慰安婦」と同じケースだ。

その後、曽野綾子の指摘により「鉄の暴風」の改訂版では「軍命による集団自決」は削除されたが「沖縄ノート」は改訂も無く誤報を載せたまま現在も販売されている。

大江氏によって集団自決を命令した悪の権化のように描かれた元守備隊長は現在も存命だ。

昨年、その元守備隊長ともう一人の指揮官の遺族によって大江氏と岩波書店は名誉毀損の訴えを起こさた。

 
◆産経新聞記事 2006年7月24日朝刊

沖縄守備隊長遺族、大江氏・岩波を提訴へ 「自決強制」記述誤り、名誉棄損

 先の大戦末期の沖縄戦で日本軍の命令で住民が集団自決を強いられたとする出版物の記述は誤りで、名誉を棄損されたとして、当時の守備隊長と遺族が著者でノーベル賞作家の大江健三郎氏と岩波書店を相手取り、損害賠償を求める訴訟を大阪地裁に起こすことが二十三日分かった。

 訴えを起こすのは、沖縄戦で座間味島を守備した陸軍海上挺進隊第一戦隊長を務めた梅沢裕・元少佐(88)と、渡嘉敷島を守備した同第三戦隊長だった故赤松嘉次・元大尉の弟、赤松秀一氏(72)。

 訴えられるのは、『沖縄ノート』(岩波新書)の著者の大江氏と、他にも故家永三郎氏の『太平洋戦争』(岩波現代文庫)、故中野好夫氏らの『沖縄問題20年』(岩波新書)などを出している岩波書店。

 訴状などによると、米軍が沖縄の渡嘉敷島と座間味島に上陸した昭和二十年三月下旬、両島で起きた住民の集団自決について、大江氏らは、これらの島に駐屯していた旧日本軍の守備隊長の命令によるものだったと著書に書いているが、そのような軍命令はなく、守備隊長らの名誉を損ねたとしている。

 沖縄戦の集団自決をめぐっては、昭和二十五年に沖縄タイムス社から発刊された沖縄戦記『鉄の暴風』で、赤松大尉と梅沢少佐がそれぞれ、両島の住民に集団自決を命じたために起きたと書かれた。この記述は、沖縄県史や渡嘉敷島(渡嘉敷村)の村史など多くの沖縄戦記に引用されている。

 疑問を抱いた作家の曽野綾子さんは渡嘉敷島の集団自決を取材し『ある神話の風景』(昭和四十八年、文芸春秋)を出版。座間味島の集団自決についても、生存者の女性が「軍命令による自決なら遺族が遺族年金を受け取れると島の長老に説得され、偽証をした」と話したことを娘の宮城晴美さんが『母の遺したもの』(平成十三年、高文研)で明らかにした。

 その後も、昭和史研究所(代表・中村粲元独協大教授)や自由主義史観研究会(代表・藤岡信勝拓殖大教授)が曽野さんらの取材を補強する実証的研究を行っている。



◆琉球新報 2006年5月14日


平和な未来誓う 恨之碑が除幕 朝鮮人軍夫追悼 読谷村瀬名波


朝鮮半島出身者を追悼する恨之碑を見つめる元軍夫の姜さん(右)=13日午後2時すぎ、読谷村瀬名波(写真省略)

 【読谷】沖縄戦に強制動員され犠牲となった元朝鮮人軍夫たちを追悼し、平和をつくり出す決意の場として、読谷村瀬名波に「恨(ハン)之碑」が建立され、13日、除幕式(主催・恨之碑建立をすすめる会沖縄)が行われた。式には沖縄戦中、阿嘉島で軍需物資の運搬作業などに従事させられ、日本軍による朝鮮人軍夫への虐殺など凄惨(せいさん)な場面に立ち会わされた元軍夫で、碑建立提案者の一人、姜仁昌(カンインチャン)さん(86)らも韓国から出席した。

 碑の第1号基は1999年、韓国で最も多くの朝鮮人軍夫が強制連行された英陽(ヨンヤン)に建立され、沖縄側でも全国募金活動を行い建立が実現した。


 日本兵に連行され、目隠しをして処刑台への階段を上る朝鮮人の青年と、足元で泣き崩れる母親をブロンズで表現した碑は、村在住の彫刻家、金城実さんが手掛け、「あなたたちの辿(たど)った苦難を語り継ぎ 地球上から戦争と軍隊を根絶することを この地に果てた兄姉の魂に 私たちは誓う」との碑文が刻まれている。
 除幕後、姜さんは碑の前に立ち尽くしてブロンズの青年を見つめ、ハンカチで涙をぬぐった。姜さんは「韓国と日本が手を一つに携えて、2度とこのような戦争の惨禍が起こらないようにしなければならない。年に1度この場所でお参りしたい」とあいさつした。
 建立をすすめる会沖縄の平良修共同代表は「“恨”は日本語の恨みつらみや復讐(ふくしゅう)を意味しない。仕打ちを受けた傷を心の底に深く刻みながらも、それをばねに新しい共生の道を切り開く未来志向の思想の言葉」と碑の趣旨を説明し「碑を歴史の学びと共生平和への教材として用いてほしい」と呼び掛けた。
 碑前には韓国の慶尚北道から沖縄に強制連行された2815人の名簿などが姜さんらの手で埋め込まれたほか、韓国から持ち寄った石が朝鮮半島の方角に向かって並べ埋め込まれた。
 除幕式後、姜さんは報道陣に建立への思いなどを聞かれ「それよりももっと、私たちが戦争中どんな経験をしたのかを聞くべきではないか」という怒りの交じった感想を漏らした。(5/14 9:59)

 
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続・狼魔人流沖縄語講座  沖縄語は候文!

2006-05-13 08:03:15 | 沖縄語講座

沖縄語は候文

尊敬の為の接頭語と接尾

「候文」という言葉があるが、現代ではほぼ死語になりかけており、筆者自身候文を書いたことも候文の手紙を受け取った事も無い。

「候文」とは、辞書の引用によると≪文末に丁寧語の「候」を使う文語体の文章。書簡や公用文に用いられた。鎌倉時代に始まり、江戸時代にその書き方が定まった。≫ということになる。

ところが我が沖縄語では「候文」が鎌倉や江戸の時をを超えて、現代でもごく普通に使われている。

「いらっしゃい」や「歓迎」を意味する言葉に「メンソーレー」という沖縄方言は沖縄ブームに乗って今ではかなり認知度が高まっている。

・・が、「メンソーレー、メンソレータム」と言ったギャグに使われるように、日本語とは異質な方言として捉えられている。

この「メンソーレ」こそ、鎌倉時代に始まり江戸時代に完成した、古雅の趣溢れる「候文」そのものであり、「メンソレータム」などの「イフー(異風)な」単語とは出自が異なるのだ。(イフーナとは沖縄方言で「奇妙な」の意)

その前に先ほどから「老人ハラスメント」の「たんめー、はーめー」はどうなった、と言う声が気になってしょうがない。

けして忘れ去ったわけではないので暫くの我慢でお付き合いを願いたい。

相手に尊敬を表す「接尾語・接頭語」に次のようなものがある。

前、御、主、・・・これらを全部まとめて使いオマケに「様」までサービスしたのが、午前さま、・・じゃない、御前様。

尊敬語も使い慣れると、御前様→おまえさん、と変化してグッと庶民的にもなる。 

で、メンソーレは?

ハイ、・・・「前に候」→前にそうらえ→めーにそおらえ→めーにそーれー→メンソーレー

・・と、目出度く「候文」メンソーレの誕生となる。

■「老人ハラスメント語・その一・・・・ウスメー(薄命?)」、おじいさん(平民)」

主(しゅ)という尊敬語の前後に御(お)と前(まえ)を付けて「御主前」これがおじいさんの尊敬語。

御主前が訛って行く過程: おしゅまえ→おすめー(→O→U)→うすめー

「うすめー」は決して「薄命」では無く老人を尊敬する「御主前」の沖縄訛りであった。

■「老人ハラスメント語・そのニ・・・・タンメー(短命?)」、おじいさん(士族)」

士族のおじいさんはおだてて「殿」と祭り上げよう。

そして尊敬の接尾語「前」を付けると「殿前」。

例によってこれが訛って行く過程は簡単だ。

殿前: とのまえ→とのめー→とんめー→たんめー

やはり「たんめー」も「短命」では無く「殿前」と言う尊敬語で一件落着。

■「老人ハラスメント語・その三
①「はーめー」→おばあさん、祖母(平民の) 
②「うんめー」→おばあさん、祖母(士族の)
③「はんしー」→おばあさん。那覇で士族の」→おばあさん、那覇で士族の祖母・老婆

残りは女性に対する「ハラスメント」なので特に慎重を期すべきだが、沖縄ではテーゲー(大概)・大雑把を尊ぶのでマトメテ説明しよう。

女性の場合は全て「」というキーワードが入る。

各々の「日本語由来」の言葉を書きおくので今までの類推で理解できるであろう。

「はーめー」→「母前」(ははまえ)→「はーめー」
うんめー」→「母前」(おもまえ)ここでの母は母屋(おもや)の母で「おも」→「うも」→「んも」→「んめー」→「うんめー」
「はんしー」→「母主」(ははぬし)→「ははんし」→「はんしー」

かくして老人苛めの沖縄語と思われた年寄りを表す沖縄方言は、男性は「主」や「殿」と祭り上げ、女性は「母」と尊敬するいかにも沖縄らしい老人思いの言葉であることがお判り頂けただろうか。

最後に沖縄方言の事を方言では「島言葉・シマ・クトゥバ」とも「沖縄言葉・ウチナー・クトゥバ」とも言う。  

シマクトゥバはもはや説明不要だろうが、ウチナー・クトゥバは少し説明を要する。

おきなわ→OKINAWA→UCHINAWA→UCHINAA→「うちなー」

OがUに変わるの判るとしてK→CHと変わるのが子音の法則。

沖縄料理で「いなむどぅち」と言う豚肉を白味噌仕立ての豚汁のような料理がある。

この料理は元々猪の肉だったの豚肉で代用されるようになった。

豚肉は猪肉ではない。 そこで「猪もどき」となる。

「猪もどき」INAMODOKI→INAMUDUCHI→いなむどぅち

空手などの「手さばき」は勿論「ティサバチ」と言う。 ここまで来たらもう説明は不要だろう。

もう一つオマケに子音の法則: R→消音

例: 森→MORI→MU×I→「むい」は森の立派な方言

さー、貴方も今日から片言なら沖縄語がしゃべれる筈。

こうして見ると音声として耳に聞こえる沖縄語は県外の人達にとってはイフーナムン(異風な物→方言で奇妙な物)に思えても、ルーツを辿れば日本語の優雅な古語にたどり着く事が判る。

これを契機に沖縄語の世界へ「前に候」、・・・じゃない、「メンソーレー」。

 


 

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狼魔人流・沖縄語講座

2006-05-12 08:18:35 | 沖縄語講座

狼魔人流沖縄語講座。

先ず巷でよく聞く話から。

「テレビから聞く沖縄出身タレントの沖縄訛りは判り易いが、・・・沖縄で聞く生の沖縄方言はさっぱり判らない。 まるでチンプンカンだ。」

そして本音では留めの一発が入る。

「やっぱり沖縄語は日本語の方言ではない。 これはやっぱり外国語だ。」

ブー! それは間違い。 沖縄語は紛れもなく日本語から分派した方言の一種だ。

沖縄ブームに乗って沖縄方言の独自性を殊更強調する人々がいる。

そして中国語の影響を強調する。

先日も琉球新報コラムで「沖縄方言と中国語」と題して中国語に語源を持つ沖縄方言を解説している地元の弁護士の先生がいた。

その弁護士先生の博識の一つを紹介すると、沖縄方言の「チファーラ」は「いっぱい食べたこと」の意味だが、これは中国語の「喫飯了」から来ているという。

うーん、説得力がある。

外にも種種の例を挙げて「沖縄方言・中国説」を書いていたが、闘鶏(沖縄方言・タウチー)や獅子(シーサー)、西瓜(シークヮー)はむしろ中国語と言うより日本語語源で説明できる。

日本語も漢字を通じて中国語の影響は大いに受けている。

そのコラムは最後をこう結んでいる。

≪さて、「沖縄方言話さずして、沖縄文化を知ったふりするなかれ」。方言に誇りをもって接すれば、中国語も堪能となること請け合いである。≫

成るほど判ったような気もするが、文の前段はともかく、後段の部分は件の弁護士先生一寸筆のお遊びが過ぎたようだ。

当ブログでは、沖縄方言にいくら誇りを持って接しても中国語に堪能になる事は請合いかねる。

沖縄語がその地理的、歴史的特異性から中国の影響を受けたのは紛れも無い事実だろう。

だが、沖縄語はその語法・文法に於いては中国語とは全く別の言語であり、起源は日本語と同じ語法を持つ。

沖縄語を習得するには沖縄独特の単語を習得すれば足りる。

沖縄独自の単語を日本語の話法で話せば、それで沖縄語は卒業だ。

沖縄独自の単語は、①日本語の訛り、②日本語の古語由来③中国語由来、④その他に分類される。

そのうち①日本語訛りを覚えれば大半は覚えた事になる。

幸いな事に、訛りには覚えやすい法則がある。

それを覚えれば沖縄語の日常会話は簡単にマスターできる。

■①日本語訛り 「母音の法則」

先ず単語をローマ字で書いて見る。

(例)
 手→TE   目→ME  毛→KE

ここで E→I と変化する法則を覚えると「手」は沖縄語では「てぃ」、「目」は「み」、
「毛」は「き」と沖縄訛りが三つ習得できる。

これを応用すると泡盛を入れる「甕(かめ)」は?

はい、沖縄語では「かみ」でも通じるが、更に訛って「かーみー」となれば完璧。

更に「O→U」の変化を覚えたら母音の法則は卒業。

(例)
 タバコ→TABAKO→「たばく」が沖縄訛り。

※「E→I O→U」変化の応用例   米→KOME→「くみ」が沖縄訛り。

卒業問題
 「そば」そしてそばに付き物の「かまぼこ」は?

それを沖縄方言では「すば」、「かまぶく」と言う。

退屈な話が続いたがたった二つの母音変化「E→I」と「O→U」を覚えるだけで沖縄訛りの語彙が無限に広がる。

■②日本語の古語由来
沖縄でよく使われる「おじー」、「おばー」は説明の必要も無いだろうが、これが

「たんめー」→おじいさん、祖父(士族の)
「うすめー」→おじいさん、祖父(平民の)
「はーめー」→おばあさん、祖母(平民の) 
「うんめー」→おばあさん、祖母(士族の)
「はんしー」→おばあさん、那覇で士族の祖母・老婆

・・・と、なると考え込んでしまうだろう。

何れもお年寄りを意味する言葉のようだが随分年寄りに対して冷たい表現ではないか。

「たんめー」は「短命?」、「うすめー」は「薄命?」、「はーめー」は「早命?」、
「うんめー」は「運命?」、

そして言うに事欠いて、「はんしー」を「半死」呼ばわりでは余りにも年寄り虐待が酷すぎる。

沖縄方言とはこのように老人に冷たい言葉だったのか。

「沖縄ではお年寄りを大事にすると聞いたが、この年寄りハラスメントは一体どう言うことだ!」

ハイ、この謎は次回に解き明かしてみよう。

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もう一人の「エリート議員」 「加藤の乱」

2006-05-11 08:43:30 | 県知事選

昨日はエリート議員の没落について書いた。

忘れては困るとの思惑か、昨夜、もう一人の嘗ての大物エリート議員が密かに動いた。

昨夜10日の夕刻、都内某所で加藤紘一がYKKと云われた嘗ての盟友山崎拓と「加藤の乱」以来悪化していた関係を修復すべく会食をした。 二人が不信任をあらわにした元総理の森喜朗もその場に同席したと言うから「大人の付き合い」はよく判らない。

ところで「加藤の乱」って?

「去るものは日々に疎し」の例えどおり、記憶は日々に薄くなる。

・・・が、あの頃(平成12年11月)は連日テレビ画面には、悔しそうに口をへの字に曲げて眼鏡の奥で涙を見せる加藤紘一の顔が連日流されていた記憶がいまだに鮮明に残る。

「加藤の乱」の詳しい経緯は兎も角、お公家様とも呼ばれた「エリート議員」のひ弱さを国民に晒した事になった。

「加藤の乱」の詳細は検索に譲るとしてhttp://www.nasu-net.or.jp/~yoshimi/mas/kato1.html、簡単にいえば『麻呂(加藤)のご乱心』で、将軍・森を倒すつもりが優柔不断の結果自ら墓穴を掘った。 その際、盟友と信じた山崎拓にも裏切られた。 その時現将軍の小泉が森将軍を支えた。 その結果がYKKの分解。 まーこんなところでしょう。

事実のみ列挙すると、平成12年11月21日、森内閣不信任案決議。
『加藤紘一と山崎拓の逃亡などにより、賛成190、反対237、棄権1、欠席51(うち病欠2、退場1含む)で否決された。』
森内閣を不信任しようとして腰砕けになったというお粗末な結末。


加藤紘一。

そのきらびやかな経歴を逐次列挙するには当日記はスペースが無いのでポイントだけを抜書きしても、東京大学法学部卒、外務省、ハーバード大学留学そして国会議員。

絵に描いたような「エリート議員だ。

時期総理候補とも言われた加藤紘一は「ご乱心」で政治生命を棒に振ってしまったが最近動きが激しい。

一昨日もみのもんたの「朝ズバ!」に生出演して「次期首相は靖国参拝をしない人がなるべきだ」、と従来からの持論を繰り返していた。

まるで中国皇帝の勅命を伝えるように。

この男は「政界で一番頭のいい男」で通っていたが、ますます「エリート議員」に対する民意を悪化させる言動が目立つ今日この頃、
・・・消える前のローソクの火の輝きなのか。


                  ◇

◆日本経済新聞 2006年5月11日

自民の森氏、加藤氏と山崎氏と会談

 自民党の森喜朗前首相は10日夜、都内で加藤紘一元幹事長、山崎拓前副総裁と会談し、9月の自民党総裁選などへの対応を巡り意見交換した。政策重視の総裁選を実施すべきだとの認識で一致。対中政策を軸とするアジア外交や過度な市場原理主義の是非に関しても協議したもようだ。

 加藤、山崎両氏は2000年11月に当時首相だった森氏への内閣不信任決議案に同調する動きを見せた「加藤の乱」で森氏との関係が悪化していた。会談には河村建夫元文部科学相も同席し、教育基本法改正案の扱いなども話し合った。 (07:02)


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エリートは「民意」に合わない?

2006-05-10 07:15:51 | 県知事選

世論や民意ほどいい加減なものはない。

世論や民意と云うと誰も逆らえない至高なものだと思いがちだ。

特に政治家やメディアはこれに弱い。

これに逆らう事は自分の存在基盤を失ってしまう事になるからだ。

彼等はなにかと言うと「・・・それは国民をバカにした言い方だ」とか「国民はそれほどバカではない」等と、国民の世論・民意を持ち上げてその陰に逃げ込もうとする。その実腹の中で国民を一番バカにしているのは彼らなのかも知れない。

世論・民意を気にするのは政治家とメディアだけではない。

学者や評論家の中でもメディア露出でメシを食っている連中は世論を気にする点では政治家と同じだ。

そんな中,普段は余りメディアに出ない藤原正彦お茶の水大教授がその著書「国家の品格」がベストセラーになったお陰で一時テレビに良く出ていた。

その世論を気にしない発言には今までのテレビ学者には見られない新鮮さが溢れていた。

「皇位継承問題」について司会者が世論や「町の声」を楯に話を進めると「世論なんてそんなものはどうでもいい。 一夜にして世論が変わった例は何ぼでもある。 それに比べれば皇室継承問題は二千数百年も守り続けてきた日本の伝統に関わる問題だ。 いい加減な世論や町の声に日本の伝統を委ねるべきではない」・・・記憶が曖昧だが、大体このような趣旨の事を述べていた。

捉え方によっては「世論」の威を借りたメディアの猛攻撃を受けかねない物騒な意見だ。

確かに一握りの大声を出すグループに民意が右に左に揺れ動く例は何度も見てきた。

世論や民意を軽んじるような発言をすると、独裁者のレッテルを貼られる。

だが、ヒットラーを独裁者に育て上げたのは銃と剣では無い。

ドイツ国民の世論と民意がヒットラーを希代の独裁者にのし上げた事は厳然たる事実として覚えておく必要がある。

目を身近に転ずると、クリントン・橋本の「SACO合意」以来,在日米君基地間問題で大いに揺れに揺れ続けているのも沖縄の「民意」だ。


◆この数ヶ月で典型的な日本のエリート二人が世間の表舞台から相い前後して消えた。

一人は偽メール問題でエリート議員のひ弱さをモロニテレビに露出させて議員を辞職した永田寿康。

東大を出て大蔵省。 更に米国留学を経て国会議員。絵に描いたようなエリートだった。

彼がメディアを通じて作り上げた「民意」は≪エリートは頼りない≫というマイナスイメージだった。

もう一人は「最初はグー。 ジャンケンポン]、・・・じゃない、斎藤健。

東大卒で高級官僚。 そして米国留学まで偽メール議員と同じだ。

千葉県選出の偽メール議員の補欠選挙の自民党側の立候補者だ。

対する民主党が推したのが「元キャクラ嬢」の「庶民派候補」。

千葉県の「民意」は「エリート」候補を非ととし、「庶民派」候補を是とした。

時事ネタにしては一寸古いと思うが、このニュースについて日頃愛読している「国際派時事コラム・商社マンに技ありhttp://plaza.rakuten.co.jp/yizumi/4月26日号で面白い記事を見たので紹介したい。

≪千葉7区補選。国民をバカにしたほうが負けた、?  千葉7区補選について一言。

ワイドショーを見ていて不愉快だったのは、
まじめな斎藤 健 候補のまじめな、まじめなイメージを危惧するあまりか

おふざけ応援をした老人たちの醜態だった。


武部 勤(ブブキン)のジャンケンといい、
(これはハマコーの応援演説では恒例らしいが)
浜田幸一が土下座ついでに斎藤 健 候補にも土下座させたのといい、

自民党候補が落選したという結果を知って見るからかもしれないが
老醜
不愉快千万。
(中略)

太田和美さん。

26歳。
県議をやって、今回国会議員になった。

これでもってかつてキャバクラ嬢もやっていたとは、
よく時間があったものだと感心したが、
最終学歴が千葉県立沼南高柳高校だった。
ああ、それで時間があったのか。

(中略)

まさかと思いますが、
高卒を売りにして
「自分は負け組の代表です」的なものの見方をしてはいないでしょうなぁ。

すべての国会議員は、野党議員も含め、
みな 「国権の最高機関に属する権力者」なのだ、
ということを忘れてほしくないものです。 ≫

この本文に対するコメントが実に面白いので煩雑を承知で転載したい。

あわせて同コラムと同じ日の産経抄も「エリート候補と庶民は候補」を取り上げているので、文末に貼り付ける。

 

≪選挙ってこんなもん?    ma62473mさん
 
Web上で見つけたマメ知識です。

☆民主党候補者 太田和美
 裕福な産廃業者の家に生まれる
→ 遊びほうけて偏差値38の高校へ
→ さらに遊びほうけて補導
→ 高卒後キャバクラでバイト
→ 悪徳商法の教材販売業者で勤務
→ 親のコネで起業
→ 親のコネで県議
→ 衆院選立候補、「負け組ゼロ社会」の実現を唱える
⇒ 努力しなかったおかげで庶民扱いされ持ち上げられる。

★自民党候補者 斎藤健
 貧乏な家(写真屋)に生まれる
→ 努力して名門校卒
→ さらに努力して東大卒
→ さらに努力して旧通産省入省
→ さらに努力してハーバード留学
→ 努力して書いた著書が各所で絶賛される
→ 実力が上田埼玉県知事に認められて埼玉県副知事に
→ 衆院選立候補 
⇒ 努力しすぎたためエリート呼ばわりされ叩かれる。
(Apr 26, 2006 07:19:35 PM)≫

 

産経抄 4月26日

 小学生の親を対象にした雑誌が相次いで創刊されたというので、書店でめくったら驚いた。難関中学合格者の家を訪問したり、中学、高校どちらで受験すべきか、脳科学で分析したり、有名大学現役学生に小学生時代をどう過ごしたのか聞いたり。
 ▼受験雑誌そのものではないか。そういえば、新聞社系週刊誌の有名大学合格者の特集も健在というか、ますます力が入っている。少子化の結果、数字上は希望者の全員が大学に入学できる大学全入時代が来春に迫っていることと関係がありそうだ。

 ▼受験戦争がなくなってもよさそうなものだが、さにあらず。大学が高校なみになると、新しい基準の「大学」が必要になる、と仏文学者の内田樹(たつる)さんはいう(「『おじさん』的思考」)。つまり東大など超難関大学と欧米の大学めざして、かえって競争が激化するというわけだ。

 ▼もっとも学歴は万能ではないし、あだになる場合だってあることを、衆院千葉7区の補欠選挙は教えてくれた。政権五年を迎えた小泉首相と小沢民主党代表の最初で最後の戦いをおぜん立てしたのが、民主党の偽メール事件だ。

 ▼若手議員の軽率で幼稚なふるまいを際立たせたのが、東大、大蔵省という申し分のない経歴だったことを武部幹事長は失念したのか。二百人以上の候補者のなかから、東大出のエリート官僚の擁立を決めるとは。そのセンスは「最初はグー、サイトウケン」のおふざけ以上に罪深い。

 ▼現職最年少の国会議員となる太田和美さん(26)は、「キャバクラで接客」などとビラで攻撃された。それがかえって反エリート、反格差社会の主張に真実味を与えることになった。政治の面白さである。教育パパママの熱気をさます効果も少しはあればいいが。


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アリストテレスいわく「・・・・」

2006-05-09 12:23:57 | 歴史

何時の頃から「歴史認識」と言う言葉がマスコミを我が物顔に歩き出したのだろう。

おぼろげな記憶を辿ると十数年前、前の中国国家主席・江沢民が来日して日本国中至る所で日本人の「歴史認識」を叱り付けて回って以来ではないだろうか。

その時は天皇陛下主催の晩餐会にも人民服で現れ、日本人の「歴史認識」を叱責して、顰蹙を買った記憶がある。

歴史の専門家でもない筆者が歴史を語るとき、昔から気に留めている事が一つある。

現在の価値判断で過去の歴史を断罪してはいけない、と言うことである。

当たり前のことだが、どうもこれでは訴える力が少ない。

これが誰か過去の偉大な学者の言葉の引用ならインパクトがある。

それも写真も無いほどの古い時代の学者の言葉の方がより重みがある。

例えばアリストテレスいわく「・・・・」とか、孔子のたまわく「・・・・」とか。

ところが似たような内容の言葉を簡潔に言っている学者がいた。

写真が無いどころか、テレビ等でもチョクチョクお目にかかる谷沢永一関西大学名誉教授である。

谷沢永一いわく「現在の感覚を、過去にそのまま当てはめ、評価を下す史家は、常に歴史を過つ」。(谷沢永一著「歴史通」より)http://www8.ocn.ne.jp/~washida/kansai20.htm

これで決まり!

因みに谷沢はタニザワと読む。

今後この引用をチョクチョク使わしてもらうよ、谷沢先生そして江沢民さん。

                    

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固有名詞なき会話

2006-05-09 08:52:14 | 年金・老人・身辺雑感

仲の良い老夫婦が、縁側で日向ぼっこをしながら通りを眺めていた。

「婆さんや、今通ったのは隣の玄さんだろ」

「いいえ違いますよ。 今通ったのは隣の玄さんですよ」

「あーそうか。 私は隣の玄さんかと思ったよ」

                     *

人生の年輪を刻んだ老夫婦の会話は意味が深い。

この老夫婦、耳が多少御不自由のようだが視力も思考力も未だ健在。

 

◆月に一度同級生が集まって飲んだり食ったりしながらクダラン話に花を咲かせている。

が、飲んで食うのはともかく、そのクダラン話がなかなか前に進まない。

「この前久し振りにアイツに逢ったよ」

「アイツって?」

「アイツだよ、アレ、アレ、眼鏡を掛けていたいたヤツ」

「そいつって同級生?」

結局そいつはその晩、身元不明のまま話題は次の「あの唄」に移った。

「あの唄って?」

「あれが唄っていた・・・」

「あれって誰?」

かくして中身の無いクダラン話は延々と深夜まで続く。

加齢と共に物忘れが酷くなるが、月に一度同世代が集まるとお互いの同病を相憐れみ、その「症状」の進行状況を確認しあう。

お互いの傷口を舐めあって一安心・・・嗚呼!、これも情けない。

「あれ」、「それ」、「あいつ」で固有名詞の出てこない会話を終えて家に帰れば、家には語りかける相手もなし。

 

 

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ゴーヤーの日とヴァイオリン教室

2006-05-08 10:45:03 | 未分類

今日は「ゴーヤーの日」だと云うメールを友人から貰った。 

5月8日を語呂合わせとの説明の外に某料理学校の「ゴーヤー料理(チャンプルー)」のレシピが添えられていた。

沖縄県人にとって何を今更沖縄料理のレシピなんて。 大体沖縄料理の秘訣は「テーゲー・大概(大雑把)」の一言に尽きる。

件の友人も結局愛妻の手料理が旨いと惚気で終わっていたが・・・。

ゴーヤーは沖縄の方言だが今では和名の苦瓜より認知度では全国区になりつつある。

沖縄の方言は文法・語法からいえば日本語の一方言に間違いないが,単語には中国語の影響を受けた言葉が少なからずある。

それでゴーヤーの語源・由来は、・・・その昔、ゴヤさんという方(呉屋という姓は沖縄に良くある姓)が栽培した・・・と言うのは真赤な嘘で、結局のところよく判らない。

その昔、琉球王国華やかなりし頃、王府の役人は中国語の読み書きが出来るものが重宝された。

特に中国福建からの渡来中国人は「唐栄」と呼ばれ、現在の久米町界隈に中国人町を作り王府の内外政治に大きな影響力を持っていた。

おそらくはゴーヤーも彼ら「唐栄」と言う渡来中国人によって沖縄に持ち込まれたものと推測される。

ではゴーヤーの中国名は「苦瓜 ku gua」「苦瓜叶 ku gua ye」「苦瓜葉 ku gua ye 」等々からゴーヤーにどのように変わって行ったのか。 当時の普通の沖縄人は文字を読めなかった。

その頃のオバー達は丁度米軍占領下の沖縄で英語の読み書きの出来ないオバー達が耳で覚えた英語で「アイスワラ(氷水)」や「コーヒーシャープ(軽食店)」と生きた英語を操っていたのと同じパターンで中国語・単語を操っていたのだろう。

文字ではなく上記「苦瓜叶 ku gua ye」等を耳から聞いて発音していたら、きっと時の流れと共に「ゴーヤー」に迄たどり着くのではないだろうか。

「トゥーヌユー(唐の世)」も「アメリカユー(アメリカの世)」も沖縄のオバー達は逞しくアイスワラにもゴーヤーにも馴染んで来たのだろう。

しばし彷徨った空想の世界「唐栄」からハッと我に返った。


                   ◇

極めて個人的な話題の「ヴァイオリン教室発表会」についてエントリーしたら、肝心のヴァイオリン教室のことは何も書いて無いじゃないかと云う意見があった。http://blog.goo.ne.jp/taezaki160925/e/bcf8836c601d07141f5347d394b48fb3

余計な事を書き過ぎて肝心の事を書き忘れる、・・・これが当ブログの特徴。

これを称して「画竜点睛を欠く」・・・と余計な事を言っている内に又わすれると困るので最初に書いておく。

「岳原ヴィオリン教室」 岳原恵美子 先生
電話098ー885-1076
外にも宮古島と南風原「イオン」内でも教室を持っている。

今ソリストとして活躍中の美人ヴァイオリニスト・西川裕梨子さんも同教室の卒業生。
http://www.otv.co.jp/muribushi/051114.html

「ヴァイオリン教室」というと音楽の才能がないから、とか大人になってからではもう手遅れとか、色んな理屈捏ねて敬遠する人がいる。

しかし最近は定年ごにヴァイオリン教室の門をくぐる人が多いと聞く。

岳原教室でも大人専門のクラスを設けていると聞く。

何故音の出しやすいしかも演奏姿勢が楽なピアノ教室を避けて、敢えてヴァイオリン教室にするのか。

それには大きな理由がある。

アンサンブルの楽しさ。 そう合奏する事により同じ趣味を持つ仲間との交流が楽しめると言う事に尽きる。

一人で弾くと人前では聞かせられない音も、「赤信号 皆で渡れば怖くない」、・・ではなく、「皆で弾けば音質も音程も上手な人の音に収斂していく」から心配ご無用。

これが弦楽器の摩訶不思議な特性。
                 

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