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「応仁の乱」「三男の秀忠が徳川幕府の将軍に」

2024年02月10日 | 歴史
🌸源頼朝が政子を大切にした理由4

『要旨』
 ☆「自分の子か?」と疑う男たちの悲しい性
 *徳川家康は長男の信康を自分の跡取りにしようと考えていた
 *信康は、織田信長の命令で切腹させられた
 *徳川家の跡取りは、年長の次男の秀康が該当する
 *家康は、秀康が自分の子だとは思えず、愛することができなかった
 *結果、二代目将軍となったのは三男の秀忠だった
 ☆日本版「椿姫」が「応仁の乱」の源
 *権力者、畠山持国は高級遊女と関係を持ち、男の子が生まれた
 *彼は、相手の女性は高級遊女、複数の男性と関係を持っている以上
 *生まれた男の子が自分の息子ではない可能性があった
 *持国は、生まれてきた子どもを寺院に送り出家させ、僧侶にする
 *その代わりに、自分の甥っ子を跡継ぎにした
 ☆成長した息子との再会が、日本を揺るがす大騒動になった
 *持国は息子に再開し「あの子は本当に俺の子」と確信した
 *持国は、すでに跡継ぎに甥っ子を指名していたにもかかわらず
 *前言撤回、自分の子どもを跡継ぎに据えることを家臣たちに発表した
 持国の死後は、息子派・甥っ子派の間の不満が一気に爆発
 *畠山家は真っ二つになり、従兄弟同士による跡継ぎ争いが始まる
 *この争いが元で起こったのが、「応仁の乱」






「応仁の乱」「三男の秀忠が徳川幕府の将軍に」
(ネットより画像引用)

日本版「椿姫」が「応仁の乱」の源
 ☆室町時代にも、白拍子のような高級遊女に近しい存在がいた
 *彼女たちは、 一定期間Aという権力者とお付き合いする
 *次はBという権力者とご一緒し、いろんな人とお付き合いしていた
 *子どもができたら普通に生んでいた
 *生まれた子どもたちの父親が全員違うこともあった
 ☆高級娼婦の存在が、室町幕府終焉の大きな一因になった
 *室町幕府で大きな権力を持った大名・畠山持国
 *室町幕府内で強い権力を持つ斯波、細川、畠山の三家のみ
 *畠山家は一番の新興勢力で、持国の時代畠山家の全盛時代を築いた
 ☆畠山持国は高級遊女と関係を持ち、男の子が生まれた
 *彼は、相手の女性は高級遊女、複数の男性と関係を持っている以上
 *生まれた男の子が自分の息子ではない可能性があったので
 *持国は、生まれてきた子どもを寺院に送り出家させ、僧侶にする
 *その代わりに、自分の甥っ子を跡継ぎにした

成長した息子との再会が、日本を揺るがす大騒動に
 ☆畠山持国が自分の子どもを預けたお寺に立ち寄る
 *自分にそっくりな少年が目に入りる
 *持国は「あの子は本当に俺の子」と確信した
 *他人の子である可能性があった子が、実は自分の子だった
 ☆持国の頭には、「本当にこの子が自分の息子ならば」
 *息子に継がせたいという気持ちが浮かんだ
 *持国は、すでに跡継ぎに甥っ子を指名していたにもかかわらず
 *前言撤回、自分の子どもを跡継ぎに据えることを家臣たちに発表
 ☆困るのが、家臣団の武士たち
 *跡継ぎは甥の政長だと思っていたからこそ
 *散々彼に近づいて、ゴマをすったり根回ししたりしていた
 *政長に接近していた家臣からすれば、怒り心頭だった
 *反対に政長へのゴマすりに失敗していた人たちは
 *「息子の義就さんに取り入ろう」と頑張る
 ☆持国が生きている間は
 *義就派と政長派の間に漂う微妙な均衡は保たれていた
 ☆持国の死後は、息子派・甥っ子派の間の不満が一気に爆発
 *畠山家は真っ二つになり、従兄弟同士による跡継ぎ争いが始まる
 *この争いが元で起こったのが、「応仁の乱」

 ☆畠山持国の実子である義就には実力者の山名が味方し
 *甥の政長には管領の細川が味方した

⛳「自分の子か?」と疑う男たちの悲しい性
 ☆女性側は、自分自身のお腹から生まれてくるので
 *間違いなく自分が母親であることはよくわかっている
 *誰が父かはだいたいわかっているでしょう
 ☆男性側にすれば「自分の顔に似ているか」
 *その期間、妻が別の男性と確実に接触していないとか
 *不確かな証拠でしか、生まれた子どもが自分の子なのか確信が持てない
 ☆後世にも自分の子どもと信じられなかったがゆえに
 *息子を愛せなかった事例は多々ある
 ☆徳川家康は長男の信康を自分の跡取りにしようと考えていた
 *信康は、織田信長の命令で切腹させられた
 *徳川家の跡取りは、年長の次男の秀康が該当する
 *家康は、秀康が自分の子だとは思えず、愛することができなかった
 *結果、二代目将軍となったのは三男の秀忠でした
 ☆家康のように
 *「自分の子か、確信ないから、後継者からはずす」ケース多々あった
 *ときには応仁の乱のような大騒動に発展してしまうことがあった
 *まさに男女の愛憎が歴史を変える瞬間だと言える
                       (敬称略)
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
⛳出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
⛳投資は、自己責任、自己満足、自己判断で
⛳詳細は、出典原書・記事・番組・画像でご確認ください
⛳出典、『愛憎の日本史』

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