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”江(おごう)”が家光廃嫡を目論んだ理由

2022年10月20日 | 歴史
🌸”江”が家光廃嫡を目論んだ理由

 ☆江は徳川二代将軍秀忠の正室
 *三代将軍家光を産んだ女性で、将軍の正室で最も高い地位に就いた
 *秀忠との結婚は、江にとって3度目の結婚
 ☆「戦国一数奇な運命」を歩んだともいえる江の人生
 ☆江の母は、織田信長の妹のお市の方
 *江が、生まれてすぐに信長と父・浅井長政が対立する
 *小谷城が攻め落とされ、父と祖父・久政は自害する
 *”江”は信長に保護されるが、本能寺の変で信長は死去
 *信長の死後、母が信長の家臣・柴田勝家と再婚
 *姉たちと一緒に越前国の北ノ庄城へ移る
 *豊臣秀吉により北ノ庄城は落城、母と勝家は死亡する

「三度目の結婚」で秀忠の″姉さん女房”に
 ☆三姉妹は、秀吉の保護を受けることになる
 ☆江の一度目の結婚
 *長女の茶々は、秀吉の側室となる
 *次女の初は、大津城主・京極高次のもとへ嫁いだ
 *江は秀吉の命で、大野城主・佐治一成のもとへ嫁ぐ
 * 秀吉により、江は離縁させられてしまう
 ☆江の二度目の結婚
 *江は秀吉の命により、秀吉の甥秀勝の元へ嫁ぐ
 *秀勝は文禄の役で、朝鮮で病没する
 ☆江の三度目の結婚
 *江22歳のとき、徳川家康の嫡男・秀忠と再々婚する
 *江は秀忠の間に2男5女をもうける

江VS春日局ーお世継ぎバトル
 ☆江は、戦国一の悪女だったという噂もある
 *江には二人の息子、家光(竹千代)と思長(国松)を生んだ
 ☆江は、長男の家光よりも次男の忠長を滋愛していた
 *活発な気性で、容姿も端麗だった忠長に
 *江は幼い頃の織田信長の面影を見ていた
 *家光は病弱で容姿も悪く、吃音があり、江には疎ましく思えた
 ☆家光は、自分よりも乳母である春日局になつく
 *忠長を世継ぎにと考えた江は、家光の廃嫡を企てる
 *家光は「自分さえいなければ」と自害しようとし、春日局がそれを止めた
 *祖父・家康は「長幼の序」を重んじ家光を世継ぎに決定した
 *このエピソードから、江は悪女としてのイメージが強い

″家光の実母”は江ではなかった
 ☆家光の実母は春日局だったとの説
 *春日局は2代将軍家光の乳母を務め、大奥の基盤を作った女性

 (明智光秀の従弟だった斎藤利一の娘)
 ☆家光の乳母となった幕府の記録として書かれている
 ☆「稲葉系図御家系典』等の史料には
 *春日局は秀忠の子を宿しており、生まれたのが家光と書かれている
 *江の行動を見る限り、 一概にデマとは言えないのでは
 ☆江にとり春日局は、信長を討った明智光秀の重臣の娘、敵方の血縁
 *敵方の女を慕う竹千代に、苦々しい思いを抱いた
 ☆”江”は54歳で死去した後、芝の増上寺に埋葬された
                     (敬称略)                                     
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⛳出典、『日本史・意外な話』




”江(おごう)”が家光廃嫡を目論んだ理由
(ネットより画像引用)

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