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聖徳太子″不在説”の真偽

2022年11月04日 | 歴史
🌸聖徳太子″不在説”の真偽

 ☆日本の古代史で欠かせない人物聖徳太子
 *父親は用明天皇、息子は蘇我氏との権力争いで不遇の死を遂げる
 *女帝であった推古天皇の摂政を務めた.
 *大陸の文化を多く取り入れてた
 *仏教を厚く信仰し寺の建立を推進
 *豪族の力に頼っていた政治を、天皇中心の政治に改めた
 ☆聖徳太子「冠位十二階」や「十七条憲法」を定めた
 ☆「聖徳太子」という名称は、彼の死後につけられたもの
 *お札の肖像、聖徳太子を描いた最古の絵とされていた「唐本御影」
 *まったく違う人物のものである可能性が出てきた

 *現在は、この絵を肖像として使うこともない
 *かっての”聖徳太子像”は根底から覆されている

聖徳太子は想像上の人物で、実在しなかった
 ☆聡明だった厩戸皇子、数々の超人的な伝説が残されている
 *未来を見通す力も持っており予言書を残した
 *死んだ人を生き返らせた
 *神か超能力者ではないかの様な伝説も残されている
 ☆聖徳太子作成と言われている「十七条憲法」
 *官名や内容に飛鳥時代より下った後世の概念が含まれている
 *聖徳太子一人で作り上げたものではない
 *当時の学者数人により作られたと考えられている
 ☆これらが、「聖徳太子がいなかった」といわれる理由

厩戸皇子の”神性・天才性”が喧伝された理由
 ☆聖徳太子というキャラクターを作り上げたのが
 *『日本書紀』を編纂した、藤原不比等である
 ☆『日本書記』編集者・藤原不比等が目論んだこと
 *藤原家はのちに天皇家と深い結びつきを持っていく貴族
 *『日本書紀」の編纂を任された不比等
 *藤原家と天皇家の関係を色濃く描き出すため
 *聖徳太子をねつ造したのだ
 ☆聖徳太子は、物部氏と蘇我氏の争いの際に蘇我氏側についた
 *本彫りの四天王の像を作り、戦勝祈願したという

「聖徳太子」といわれている人物
 ☆実際に存在した「皇族だった厩戸皇子」と言われている
 ☆「聖徳太子」は、藤原不比等が『日本書紀』の中で作り上げた
 *「厩戸皇子のキャラクター」+「歴史に功績を残した人物」を
 *ミックスされてできあがったもの
 ☆聖徳太子の墓所は大阪府南河内郡の「叡福寺北古墳」とされている
                     (敬称略)                                     
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⛳出典、『日本史・意外な話』




聖徳太子″不在説”の真偽
『日本史・意外な話』記事、ネットより画像引用)

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