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「権門体制論」と「東国国家論」1

2021年09月27日 | 歴史
🌸「権門体制論」と「東国国家論」1

⛳「武士の活躍」が重視されてきた日本の歴史学
 ☆現在の歴史学の定説に疑問を抱く
 *中世の国家は「権門体制」を取っていたとしている
 ☆「権門体制論」とは
 *「中世国家のトップに天皇を位置づける」考え方
 ☆日本の歴史は、誰の視点に立つかで見方が大きく変わる
 *日本の歴史「武士を重視して歴史を見る」という傾向
 *歴史観が大きく変化した戦後においても、引き継がれている
 ☆日本史の時代区分
 *鎌倉に幕府があった時代を「鎌倉時代」と呼ぶ
 *京都の室町に幕府があった時代を「室町時代」と呼ぶ
 *江戸に幕府がある時代を「江戸時代」と呼ぶ
 *武士が政権を作った場所が、その時代の名前になっている
 ☆日本の歴史学が武士を重要視しているのは間違いない
 *戦後「それは違うのではないか」との反論が挙がる
 ☆「権門体制論」を主張する京大黒田先生のグループ
 *平安時代から、日本の首都は一貫して天皇がいる京都
 *京都の天皇や朝廷の重要性より「権門体制論」を発表した

⛳三つの権力のある家が天皇を支える「権門体制」
 ☆「権門体制論」とは「王家」の存在
 ☆(王家=天皇)天皇を中心に中世の歴史を考えるのが権門体制論
 ☆「権門体制論」の基本
 *権門とは「権力のある家」を意味し、世襲で代々受け継がれていく
 *権力を持つ、「公家」と「武家」と「寺家」の三つの中世日本の支配層
 *王家を支える形を取っていた
 ☆権門体制論の中では、三つの集団は専門の分野を持つ
 *公家は政治、武家は軍事、寺家は宗教や祭祀をつかさどっていた
 *三つの集団は、相互に補完しながら王家を支えていく
 ☆日本では聞きなれない「王家」という言葉使用する理由
 *世界の皇帝は、 一度皇帝になったら一生皇帝として人生を送る
 *日本の場合、天皇の存在は非常に微妙なもの
 *皇位を降りた後も上皇として政治権力を握ることがある
 *天皇だったころには実権を持たなかつた人もいる
 ☆「権門体制論」が発表されると新しい学説だと注目を浴びた
 *従来は中世日本の歴史は、将軍や武士の動きを中心に据えていた
 *権門体制論より、天皇や朝廷を中心に据えるという視点が生まれた
 *権門体制論が優れているのは、骨格がしっかりしている
 ☆他の時代の歴史とのつながりが説明できる
 *古代国家は「律令国家」、中世に権門体制が生まれた
 *戦国時代に乱世を迎えて権門体制が崩れた
 *江戸時代に幕府と藩による「幕藩体制」が作られた
 ☆日本歴史の体制変化の骨組みをつなげて見ることができる点
 *権門体制論が高く評価された要因

「中世に国家はあったのか」との疑問
 ☆権門体制論は、朝廷に重きを置き、京都中心に歴史を考察する見方
 *京大黒田先生が権門体制論を発表した
 ☆東大石井先生、権門体制説に対し疑問点を投げかけた
 *中世という時代は、中央集権国家が存在してない時代
 *中世国家の存在を考えるべき
 *『中世国家が存在した』という大前提で議論を始めること自体が間違い
 *前提がおかしいので、権門体制論は成り立たないと主張
 ☆石井先生の思惑を裏切る形で
 *権門体制論はどんどん定説として世に受け入れられていく
 ☆東大石井先生、権門体制論を丁寧に批判すべきであった
 *研究者として”しなかった”のは、大きな間違いだった
                        (敬称略)
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
⛳出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
⛳詳細は、出典原書・記事・番組・画像でご確認ください
⛳出典、『日本史の論点』




「権門体制論」と「東国国家論」1
(ネットより画像引用)

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