🌸元寇で「神風」は、”2度”吹いていない
☆元寇の際「神風」が吹き日本が勝利したとされているが
⛳元寇とは
☆大陸を支配していたモンゴル帝国と高麗王国
*「文永の役」と「弘安の役」で日本を攻めた
☆高麗王国を手中にしたモンゴル帝国の皇帝フビライ・ハーン
*「文永の役」と「弘安の役」で日本を攻めた
☆高麗王国を手中にしたモンゴル帝国の皇帝フビライ・ハーン
*自分が正統な中国王朝の継承者だと主張し
*東アジア圏の国際秩序を再建しようとした
☆フビライは、日本も属国にしようと何度も親書を送った
☆フビライは、日本も属国にしようと何度も親書を送った
*鎌倉幕府はこれを無視しフビライ・ハーンを怒らせてしまった
*フビライは日本征伐を企てた
⛳”大陸の覇者”も神風の前の壊滅のストーリー
⛳”大陸の覇者”も神風の前の壊滅のストーリー
☆「文永の役」
*モンゴル軍と高麗軍合わせて3万人↑もの兵が日本に攻めてきた
*対馬・壱岐で殺戮をしたのち、博多湾へ上陸した
*日本軍は、九州の御家人や武士たちを中心に総勢1万人
*日本軍は、九州の御家人や武士たちを中心に総勢1万人
*敵軍は毒矢や鉄砲など、見たことのない兵器を用いている
*日本軍は大宰府まで撤退したが、このとき神風が吹いた
*敵軍上陸の翌日、モンゴル軍・高麗軍の船団は海上から消えていた
*日本軍は大宰府まで撤退したが、このとき神風が吹いた
*敵軍上陸の翌日、モンゴル軍・高麗軍の船団は海上から消えていた
*上陸した夜に激しい暴風雨が吹き荒れ、帰らざるを得なかった
*日本は勝利し人々は神風が吹いたとさかんに噂した
☆「弘安の役」(7年後)
*日本は勝利し人々は神風が吹いたとさかんに噂した
☆「弘安の役」(7年後)
*高麗軍4万人を乗せた9百隻の船が日本に再び攻めてきた
*モンゴル軍の上陸作戦がうまくいかないうちに
*モンゴル軍の上陸作戦がうまくいかないうちに
*巨大な台風がやってきて、海上は5日間荒れまくる
*4千4百隻の軍船はほぼ壊滅していた
*このときもまた、神風が吹いた
☆神風のおかげで、日本は強大なるモンゴル軍を2度も追い払った
⛳本当は「武器不足」で元は退散した
☆なぜこうも都合よく神風は吹いたのか
☆文永の役でモンゴル軍が撤退した本当の理由
☆なぜこうも都合よく神風は吹いたのか
☆文永の役でモンゴル軍が撤退した本当の理由
*モンゴル軍は『三国志』の諸葛孔明が赤壁の戦いで使用した
*その日の吉方位などから、戦い方を導く占いだ
*大陸で大帝国を築いたモンゴル
*大陸で大帝国を築いたモンゴル
*軍奇門遁甲を使って破竹の勢いで勢力を拡大してきた
*日本侵略など雑作もないと少ない装備でやってきた
*予期しなかった暴風雨にあい
*日本侵略など雑作もないと少ない装備でやってきた
*予期しなかった暴風雨にあい
*モンゴル軍は逃げざるを得なかった
*日本も、この奇門遁甲戦術を立てていた
☆フビライ・ハーン率いるモンゴル軍
☆フビライ・ハーン率いるモンゴル軍
*3度日の日本征服計画を立てた
*ついに日本に襲来することはなかった
*元寇以外に、日本史上で神風が吹いたという記録はない.
*元寇以外に、日本史上で神風が吹いたという記録はない.
(敬称略)
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⛳出典、『日本史・意外な話』
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「文永の役」でモンゴル軍、武器不足で撤退した6
(ネットより画像引用)
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