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「稀代の悪女日野富子」「応仁の乱」

2024年01月30日 | 歴史
🌸日野富子(室町時代)応仁の乱を引き起こした

『要旨』
 ☆「稀代の悪女」と呼ばれる将軍の妻
 *応仁の乱の一因をつくった人物、将軍の妻日野富子
 ☆富子が男児の義尚を産んだ
 *我が子を次の将軍に立てようとする富子
 * 一度は約束された将軍の座を白紙にされまいとする義視は対立
 *富子は実力者山名宗全に、 義視は後見人細川勝元に助けを求めた
 ☆応仁の乱が終わると、最愛息子義尚も病に倒れて死んでしまった
 *晩年の富子は一人寂しく過ごしたという






「稀代の悪女日野富子」「応仁の乱」
(『日本史の黒幕』記事他より画像引用)

「稀代の悪女」と呼ばれる将軍の妻
 ☆京の都が30万人もの兵で溢れたという応仁の乱が起きた
 *多くの家屋や寺院が失われ、京都を壊減状態へと追い込んだ戦乱
 ☆応仁の乱の一因をつくった人物、将軍の妻日野富子
 *富子は、室町幕府の第8代将軍である足利義政に正室
 ☆富子は結婚し4年後に念願の第1子を出産したが、その子は死んだ
 *「今参局(いまいりのつぼね)が呪い殺した」噂が流された
 *義政はこの噂を真に受け、今参局を将軍家から追放した
 *彼女は都落ちする道中で無念のうちに自害した
 ☆目ざわりな存在を葬り去った富子
 *将軍の正室として君臨すると権力を振るっていく

日野富子自分の子供を将軍にしようと画策する
 ☆彼女はなかなか世継ぎを産むことができなかったので
 *夫の義政は弟の義視を跡継ぎに指名した
 ☆富子が男児の義尚を産んだ
 *我が子を次の将軍に立てようとする富子
 * 一度は約束された将軍の座を白紙にされまいとする義視は対立
 ☆富子は実力者山名宗全に、 義視は後見人細川勝元に助けを求めた
 *この争いに便乗するように大名たちが次々と山名派と細川派に分かれ
 *山名氏率いる西軍と細川氏の東軍の二大勢力での応仁の乱

日野富子の子供は死に、自分は一人になる
 ☆応仁の乱は京の街を焼き尽くした
 *戦火の下でも富子は我が子のために裏工作を続けた
 *彼女は敵味方かまわず息子を支持してくれる者に金を貸しつけていた
 *我が子の味方の数を増やそうと奔走した
 *富子は米相場で諸けたりして金の亡者となった
 ☆戦乱の中、義政は将軍の座を義尚に譲り引退した
 *義政ま隠居して富子とは別居
 ☆応仁の乱が終わると最愛息子義尚も病に倒れて死んでしまった
 *晩年の富子は一人寂しく過ごしたという
 ☆長年、日本史上稀代の悪女といわれた日野富子
                       (敬称略)
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⛳出典、『日本史の黒幕』

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