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「一条天皇」「彰子・定子」「式部・清少納言」「サロン」

2024年01月30日 | 歴史
🌸『源氏物語」の時代は恋愛至上主義(3)

『要旨』
 ☆紫式部の時代、藤原氏から定子と彰子が一条天皇に嫁いだ
 *どちらが一条天皇の子どもを産むかでバトルが繰り広げられた
 *彰子が産んだ子ども、が次の天皇になったので、道長の権力が確立された
 ☆藤原氏は、教養のある女性を娘の周囲に集めサロンを作った
 *長男藤原伊周がスカウトしてきたのが『枕草子』の清少納言
 *道長がスカウトしたのは、歌の名手である和泉式部や紫式部
 ☆『蜻蛉日記』
 *右大将道綱母が藤原道長の父藤原兼家への愛憎を綴っている
 *恨み節が赤裸々に描かれている
 ☆平安時代、貴族たちが優雅な生活を送る
 *平民たちは住む家・食べるものもなく、流行り病で死んでいる
 ☆平安時代の貴族社会は狭く、貴族たちは五百人もいなかった
 小さなコミュニティのなかで『源氏物語』の読者となった人々
 *平安時代では、ごく一部のスーパーエリートだけだった






「一条天皇」「彰子・定子」「式部・清少納言」「サロン」
(NHKテレビ「英雄たちの選択」「ザ・プロファイラー」より画像引用)

紫式部や清少納言は、妻たちの恋愛を演出する存在だった
 ☆紫式部の時代、藤原氏から嫁いだ定子か彰子
 *どちらが一条天皇の子どもを産むかでバトルが繰り広げられた
 *彰子が産んだ子どもが次の天皇になったので、道長の権力が確立された
 *平安時代では、恋愛関係が政治や権力にそのまま影響していた
 ☆結婚しても、天皇が娘の元に通つてくれなければ子どもはできない
 *天皇の気を引くためにどうしたらよいかを、貴族たちは必死に考えた
 ☆藤原氏をはじめとする貴族たちが行ったのが
 *教養のある女性を娘の周囲に集め、文化的なサロンを作ること
 *自分の娘のサロンが、華やかで賑やかで知的に洗練されてれば
 *天皇もその評判を聞きつけて、娘のもとに通う傾向があった
 ☆定子の兄である藤原伊周も、彰子の父である藤原道長も
 *天皇が思わず立ち寄るサロンを一生懸命整えた
 *伊周がスカウトしてきたのが『枕草子』の清少納言でした
 *道長がスカウトしたのは歌の名手である和泉式部や紫式部
 ☆清少納言や紫式部たちは
 *天皇に通ってもらえるような良い空間を演出する役割を担っていた
 ☆平安時代のは、後官のような藤原氏の強い貴族の権力に守られながら
 *安全と平和が保証された空間であったからこそ
 *才能ある知的な女性たちが自らのオ能を開花させた

⛳『蜻蛉日記』に描かれた赤裸々な恨み節

 ☆平安時代の女流文学で主題となるテーマは恋愛
 ☆日記文学『蜻蛉日記』の著者として有名な、藤原右大将道綱母
 *彼女は、道長の兄弟である右大将道綱の母親
 ☆『蜻蛉日記』
 *右大将道綱母が藤原道長の父藤原兼家への愛憎を綴っている
 *恨み節が赤裸々に描かれている
 ☆彼女の人間臭い表現にあふれた日記
 *どんなに身分が高くても、時代が変わっても
 *男女の間柄というのは変わらないのだなと思う

『源氏物語』では触れられない名もなき庶民の苦しい日常
 ☆平安時代の平和は、あくまで一部の貴族たちだけのもの
 *庶民まで平和の恩恵を受けていたとは、到底言えない
 ☆平安時代をイメージする上でわかりやすいのが
 *芥川龍之介が書いた『羅生門』という短編です
 *羅生門に中には死体がゴロゴロ転がっている状況
 ☆平安時代、貴族たちが優雅な生活を送る一方で
 *平民たちは住む家・食べるものもなく、流行り病で死んでいる
 ☆『源氏物語』が日本文学の最高峰の作品であるには異論はないが
 *『源氏物語』が平安時代を代表する文学には、疑問がある
 ☆平安時代の貴族社会は狭く、貴族たちは五百人もいなかった
 *小さなコミュニティのなかで『源氏物語』の読者となった人々
 *ごく一部のスーパーエリートだけ
 *朝廷内でも『源氏物語』の名前を知っている人はいたかも  
 *しかし、実際に読む機会を持てた人というのはほとんどいなかった
 ☆『源氏物語』が貴族の教養として定着するのは
 *室町時代以降で、一般的にこの作品が読まれることはなかった
 ☆鎌倉時代に入って、貴族の成勢は失われた
 *暴力で物事を解決する武士の時代へと移行
 *以降、貴族は財産もなければ権力もない形骸化した存在
 *かって「セレブ」だった貴族たちが「源氏特語」を愛好した
 ☆大河ドラマでも『源氏物語』が取り上げられているが
 *華やかな王朝絵巻の世界は存在したが、限定的な世界であった
 *裏には名もなき庶民の苦しい日常があった
                       (敬称略)
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
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⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
⛳投資は、自己責任、自己満足、自己判断で
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⛳出典、『愛憎の日本史』

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