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北条時宗は「救国」の英雄か?(4)

2021年10月14日 | 歴史
🌸北条時宗は「救国」の英雄でない

⛳「文永の役」は、モンゴル軍の「様子見」だった

 ☆文永の役、中国からきたモンゴル軍が対馬に上陸
 ☆暴れた後、日本の九州地方に攻め込む
 ☆文永の役は進軍ではない
 *現在では「威力偵察」だったのが定説
 ☆文永の役のときは、約3万人のモンゴルの軍勢が来た
 ☆文永の役の後、フビライは、新たに使者を日本に送る
 *北条時宗は、使者団一行を斬首する
 *野蛮すぎる日本側の行動にモンゴルあきれる
 *モンゴル交渉の余地なしと判断した
 ☆「弘安の役」が起こる
 *フビライは、12万人もの大軍で日本を襲う
 *うまい具合に台風が起きて、モンゴル軍は敗退した

⛳日本が、モンゴル軍を排したのは、幸運の結果である
 ☆「北条時宗は英雄だった」という定説は誤っている
 ☆時宗は、モンゴル勢が攻めてぐることは、想定できたはずです
 *時宗は、何も手を打たず
 *文永の役のあと、福岡の博多の海岸に防塁を築いたが
 *人間の背の高さほどに石が積まれただけのお粗末な代物
 ☆「これでモンゴル軍と戦おうとしていたの?」と呆れてしまう
 ☆自分の対応が原因で戦争に発展した
 *対策にしても、少し石を積んでみただけ
 ☆弘安の役、12万人の軍勢が博多沖に集結した
 *大半はモンゴル兵ではなく、高麗の兵と南宋の兵
 *彼らには「モンゴルのために戦おう」というやる気はない
 *ケガをせずに帰りたいと想うのが自然
 ☆時宗がきちんと挨拶の使者を派遣しいれば
 *フビライは満足して日本遠征などしなかった

⛳北条時宗は救国の英雄でない
 ☆時宗は、日本国を危険な目に遭わせた張本人
 ☆北条氏は歴代名君揃いで、優秀な人が次々とトップになる
 ☆北条時宗の代から、幕府の屋台骨が傾いた要因
 *元寇時、日本全国から武士たちが駆り出された
 *一応はモンゴルに勝利したが
 *武士に土地と言う恩賞が与えられなかった
 *それが、北条氏政権の終焉の引き金にもなった
                       (敬称略)
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
⛳出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
⛳詳細は、出典原書・記事・番組・画像でご確認ください
⛳出典、『日本史の論点』



 北条時宗は「救国」の英雄か?(4)
(ネットより画像引用)

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