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「頼朝を政子を大切にした」「鎌倉時代女性の権力強かった」

2024年02月07日 | 歴史
🌸源頼朝が政子を大切にした理由(2)

『要旨』
 ☆頼朝と政子の婚姻関係は、北条氏にとっては生命線
 *政子との子どもを源氏の跡取りにしている点、頼朝の愛情が感じられる
 *鎌倉時代、高貴な家柄の女性から生まれた男児、跡取りの風潮があった
 *頼朝は、都からお姫様を連れてきて正室にしても不都合はなかった
 *頼朝は、政子という女性の存在を非常に尊重していた
 *北条政子、頼朝に夢中だったようだ
 *北条家が幕府で発言権を持てたのは、婿である頼朝とつながりからだ
 ☆頼朝が、政子と結婚できていなければ、鎌倉幕府は存在しなかった
 *頼朝が無事に鎌倉幕府を建てられた背景には、義父の存在がある
 ☆鎌倉時代は女性の権力が強く、尊重されていた
 *北条政子は頼朝の死後も大きな発言力を持っていた
 *御家人はみんな彼女のことを尊重していた
 *鎌倉時代、財産相続にしても、男性だけではなく女性も対象になった




「頼朝を政子を大切にした」「鎌倉時代女性の権力強かった」
(ネットより画像引用)

⛳頼朝と政子の婚姻関係は、北条氏にとっては生命線
 ☆政子との子どもを源氏の跡取りにしている点、頼朝の愛情が感じられる
 *高貴な家柄の女性から生まれた男児が、跡取りになる風潮があった
 ☆政子は立派な家の出身ではないので
 *頼朝は、都からお姫様を連れてきて正室にして
 *その姫との間に生まれた子どもを源氏の跡取りにしても
 *おかしくなかった
 *頼朝がその選択をしなかったことからも
 ☆頼朝は、政子という女性の存在を非常に尊重していた
 ☆北条政子、頼朝に夢中だったようだ
 *政子の妊娠中に頼朝が浮気したとき、
 *政子は愛人の家に家来を派遣し、その家を徹底的にぶち壊した
 *政子が嫉妬心のみならず、他の女性を寄せ付けないようにしていた
 *裏に「頼朝とのつながりが切れることに対する恐れ」があった
 ☆北条氏は家自体がさほど大きくなく、鎌倉幕府ができた後
 *北条家が幕府で発言権を持てたのは、婿である頼朝とつながりからだ
 ☆頼朝と政子の婚姻関係は、北条氏にとっては生命線だった
 ☆結婚後も、政子は北条家の屋台骨を支え続けた

頼朝が、政子と結婚できていなければ、鎌倉幕府は存在しなかった
 ☆頼朝が北条政子に結婚を受け入れてもらえなかったなら
 *三浦氏など、関東武士の誰かの娘をもらおうと画策していたでしょう
 ☆頼朝が政子以外の人と結婚していた場合
 *鎌倉幕府の成立にまで至っていたかは甚だ疑問
 *頼朝が無事に鎌倉幕府を建てられた背景には、義父の存在がある
 *義父の時政は腕っぶしは強くないが、頭は切れる人
 *鎌倉幕府を作る上では欠かせない人材でした
 ☆仮に他の家の娘をもらった場合
 *北条家のように家族ぐるみで頼朝をサポートしてもらえたか疑問
 ☆北条政子自身が、人間として非常に優秀な人なので
 *色恋だけではなく、家族や政治も考えてサポートしてくれた
 ☆政子自身、実家への強い意識を持つ女性だからこそ
 *嫁ぎ先である源氏よりも実家に肩入れするようになる
 *最終的には北条家は源氏よりも大きな権力を握るようになる

鎌倉時代は女性の権力が強く、尊重されていた
 ☆鎌倉時代の女性たちは、権利をしつかりと持ち
 *社会的な地位もそれなりに高かった
 *北条政子などは、そのよい例でしょう
 ☆女性の役割が高く評価されていなかったのだとすれば
 *頼朝の死後、北条政子には誰も見向きもせず
 *その言い分を聞こうなどとはしなかったでしょう
 ☆北条政子は頼朝の死後も大きな発言力を持っていた
 *御家人はみんな彼女のことを尊重していた
 *北条政子が例外だと考えるのではなく
 *鎌倉時代は女性の権力が強く、女性全般が尊重されていた
 ☆当時の武家社会にとって、 一番の表芸は武芸(軍事)
 *軍事は男性よりも女性の方が弱い立場に置かれることが多かった
 *それ以外の部分では女性の存在が軽視されていたわけではなく
 ☆財産相続にしても、男性だけではなく女性も対象になる
 *鎌倉時代に荘園を管理する存在だった地頭の中には、女性も存在した
 *仮に戦力として地頭の役割が求められた際
 *本人でなく、誰か戦地に行く代理を立てれば問題はなかった
                       (敬称略)
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
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⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
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⛳出典、『愛憎の日本史』

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