慶喜

心意気
「明日迄の命の気持ちで、人生を!」
「不老不死の気持ちで、知識の習得を!」

「小早川秀秋」「裏切り者」

2024年02月09日 | 歴史
🌸小早川秀秋(安土桃山時代)19歳で天下を左右した

『要旨』
 ☆小早川秀秋、日本一の裏切り者
 ☆秀秋、秀吉との養子縁組を白紙にされて豊臣家から追い出される
 ☆小早川秀秋は、大きな戦いを前にしても煮え切らない態度
 *小早川秀秋、天下分け目の戦いを決する位置松尾山に立っている
 *小早川秀秋、日本一の裏切り者と言われる行動を取る
 ☆小早川秀秋、21歳でこの世を去る
 ☆秀秋が死に跡継ぎがいなかった小早川家改易


「小早川秀秋」「裏切り者」
(『日本史の黒幕』記事より画像引用)

日本一の裏切り者
 ☆小早川秀秋の肖像画、困惑した顔の武将の顔が描かれている
 ☆天下分け目の戦い関ヶ原の戦い
 *小早川秀秋の行動が勝利の行方を左右した
 *”日本一の裏切り者″といわれたのが小早川秀秋

秀秋、秀吉との養子縁組を白紙にされて追い出される
 ☆現在の滋賀県長浜市に生まれた小早川秀秋は、豊臣秀吉の養子だった
 ☆秀吉、正室北政所との間に子供ができなかった
 *秀吉は、有力な家臣の子供を何人も養子に迎えていた
 *小早川秀秋の父親は北政所の兄だった
 *秀秋は秀吉の後継者として期待されていた
 ☆秀吉と側室の淀君との間に秀頼が生まれ秀秋の株は急落した
 *捨てられるように小早川家に養子に出された
 *養父の小早川隆景に鍛えられた秀秋
 *朝鮮出兵では秀古軍の総大将を任せられるまでになった
 ☆秀秋は家康に大きな借りを作っている(朝鮮出兵問題での救済)
 *秀秋は、味方の三成に対して疑心暗鬼だった
 ☆関ヶ原への伏線は次々と張られていった

⛳小早川秀秋は、大きな戦いを前にしても煮え切らない
 ☆石田三成は天下獲りへの野心をあらわにした徳川家康
 *討つことを決意して、豊臣系の武将たちに向けて檄文を送る
 ☆家康率いる東軍と三成率いる西軍との間で全面戦争が始まった
 *10代だった秀秋は西軍に身を置いたものの
 *豊臣家や三成との確執で、態度は煮え切らない
 *小早川秀秋は、寝返するのではと味方から疑われていた
 ☆肖像画に描かれた秀秋の思案顔
 *彼の胸の内を表しているのかもしれない

小早川秀秋、天下分け目の戦いを決する位置に立つ
 ☆関ヶ原一帯を見下ろす松尾山に姿を現した秀秋
 *松尾山には、西軍の使者、東軍からも使者が訪れた
 ☆一進一退の戦況のなか、動こうとしなかった秀秋の決断
 ☆小早川秀秋の決断を促した家康
 *松尾山に威嚇射撃を行った
 *秀秋はついに腹を決めると、三成率いる西軍に攻め込む
 ☆秀秋の裏切りをきっかけに西軍の武将
 *相次いで敵軍へと寝返っていった
 *最後の関ヶ原で小早川秀秋は大谷吉継軍と激突した
 *最終的に勝利は得たが、秀秋は吉継の怨霊の妄想に悩まされた
 ☆最後まで煮え切らない態度をとっていた秀秋
 *奇しくも天下分け目の人一番でキーマンなった

小早川秀秋、21歳でこの世を去る
 ☆東軍の一員として勝利を収めた小早川秀秋
 *関ヶ原の戦いから2年後、21歳の若さでその生涯を閉じている
 *裏切り者として後ろ指を指され、酒におぼれて死亡した

 *小早川秀秋によって自害した、武将の呪い殺されたという話
 *自分の人生を振り返ってノイローゼイになって自害したという話
 ☆秀秋が死に、跡継ぎがいなかった小早川家改易
                       (敬称略)
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
⛳出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
⛳投資は、自己責任、自己満足、自己判断で
⛳詳細は、出典原書・記事・番組・画像でご確認ください
⛳出典、『日本史の黒幕』

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 睡眠障害と不眠症(2) | トップ | 「毛利季光」「宝治合戦」「... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

歴史」カテゴリの最新記事