タカ長のタカの渡り観察

タカが好き、山が好き、花が好き、心はいつも旅もよう。日々移ろいゆく心もようを綴るナチュラリストのつぶやきです。

むかしの登山者は

2017年06月03日 | 山歩きから
むかしの登山者と今の登山者では、登山者気質がまったく変わってしまった、とよく言われます。

タカ長はタカ長なりにそのことを実感しています。

むかしの登山者と今の登山者、その境界線は1980年ころにありそうなのですが、そうだとしたら1950年代の終わりころから登山を始めたタカ長は間違いなく「むかしの登山者」ということになります。

    

むかしの登山者と今の登山者を比べると、、、

むかしの登山者は山への取り組みかたが主体的で、今の登山者は受動的であること。

むかしの登山者は自分の登る山、自分の歩きたいルートを明確に持っていたように思います。それは誰かから強制されたものではありません。

それぞれの登山者が自分の考えを持ち、登りたい山を持っていて、その山に登るための技術をみがき、トレーニングを積み、、

その山を登る相棒と装備を持って山に向かっていたように思います。

しかし、受動的な今の登山者は自分の登りたい山を自分で決めることが出来ないようです。

    

そのような登山者が飛びついたのが「百名山」ではないかとタカ長は感じています。

あの百名山はあくまで深田久弥が選んだ百名山であって、その百名山がすべての人の百名山とはならないはずなのに、、、

自分で自分の登りたい山を決めることが出来ない人がそれに飛びついてしまい、それが百名山ブームになっているのではないかと感じるのです。

深田久弥に罪はないのですが、罪な本を書いてくれたものだと思うことはあります。

その山に登る技術もないのに、そこが百名山だからと言う理由でその山に行き、滑落、遭難死、と言うパターンは少なくないはずです。

タカ長の近くでは、百名山完登の置き土産として「車いす生活」になった人もいます。

自分の登山技術や脚力のことも考えないで、ただ百名山を完登することだけを考えて登山をしているとこのようなことにもなりかねません。

自分の登りたい山、自分の登れる山を考えないで、ただ単に百名山のリストをつぶすことだけ考えていると大変なことにもなりかねないのです。

このように考えているタカ長には百名山なんて特別な意味はなくて、これまでその半分くらいしか登っていません。

タカ長は自分の登る山を深田久弥に決めてももらわなくても、自分で決めることが出来ます。

それが出来るのが「むかしの登山者」なのです。

    

今日の画像は5月30日に登った比婆山のものですが、、、

タカ長が登山を始めたころは、県北の山らしい山にはいきなり連れて行ってもらえませんでした。

連れて行ってくれとは言えない雰囲気が登山者全員の中にありました。職域や町の山岳会の垣根を越えて、登山するひと全員にそのような雰囲気が確かにありました。

県北の高い山に登るためには、近くの低山を何回も歩いてから、、

その段階が終わってはじめて、県北の山に行くパーティーに加えてもらうことが出来ました。

しかし、いまはそのようなものはありません。登山を始めたその日から百名山なんて珍しいことではないようです。

そのような時代に育った、むかしの登山者であるタカ長の経験は、いまの山グループで生かされていますが、、、

むかしの登山者の経験がいまも邪魔していることを感じることもあります。

    

先日の比婆山では思った以上に疲れを感じたのですが、、、、

その原因の一つが水分補給の不足ではないかと思うのです。

今では夏になると熱中症予防のために水を飲みましょう、と色々な場で言われていて、そののとはタカ長も知っていて、、、

登山中には水を飲むことを忘れてはいないのですが、、、、

しかし、、、、しかし、、、、タカ長が育ったのは「水は出来るだけ飲まないように」と指導された時代、、、

頭では分かっていても、最初に刷り込まれて習慣が邪魔して、水分補給の量が少なくなっているのではないかと思うのです。

ご存知のように運動中に水を飲まないと持久能力が大きく落ちることが知られています。

水を飲まないと血液中の水分量が減って血圧が下がり、筋への燃料や酸素の供給がうまくできなくなるのがその原因です。

血液の循環が悪くなると、疲労感や倦怠感、息切れなどなど、、、、いいことは一つもありません。

そしてそれがさらに進むと最悪の場合は死が待っています。

そのようなことは分かってはいるのですが、それでもついつい水分不足になるのは、むかし受けた教育がいまも邪魔しているのではないかと思うのです。

むかしの登山者は自立していて、今の登山者よりはいいとタカ長は思うのですが、、、

むかしの登山者の習慣が今もって抜けなくて、困った思いをしているのも事実なのです。