河合隼雄の講談社新書「人の心はどこまでわかるか」に手を出してしまった。
人の心がいかにわからないものなのかをわかっているとして、しかし、わかりたいという誘惑にかられる人のこころを惑わす臨床心理家のやり口…。
しかし、奥行きのある心理療法のあり方も語られていて興味深い。
・根本は「そこにいる」ということで、それ以外の何者でもない:ほんとうにつらいとき、悲しいときにはよけいな慰めなどいってもらう必要はなく、一緒にいてもらうだけでいい。ところが、治療者のほうがじっとしていられなくなって、ついよけないな慰めの言葉をかけたりしてしまうのです。これは一緒のごまかしに過ぎません。私は、自分の仕事のことをよく「何もしないことに全力をあげる」と表現します。つまり、doing ではなく、beingが大切だということです。
・薬物療法と心理療法:薬を飲むと、ある意味では楽になりますが、苦しむからこそ治るということろもあって、そこの難しさがあります。患者が苦しむときには、治療者も苦しいわけで、医師や看護婦の苦しみを防ぐために、患者に薬を飲んでもらう場合もあります。たとえば、ほおって置いたら暴れてどうしようない患者さんなら、はやり安定剤などで押さえることも必要になるでしょう。…現実問題をどう読んでいくかが大きな課題となるでしょう。心理療法というものは、本気でやったらとてもしんどいものです。河合自身も50歳の時に危機感を感じたとのこと…
・行動療法の評価:私たちは全体的にいろいろなことを理解しながらやっていこうとするけど、行動療法をやる人は、クライエントの内面はあまり問題にしません。…すごいわかりやすいし、効果も早く出ますから、今アメリカではこの行動療法が非常にさかんです。…「行動療法は表面的だ。われわれは内面の深いことがわかっている」という人もいますが、之もそう簡単にはいえないことです。階段を3段しかのぼれなかった人が、5段までのぼれたというのは、考えてみればすごい変化ですが、そういうことをやっていることによって、その人の内面や心が大きく変わっているかもしれないからです。行動療法をやっている人はそういうことをあまりもんだいにしませねんが、内部ではそういう変化が起こっているかもしれない。…沸かしは、行動療法とわたしたちがやっていることは、ひょっとしたらあまり違わないかもしれないと思うこともありますが、いずれにせよ、症状だけに着目して、それで喜んでいたのではだめで、…(後略)
人の心がいかにわからないものなのかをわかっているとして、しかし、わかりたいという誘惑にかられる人のこころを惑わす臨床心理家のやり口…。
しかし、奥行きのある心理療法のあり方も語られていて興味深い。
・根本は「そこにいる」ということで、それ以外の何者でもない:ほんとうにつらいとき、悲しいときにはよけいな慰めなどいってもらう必要はなく、一緒にいてもらうだけでいい。ところが、治療者のほうがじっとしていられなくなって、ついよけないな慰めの言葉をかけたりしてしまうのです。これは一緒のごまかしに過ぎません。私は、自分の仕事のことをよく「何もしないことに全力をあげる」と表現します。つまり、doing ではなく、beingが大切だということです。
・薬物療法と心理療法:薬を飲むと、ある意味では楽になりますが、苦しむからこそ治るということろもあって、そこの難しさがあります。患者が苦しむときには、治療者も苦しいわけで、医師や看護婦の苦しみを防ぐために、患者に薬を飲んでもらう場合もあります。たとえば、ほおって置いたら暴れてどうしようない患者さんなら、はやり安定剤などで押さえることも必要になるでしょう。…現実問題をどう読んでいくかが大きな課題となるでしょう。心理療法というものは、本気でやったらとてもしんどいものです。河合自身も50歳の時に危機感を感じたとのこと…
・行動療法の評価:私たちは全体的にいろいろなことを理解しながらやっていこうとするけど、行動療法をやる人は、クライエントの内面はあまり問題にしません。…すごいわかりやすいし、効果も早く出ますから、今アメリカではこの行動療法が非常にさかんです。…「行動療法は表面的だ。われわれは内面の深いことがわかっている」という人もいますが、之もそう簡単にはいえないことです。階段を3段しかのぼれなかった人が、5段までのぼれたというのは、考えてみればすごい変化ですが、そういうことをやっていることによって、その人の内面や心が大きく変わっているかもしれないからです。行動療法をやっている人はそういうことをあまりもんだいにしませねんが、内部ではそういう変化が起こっているかもしれない。…沸かしは、行動療法とわたしたちがやっていることは、ひょっとしたらあまり違わないかもしれないと思うこともありますが、いずれにせよ、症状だけに着目して、それで喜んでいたのではだめで、…(後略)