毎年この季節に妻の郷里山梨へ行くと完熟桃を買ってくる。日持ちしないため県外に出回ることはないので現地でしか買えない。見てくれは良くないものもあるがとにかくうまい。しかも安い。こちらの五分の一以下の値段で買える。
京都などの消費地で売っている桃は1個200~300円もする。しかも見栄えほどうまくない。収穫から運送・販売までの期間の商品価値維持のため熟す前に収穫されるから見栄えは良くても糖度や香りが不十分であまりうまくないのだ。畑で真っ赤に熟すまで育てられたトマトが果物のように甘くてうまいのは誰もが知っている。それと同じことだ。
田舎暮らしに憧れる人が増えていると聞く。理由は人それぞれだろうがただ一つ共通するのは、単純に「うまいものが食べたい」ということではないだろうか。これは間違いない。しかもそれを自分で作れれば人生の楽しみが何倍にもなる。人間もその土地に根付いて完熟することこそ豊かな人生というものかもしれない。
都会に住む消費者は金が無くては本当にうまいものはなかなか食べられない。暮らしのためにいつも「金」に追われている。「金」にあかせて食道楽という、無粋な輩もいるが、「金」を積めばうまいものを食わせてもらえて当たり前、自慢にもならない。むしろ「金」を稼ぐ行為のために環境負荷を増大させていることを恥じるべきなのだ。食、住、教育、...都会で人が熟すには金がかかる。一体どれだけの人が完熟できるのだろう。