●驚き、嘆き、あざ笑うだけでは何も変わらない! 第二の「号泣県議」を誕生させない眼力の養い方
ダイヤモンド・オンライン 相川俊英 [ジャーナリスト] 【第101回】 2014年7月8日
「号泣県議」はなぜ選ばれてしまったか?
議会改革は議員定数・報酬の削減にあらず
西宮市民も「誰に投票しても同じだ」と思って、うっかり票を入れてしまったのだろうか。それとも「西宮最後の希望」というキャッチフレーズに、幻惑されてしまったのだろうか。いずれにせよ、世界中に日本の恥を晒すはめになった。例の「号泣県議」(野々村竜太郎・兵庫県議)の一件だ。
まさに「後悔先に立たず」である。カラ出張など政務活動費の不正疑惑に決着はついておらず、兵庫県民はとても平常心ではいられないだろう。
とんでもない地方議員は兵庫県議会のみならず、日本各地に数多く生息する。さすがに号泣県議クラスは珍しいが、セクハラヤジを連発させた都議のように「社会人としてアウト」という議員は少なくない。
本来の役割を果たさずに議員特権の上に胡坐をかき、破廉恥な不祥事を引き起こす困った先生たちが後を絶たない。むしろ、議員・議会の劣化が全国的に加速していると言える。
これまでも議員・議会の醜態が表面化する度に、住民は怒りと嘆きの声を上げた。「議員・議会はけしからん」という思いが膨らみ、議員定数や議員報酬の削減を求める運動が始まるケースもある。
しかし、そうした運動が実ることは少ない。定数・報酬ともに決定権は当の議会が握っているからだ。それに、そもそも議員の数を減らすことと議会の質を高めることはイコールではなく、定数・報酬削減は議会改革とは言い難い。
住民の憤怒のエネルギーは事態改善につながらず、結局、でたらめ議員・議会に対する住民の怒りは時の経過とともに薄らぎ、無力感や無関心にとって代わられてしまうのである。「誰に票を入れても同じだ」とのやるせない思いがまたぞろ復活し、本来の役割を果たさぬ議員・議会がぬくぬくと生きながらえることになる。
そして、諦観とともに「こんな議会はもういらん」といった半ばやけっぱちの不要論が広がってしまうのである。議会にそっぽを向く住民がさらに増えるという悪循環である。だが、「誰に投票しても同じ」ということは断じてあり得ない。
政治の役割とは、税金の集め方と使い方を決め、さらには社会のルールを決めることだ。政治の決定に従って実務をとり行うのが行政である。では、政治・行政の使命とは何か。
住民の幸福総量を最大化させることにあると考える。と言っても、幸福感や価値観は人それぞれである。政治・行政は特定の価値観、生き方、幸福感を押し付けるのではなく、誰もが充実した人生が送れるような環境を整備することが使命である。
そうした政治の当事者は、我々有権者の1人1人である。使命をきちんと果たす政治・行政が行われれば、誰もが必ず幸福になれるというものではないが、使命を果たさぬ政治・行政が続いたら、間違いなく誰もが不幸になる。それゆえに、政治家を選び抜く眼力が重要となる。
政策よりも人物で判断する地方政治
地方議員にありがちな5つのパターン
国政と地方政治では、政治家を選ぶ基準や視点は異なる。その違いをざっくりと言ってしまえば、政党・政策ではなく、人物・能力を見て判断するのが、地方政治。とりわけ、地方議会の議員選挙がそうである。
スタイル地方議員は5つのタイプに大きく分けられる。これは、各議員がどちらを見て活動をしているかで類別したものだ。もちろん、地方議員は皆、住民と地域のために議員活動していると語るが、そうした表向きの言葉ではなく、実態による区分である。
Aタイプは、特定の組織・団体や地域の代表者である。組織内で選ばれた人物なのでそれなりの力を持つが、組織利益を最優先しがちである。
Bタイプは、国会議員などになるためのステップとして議員になった人だ。議席は上を目指す、文字通りの踏み台にすぎない。このタイプは国会議員の秘書経験者など、弁の立つ目立ちたがり屋が多い。政策通ながらも短期間でいなくなってしまう。
とにかく政治家になりたかった
「号泣県議」タイプに見る権勢欲
Cタイプは、とにかく政治家になりたいという人で、「号泣県議」がこれにあたる。権勢欲や生活のためで、晴れて議員になったら、次は議員であり続けたいとなる。
Dタイプは、何となく議員になったという人だ。世襲やなり手がなくてしかたなくというパタ―ンである。
そしてEタイプは、地域の実状を座視できず、議員になったという人だ。使命感に基づき熱心に議員活動するタイプだが、他の議員から疎まれて孤軍奮闘するケースが多い。
地方議会で一番の多数派はAタイプで、最も少ないのがEタイプだ。堅い組織票を持つAとB、Dタイプは選挙に強く、組織のないCやEは選挙に弱いからだ。各議員や候補がどのタイプであるかは、経歴や選挙公報、演説など様々な情報を集めて分析することによっておおよそ見えてくる。
判断するのに最適なのは、全員が勢揃いしてそれぞれの考えを語る場面で、そうした機会が頻繁に設定されるとよい。いずれにせよ、5つのタイプを意識しながら議員個々をウォッチすると、見えてくるものがあるはずだ(議員によっては、たとえばAタイプからBタイプに変化したり、EタイプがAタイプに変わるといったケースもある)。
では、どのような人物を議員に選べばよいのだろうか(もちろん、住民と地域に目を向けて議員活動を行う人物であることが第一だ)。
地方政治は議会と首長の二元代表制である。その下での地方議会の役割は、行政のチェックである。だが、チェック機能だけが議会の役割ならば、これほどたくさんの議員は不要と考える(実際は、チェック機能も果たせない議会がほとんどだが)。多人数で、しかも住民と接する機会(時間と余裕)のある議会側は民意を幅広く集め、政策立案につなげる使命もあるはずだ。
行政サイド(役人)とは違った発想での政策を、議会として作成する役割である。この機能を果たすために住民との意見交換会や議会報告会、さらには議員間討議といった議会改革が必須となる。議員定数や報酬の削減は別次元の話である。
多様な意見を聞き冷静に話し合える議員を
「号泣県議」を嘆くばかりでは始まらない
そのために求められる議員の資質とは何か。議員個々が見識や自分の意見、政策、理念を持っていることを大前提とし、多様な意見に耳を傾けられ、冷静に話し合える器を持っていることが不可欠となる。
つまり、異なる意見の持ち主ともきちんと議論ができる人でないといけない。自分の支持者の意見だけが民意と考えるような人はNGだ。また、議会はたくさんの職員を抱える行政と対峙しなければならない。職員ときちんと渡り合える得意分野を持った議員が望ましい。
地域は多様な人たちで成り立っている。議会も多種多様の経歴を持つ老若男女で構成されるべきだ。多様な議員が侃侃諤諤の議論を重ねながら、最終的に議会としての意見をまとめあげる。そんなメンバーを選び抜かねばいけない。
そうは言っても、選び抜くのは簡単ではない。また、AタイプやCタイプの候補者ばかりといったケースもあるだろう。そうしたお眼鏡にかなう候補者が見当たらない場合でも、候補者の中からよりましな人物を選び抜くしかない。どうしても票を入れたい候補が現れそうにないとなったら、「この人ならば」という人を探し出し、出馬を説得するしかないだろう。
それでもダメとなったら、ここはもう覚悟を決めてご自分が出るしかないだろう。だが、それには相当の準備(勉強)が必要だ。選挙に当選するよりも役割をきちんと果たせる議員になることのほうが、数倍も難しいからだ。そもそも政治と無関係で生きていられる人間は、誰1人としていない。号泣県議の出現に驚き、嘆き、あざ笑っているだけでは何も変わらない。当事者として決起することも選択肢に入れておくべきではないか。
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