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てらまち・ねっと



 「ダイヤモンド・オンライン」は、「ダイヤモンド社」のビジネス情報サイト。
 そこに、知人のジャーナリスト・相川俊英氏が「地方自治“腰砕け”通信記」を連載している。
 各地を取材しての実態に即した内容で面白い。

 その連載の今年の1月ごろのダイヤモンド・オンラインには次のテーマ。
 ★《来る地方選には、いっそあなたが出馬してみては? 官治主義を打ち崩し、真の“市民派議員”になる方法/【第124回】 2015年1月13日》
 この中では、私たちが書いた本も紹介して下っていた。⇒ 『最新版 市民派議員になるための本』(WAVE出版)

 ★《地方議員の「成り手」はもはや絶滅危惧種に? 統一地方選を前に考える地方選挙空洞化の危機/【第123回】 2015年1月6日》
  この中では、★《準備不足で空中分解した減税日本の教訓  真の「市民派議員」になるためには?》という見出しのついたパートもある。
 
 詳しくは、あるいは結論は、ブログで転載し、もっと詳しくはリンク先を見てもらおう。その相川氏が昨年の12月に出版した本は、 トンデモ地方議員の問題 (株式会社ディスカヴァー・トゥエンティワン) 。

 なお、相川氏は 《「地方議員は5つのタイプに大きく分けられる」「選んではいけない5つのタイプ」の二つ》を簡潔にまとめている。そこで、3月24日のブログに抜粋・転載した ◆地方選で誰を選び、誰を選ぶべきでないか/嘆くだけでは何も変わらない/眼力の養い方/相川俊英

 ところで今朝のノルディックウォークは、「土筆(つくし)採り」が締めだった。

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 ●地方議員の「成り手」はもはや絶滅危惧種に? 統一地方選を前に考える地方選挙空洞化の危機
     ダイヤモンド・オンライン/相川俊英 [ジャーナリスト] 【第123回】 2015年1月6日
無投票が続出し選挙が成立せず
地方選挙の深刻な空洞化現象

 昨年末の総選挙は戦後最低の投票率となった。全都道府県で6割を割り込み、全国平均の投票率は52.66%(比例区は52.65%)に終わった。有権者の政治不信や無関心、諦めなどに加え、一票を投じたい候補者が見当たらないことなどが要因と考えられる。

 過半数割れ寸前の低投票率に対し、代議制民主主義の危機を指摘する声が相次いだ。由々しき事態であることは間違いない。

 こうした選挙の空洞化現象は、国政に先んじて「民主主義の学校」と称される地方自治の現場ですでに進行している。たとえば、2011年4月に実施された統一地方選挙である。市区町村議選の平均投票率は49.86%と初めて5割を下回った。41道府県議選の平均投票率はさらに低く、48.15%にすぎない。つまり、過半数の有権者が民意を示さない状態で、大量の地方議員が選出されていたのである。

 それでも「選挙が実施されるだけまだまし」というのが、日本の地方自治の悲しい現実である。議員定数を上回るだけの立候補者が現れず、無投票となる事態が続出しているからだ。選挙そのものが成立しないケースである。議員になろうという意欲を持った住民が、激減しているのである。

 2011年の統一地方選を見てみると、選挙が実施された41道府県議会の総定数2330のうち、410人が無投票当選となった。無投票当選率は17.6%で、2007年の16.35%を上回った。無投票の広がりは全国的な傾向で、無投票当選者が出なかった道府県はない。最も多かった島根県に至っては、県議定数37のうち7割を上回る26議席が選挙なしで決まっていた。

 民意を反映しない、ないしは民意なき状態で議会のメンバーが構成されつつある。もちろん、無投票選挙は都道府県議選だけではなく、市区町村議選でも珍しくない。なかには長野県生坂村のように、選挙のたびに議員定数を減らしながら無投票が続くというケースさえある。そのうち、選挙が実施される自治体の方が珍しいと見られる時代がやってくるかもしれない。

 低投票率と無投票選挙が地方選挙の定番となりつつあるが、さらにここにもう1つ加わる。落選率の著しい低下である。選挙が実施されても立候補者が少なく、落選者がごくごく一部に限られる事例が激増しているのである。統一地方選があった2011年中の全国の市区町村議選で、立候補者数が定数より1人多かったのみというケースは、約4分の1を占めた。落選者が1人だけという「無風選挙」である。これでは選挙が盛り上がるはずもなく、低投票率につながったといえる。

 地方自治の土台が、大きく崩れ始めていると言わざるを得ない。こうした危機の根底にあるのは、議員の成り手不足である。

 立候補者が激減し、低投票率と無投票選挙の激増、無風選挙の常態化を呼び込んでいる。その結果、組織票(固定票)を持った人だけが当選する傾向がより強まり、議員の固定化に拍車がかかっている。

 その反対の事象として、議会への新規参入がより困難となり、新陳代謝が進みにくくなっている。激しい選挙戦が繰り広げられることもなくなり、議員間に競争原理が働かない。さらなる議員の質の低下を招く「負のスパイラル」に陥っているのである。

当選の壁、議員報酬、仕事のやり甲斐
議員の「成り手」が少なくなった理由

 では、なぜ議員の成り手が少なくなってしまったのか。

 1つには、組織や地区の推薦などを持たない新人にとって当選することが高い壁になっていて、意欲や能力があってもチャレンジしにくいという点がある。特に働き盛りの勤め人にとっては、立候補するリスクは大きい。職を投げ打って出馬しなければならないケースがほとんどで、躊躇せざるを得ないのである。特定の職種でなければ立候補しにくいといった実態がある。

 2つ目は、議員報酬の問題だ。議員に課せられた責任に比べて報酬が少ないと二の足を踏む人が少なくない。議員報酬というと高額なイメージが定着しているが、高額の報酬を手にしているのは、都道府県議や政令市議、東京23区議など大規模自治体の議員で、小規模な市や町村の議員報酬はいわれるほど多くない。特に町村議の報酬は、全国平均で月額20万9661円だ。政務活動費や費用弁償のないところも少なくない。

 3つめは、議員の仕事、役割がよくわからず、やり甲斐や誇りなどを感じられない点だ。実は、これが最も大きな要因ではないかと思っている。要は、現職議員の姿を見て、議員の仕事に魅力を感じられないということである。

 それも無理からぬことであろう。ほとんどの議員が本来の議員の役割を果たさずに、ただただ議員であり続けているのが実態であるからだ。現職議員の多くが次の選挙に勝つことを最大の使命と考え、議員活動ではなく選挙活動に日常的に血道をあげている。特定の住民のために口利きしたり、媚びを売ったりと懸命に票固めに汗を流す姿を目にすれば、「自分もああなりたい」と思う人は少ないはずだ。

 だが、現実の議員の仕事ぶりが低レベルであるからと言って、議員本来の役割が軽いものだというわけではない。確かにこれまでは、議員本来の役割を果たさなくても、議員で居続けることができた。それは、誰が議員になっても同じという時代であったからだ。国の中央官庁の言う通りに行政運営していれば、そこそこうまくいっていたのである。財政的にも余裕があり、お上にお任せの民主主義の上に胡坐をかいていて済まされた時代だった。

 ところが、今はそういう時代ではなくなっている。国の中央官庁は、もはや日本のそれぞれの地域が抱える様々な課題を解決する策と予算(カネ)を提供できなくなっているからだ。地域の課題は、地域自らの力で解決していかなければならない。つまり、自治力が求められているのである。今までのような議員の成り手は、むしろ不用なのである。

 住民の声に耳を傾けて地域の課題を的確に捉え、その解決策を議会として提示する役割を果たせる人材が地方議会に求められている。 

4月の統一地方選に向けて考える
極めて重要な地方議員の役割

 今年4月に統一地方選が控えている。無投票選挙や無風選挙で役に立たない議員を居座らせていては、地域はもはや持たないだろう。本来の議員の仕事をきちんとこなせる人を選ばないと、地域の未来は切り開けないはずだ。

 もし立候補者の中にお眼鏡にかなう人がいないとなったら、「この人ならば」という人を探し出して出馬をお願いしたらどうか。それもダメだったら、ご自分が立候補することもありではないか。地方議員の役割は、地域にとって極めて重要であるからだ。

 ところで、昨年12月に「トンデモ地方議員の問題」(株式会社ディスカヴァー・トゥエンティワン)という本を出版した。本連載記事に大幅加筆し、きちんと働く地方議員の選び方、見分け方などについてまとめたものである。こちらもご一読いただけたら幸いである。

●来る地方選には、いっそあなたが出馬してみては? 官治主義を打ち崩し、真の“市民派議員”になる方法
       ダイヤモンド・オンライン/相川俊英 [ジャーナリスト] 【第124回】 2015年1月13日
チェック機能だけでは不十分 二元代表制における地方議員の意味
 地方自治の世界は国と異なり、首長と議会がそれぞれ住民によって選ばれる二元代表制となっている(二元代表制が採用された理由や意味、そして、それが日本社会にとって最適な仕組みなのかについての議論はさておく)。二元代表制の下での地方議会の役割は、執行機関を監視することだと言われている。行政のチェックである。

 しかし、チェック機能だけが議会の役割ならば、これほどたくさんの議員は不要と考える(実際は、チェック機能も果たせない追認議会がほとんどだが)。多人数で、しかも住民と接する機会(時間と余裕)のある議会側は、民意を幅広く集め、政策立案につなげていく使命もあるはずだ。

 執行機関サイド(自治体職員)とは違った発想での政策を、議会として作成するもう1つの役割である。政策立案の複線化の一翼を議会として担うものだ。それにはこんな意味がある。

 今の自治体の政策立案は執行部のみとなっている。しかし、実際は各自治体がそれぞれ独自に立案しているというよりも、中央官庁などが作成するメニューに依存している傾向が強い。多様な住民二―ズを丁寧に汲み取って地域の実情に合った施策を創り上げるのではなく、中央官庁などが作成した出来合いのメ二ューをそのまま採用しているのである。国が提示するメニューには交付金や補助金、交付税措置といった財源手当ても添付されているからだ。こうして中央官庁の官主導による政策立案が全国共通のことになっている。

 全国の自治体はいままでこの流れに沿って行政運営してきたので、執行部の面々(ほとんどの首長を含む)は住民サイドに立った政策立案に不慣れで、かつ不得手となっている。というより、自治体職員はそうした発想や責務を持ち得ずにきたのである。それで住民二ーズとずれた施策が各地で同じ様に実施され、限られた財源が同じ様に有効活用されずにきているのである。

 いつまでも中央官庁などに政策立案を丸投げし続けていてはいけない。自治体職員自らが企画立案すべきなのだが、それだけでは不十分だ。中央官庁や自治体執行部発とは違ったもう1つの政策立案をする必要があり、その担い手は今の仕組みでは議会しか見当たらない。

 もちろん、今の議会や議員たちにその能力や意識、気概などを持った人はほとんどいないが、中央官庁主導の官治政治の流れを変えるには、議会・議員に本来の役割を果たしてもらわねばならない。議会が政策立案で執行部側と切磋琢磨することが理想であり、行政への監視機能だけでは不十分だ。

では、こうした機能を果たすために求められる議員の資質とは何か。議員個々が見識や自分の意見、政策、理念を持っていることを大前提とし、多様な意見に耳を傾けられ、冷静に話し合える器を持っていることが不可欠となる。コミュ二ケーション能力である。

つまり、異なる意見の持ち主ともきちんと議論ができる人でなければならない。「自分の支持者の意見だけが民意」と考えるような人はNGだ。また、議会はたくさんの職員を抱える行政と対峙しなければならないので、職員ときちんと渡り合える得意分野を持った議員が望ましい。

 地域は多様な人たちで成り立っている。議会も多種多様の経歴を持つ老若男女で構成されるべきと考える。多様な議員が侃侃諤諤の議論を重ねながら、最終的に議会としての意見をまとめ上げる。それができるような資質をもったメンバーを、議員に選び抜かねばいけない。議員定数や報酬の削減は、別次元の話である。

信じられる候補者がいないならば
いっそあなた自身が出馬してみたら?


 そうは言っても、現実はきわめてお寒い状態だ。今年は多くの地域で議員選が予定されているが、本来の議員の役割を果たせそうな候補者がどうにも出そうにないと落胆している方も多いのでないか。そうした場合は前回(連載第123回)でも述べたように、「この人ならば」という人を探し出し、出馬を説得してみたらいかがだろうか。それもダメとなったら、ご自分が覚悟を決めて出るということも選択肢に入れてみたらどうか。

 しかし、その場合は一点だけ留意しなければならないことがある。議員になるには相当の準備(勉強と心構え)が必要だということだ。なぜなら選挙で当選するよりも役割をきちんと果たせる議員になることのほうが、数倍も難しいからだ。こんな笑えぬ実例がある。

 住民の議会・議員不信が議会リコールにまでつながったのが、名古屋市だった。高額な議員報酬(当時、年間1600万円)の半減を主張する河村たかし市長が主導したもので、特権の上に胡坐をかく議員たちに対して庶民の怒りが爆発した。議会リコールは成立し、市議は全員失職となった。

 2011年3月に出直し市議選となり、地域政党「減税日本」を旗揚げした河村市長は、一般公募で候補者をかき集めた。リコール署名活動の余勢もあって28人が当選し、このうち27人が全くの新人だった。減税日本は市議会内に「減税日本ナゴヤ」という会派を結成し、市会(定数は75)の最大会派に躍り出た。市民の多くが「庶民革命が成功した」と快哉を叫んだ。

 しかし、その喜びは長くは続かなかった。新人議員のほとんどが準備不足のまま立候補し、河村人気に乗って票を集めた人たちだった。議員としての資質や覚悟、心構えや知識、能力などを鍛え上げた上での出馬ではなかった。その上、新人議員をみっちり指導する体制もなかった。

 新人たちの多くは、議員になってみたものの右も左もわからぬまま、右往左往することになってしまった。一方、リコールされて臨んだ逆風の選挙を勝ち抜いた現職議員らは、手ぐすねを引いていた。自分たちを徹底批判した新人議員たちを攻撃の的にしたのは、言うまでもない。準備不足のまま議場に入った新人議員らは、初めて体験する議会で集中攻撃に晒され、すっかり萎縮してしまったのである。

 議員報酬の半減はなんとか実現したが、その後はさっぱりとなってしまった。それどころか、減税日本ナゴヤの議員の不祥事が立て続けに発覚し、多くの市民を愕然とさせる事態となった。政務活動費の不適切な使用や領収書の偽造、当て逃げや薬事法違反、さらには議会リコールで集めた署名を選挙活動に流用していた者もいた。自分たちが「今の議員はけしからん!」と批判してリコールした議員と同じか、それ以下のことをしでかしたのである。

準備不足で空中分解した減税日本の教訓
真の「市民派議員」になるためには?


 結局、28人でスタートした「減税日本ナゴヤ」の市議団は、議員の離脱や除名がズルズルと続き、とうとう11人にまで減少してしまったのである。離脱や除名された17人のうち14人は一人会派を名乗り、残り3人は1つの会派でまとまっている。つまり、庶民革命の看板を掲げて市議会に大躍進した「減税日本」の新人議員らは、わずか4年足らずで2つの会派と14の1人会派にチリチリバラバラになってしまったのである。事前の候補者選考と研修に甘さがあったと、言わざるを得ない。議員の仕事を軽く考えていたのではないだろうか。

 ところで、「地方議員になろうか」と考えている方にお薦めの本がある。だだこの本は特定の組織や地区、それから自分や家族のために議員になりたいという方にはお薦めできない。「本来の議員活動を果たしたい」「地域住民の暮らしやすさの向上に貢献したい」と真摯に考えている方にのみ、お薦めである。

 それは、昨年10月に発行された『最新版 市民派議員になるための本』(WAVE出版)である。著者は寺町みどりさんと寺町知正さんのお2人で、上野千鶴子さんがプロデュースした本である。市民型選挙の仕方から議会の基本ルールや仕組み、一般質問の組み立て方や決算書や予算書の見方など、本来の議員活動を行うために不可欠なノウハウやスキルなどが余すことなく書かれている。

『最新版 市民派議員になるための本』のサブタイトルは、「あなたが動けば、社会が変わる」である。議員になることを目的にしているのではなく、議員としての役割を果たすべく立候補を考えている人にとって、必読の書ではないか。

 社会経済状況が大きく変動している現在、地方議員の果たすべき役割はきわめて重要なものとなっている。もはや誰がなっても同じという牧歌的な時代ではない。選挙で当選することと議員になることは決してイコールではなく、当選をゴールと考えるような人は選んではならない。きちんと仕事をする議員の選び方や見抜き方については、拙著『トンデモ地方議員の問題』(株式会社ディスカヴァー・トゥエンティワン)を参考にしていただきたい。


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