●地方議員の「成り手」はもはや絶滅危惧種に? 統一地方選を前に考える地方選挙空洞化の危機
ダイヤモンド・オンライン/相川俊英 [ジャーナリスト] 【第123回】 2015年1月6日
無投票が続出し選挙が成立せず
地方選挙の深刻な空洞化現象
昨年末の総選挙は戦後最低の投票率となった。全都道府県で6割を割り込み、全国平均の投票率は52.66%(比例区は52.65%)に終わった。有権者の政治不信や無関心、諦めなどに加え、一票を投じたい候補者が見当たらないことなどが要因と考えられる。
過半数割れ寸前の低投票率に対し、代議制民主主義の危機を指摘する声が相次いだ。由々しき事態であることは間違いない。
こうした選挙の空洞化現象は、国政に先んじて「民主主義の学校」と称される地方自治の現場ですでに進行している。たとえば、2011年4月に実施された統一地方選挙である。市区町村議選の平均投票率は49.86%と初めて5割を下回った。41道府県議選の平均投票率はさらに低く、48.15%にすぎない。つまり、過半数の有権者が民意を示さない状態で、大量の地方議員が選出されていたのである。
それでも「選挙が実施されるだけまだまし」というのが、日本の地方自治の悲しい現実である。議員定数を上回るだけの立候補者が現れず、無投票となる事態が続出しているからだ。選挙そのものが成立しないケースである。議員になろうという意欲を持った住民が、激減しているのである。
2011年の統一地方選を見てみると、選挙が実施された41道府県議会の総定数2330のうち、410人が無投票当選となった。無投票当選率は17.6%で、2007年の16.35%を上回った。無投票の広がりは全国的な傾向で、無投票当選者が出なかった道府県はない。最も多かった島根県に至っては、県議定数37のうち7割を上回る26議席が選挙なしで決まっていた。
民意を反映しない、ないしは民意なき状態で議会のメンバーが構成されつつある。もちろん、無投票選挙は都道府県議選だけではなく、市区町村議選でも珍しくない。なかには長野県生坂村のように、選挙のたびに議員定数を減らしながら無投票が続くというケースさえある。そのうち、選挙が実施される自治体の方が珍しいと見られる時代がやってくるかもしれない。
低投票率と無投票選挙が地方選挙の定番となりつつあるが、さらにここにもう1つ加わる。落選率の著しい低下である。選挙が実施されても立候補者が少なく、落選者がごくごく一部に限られる事例が激増しているのである。統一地方選があった2011年中の全国の市区町村議選で、立候補者数が定数より1人多かったのみというケースは、約4分の1を占めた。落選者が1人だけという「無風選挙」である。これでは選挙が盛り上がるはずもなく、低投票率につながったといえる。
地方自治の土台が、大きく崩れ始めていると言わざるを得ない。こうした危機の根底にあるのは、議員の成り手不足である。
立候補者が激減し、低投票率と無投票選挙の激増、無風選挙の常態化を呼び込んでいる。その結果、組織票(固定票)を持った人だけが当選する傾向がより強まり、議員の固定化に拍車がかかっている。
その反対の事象として、議会への新規参入がより困難となり、新陳代謝が進みにくくなっている。激しい選挙戦が繰り広げられることもなくなり、議員間に競争原理が働かない。さらなる議員の質の低下を招く「負のスパイラル」に陥っているのである。
当選の壁、議員報酬、仕事のやり甲斐
議員の「成り手」が少なくなった理由
では、なぜ議員の成り手が少なくなってしまったのか。
1つには、組織や地区の推薦などを持たない新人にとって当選することが高い壁になっていて、意欲や能力があってもチャレンジしにくいという点がある。特に働き盛りの勤め人にとっては、立候補するリスクは大きい。職を投げ打って出馬しなければならないケースがほとんどで、躊躇せざるを得ないのである。特定の職種でなければ立候補しにくいといった実態がある。
2つ目は、議員報酬の問題だ。議員に課せられた責任に比べて報酬が少ないと二の足を踏む人が少なくない。議員報酬というと高額なイメージが定着しているが、高額の報酬を手にしているのは、都道府県議や政令市議、東京23区議など大規模自治体の議員で、小規模な市や町村の議員報酬はいわれるほど多くない。特に町村議の報酬は、全国平均で月額20万9661円だ。政務活動費や費用弁償のないところも少なくない。
3つめは、議員の仕事、役割がよくわからず、やり甲斐や誇りなどを感じられない点だ。実は、これが最も大きな要因ではないかと思っている。要は、現職議員の姿を見て、議員の仕事に魅力を感じられないということである。
それも無理からぬことであろう。ほとんどの議員が本来の議員の役割を果たさずに、ただただ議員であり続けているのが実態であるからだ。現職議員の多くが次の選挙に勝つことを最大の使命と考え、議員活動ではなく選挙活動に日常的に血道をあげている。特定の住民のために口利きしたり、媚びを売ったりと懸命に票固めに汗を流す姿を目にすれば、「自分もああなりたい」と思う人は少ないはずだ。
だが、現実の議員の仕事ぶりが低レベルであるからと言って、議員本来の役割が軽いものだというわけではない。確かにこれまでは、議員本来の役割を果たさなくても、議員で居続けることができた。それは、誰が議員になっても同じという時代であったからだ。国の中央官庁の言う通りに行政運営していれば、そこそこうまくいっていたのである。財政的にも余裕があり、お上にお任せの民主主義の上に胡坐をかいていて済まされた時代だった。
ところが、今はそういう時代ではなくなっている。国の中央官庁は、もはや日本のそれぞれの地域が抱える様々な課題を解決する策と予算(カネ)を提供できなくなっているからだ。地域の課題は、地域自らの力で解決していかなければならない。つまり、自治力が求められているのである。今までのような議員の成り手は、むしろ不用なのである。
住民の声に耳を傾けて地域の課題を的確に捉え、その解決策を議会として提示する役割を果たせる人材が地方議会に求められている。
4月の統一地方選に向けて考える
極めて重要な地方議員の役割
今年4月に統一地方選が控えている。無投票選挙や無風選挙で役に立たない議員を居座らせていては、地域はもはや持たないだろう。本来の議員の仕事をきちんとこなせる人を選ばないと、地域の未来は切り開けないはずだ。
もし立候補者の中にお眼鏡にかなう人がいないとなったら、「この人ならば」という人を探し出して出馬をお願いしたらどうか。それもダメだったら、ご自分が立候補することもありではないか。地方議員の役割は、地域にとって極めて重要であるからだ。
ところで、昨年12月に「トンデモ地方議員の問題」(株式会社ディスカヴァー・トゥエンティワン)という本を出版した。本連載記事に大幅加筆し、きちんと働く地方議員の選び方、見分け方などについてまとめたものである。こちらもご一読いただけたら幸いである。 |