歴歩

歴歩 歴史は歩く。ゆっくりと歩く。それを追いかける。

淡路市・舟木遺跡 弥生時代後期の鉄器工房の可能性がある建物跡1棟や絵画土器などが見つかる

2019年02月22日 | Weblog
 淡路市教育委員会は20日、同市舟木にある弥生時代後期(1世紀~3世紀初頭)の山間地集落遺跡「舟木遺跡」(標高約160m)の調査成果を発表した。
 鉄器工房の可能性がある直径5・6mの建物跡1棟を発見した。炉は見つかっていないが、床面から鉄器や砥石が見つかったことから鉄器工房の可能性があるとみている。
 17年度までの出土品を整理した結果、島内3例目となる絵画土器片が見つかった。約3~4cm四方で、高床の建物の一部が描かれているとみられる。
 また、他の遺跡には見られない形の器台形土器などが確認された。通常よりも短い脚部と大きく広がる台部が特徴で、舟木で作られた舟木特有の形状とみられる。いずれも祭祀に用いられたらしい。
 他の地域から舟木に持ち込まれたとみられる河内地方や北近畿の特徴を示す「搬入土器」も数種類を確認した。
 現地説明会が23日(土)午後1時半から開かれる。
[参考:神戸新聞、朝日新聞]

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 舟木遺跡
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大津市・三井寺法明院 源信「二十五三昧私記」の最古の写本やフェノロサ受戒表白文など大量の資料発見

2019年02月21日 | Weblog
 大津市が20日、三井寺の法明院からフェノロサに関する文書など2000点近くもの新たな資料が見つかったと発表した。 大津市は、来月、開催される企画展に向けて一昨年11月から調査を進めていた。

◆明治初期に日本美術の保護に尽力したアメリカ人のフェノロサが仏教の戒律を授けられた際の文書には「施與諦信■菩薩金剛寶戒」(=たいしんにぼさつこんごうほうかいをあたえる)と記されている。(■は草冠に寺?)
フェノロサは、日本美術を通じて仏教に出会い「諦信」の名で仏教に帰依したことが知られていた。文書は桜井敬徳法明院住職(1834~89)の筆跡で、フェノロサは1885年に親交の深かった桜井住職から「菩薩戒」の戒律と「諦信」の法号を授かったという。 フェノロサが戒律を授けられた際の資料が見つかったのは初めて。

◆「二十五三昧私記(式)」の写本は金箔銀箔で装飾しており、仏に供えるなど儀礼的な目的で作られたらしい。
恵心僧都源信(942-1017)を指導者として結成した念仏者集団二十五三昧会のために念仏を唱える方法などを記し、極楽往生を願った。文書に登場する僧の名前などから、平安時代後期に書かれた原本を基に、14世紀に書き写したとみられる。真言宗の醍醐寺(京都市)の僧の求めに応じて天台座主が贈ったという内容が書かれている。

大津市歴史博物館(大津市御陵町)に於いて、「企画展 フェノロサの愛した寺 法明院 -三井寺北院の名刹」(平成31年3月2日(土)~4月14日(日))に開催される。

律宗 唐土山 法明院
享保八年(1723)に義瑞律師性慶によって開かれた。天台寺門宗総本山三井寺(園城寺)の北院にある律宗の寺院。
[参考:共同通信、京都新聞、毎日新聞、読売新聞、BBC琵琶湖放送、NHK、大津市歴史博物館HP]


大津にフェノロサ受戒の文書 園城寺、手紙の記述裏付け

日本美術のフェノロサ「受戒」の証し、三井寺で発見
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糸島市・潤地頭給遺跡、唐津市・中原遺跡、筑前町・東小田峯遺跡 国内最古の弥生硯

2019年02月20日 | Weblog
 弥生時代中期中頃から後半(紀元前2世紀末~前1世紀)に石製の硯(すずり)を製作していたことを示す遺物が、北部九州の複数の遺跡にあったことが、柳田康雄・国学院大客員教授(考古学)の調査で明らかになった。
 これまでの確認例を100年以上さかのぼり、国内最古という。 また、従来は3世紀頃とされてきた国内での文字使用開始が300~400年さかのぼる可能性を示す貴重な資料となるという。
 硯の遺物が見つかったのは下記3遺跡。
◆潤地頭給(うるうじとうきゅう)遺跡(福岡県糸島市)=前2世紀末 
◆中原(なかばる)遺跡(佐賀県唐津市)=前2世紀末
◆東小田峯(ひがしおだみね)遺跡(福岡県筑前町)=前1世紀後半
潤地頭給遺跡と中原遺跡では硯(すずり)の未製品や石鋸(いしのこ)と呼ばれる工具を確認。東小田峯遺跡では、墨をすりつぶす研石(けんせき)の未製品を見つけた。
[参考:共同通信、毎日新聞、朝日新聞]

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 弥生硯

国内最古のすずり、福岡・佐賀の遺跡で 倭人が製作か


キーワード: 弥生硯、潤地頭給遺跡、中原遺跡、東小田峯遺跡



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阿南市・加茂宮ノ前遺跡 縄文後期の「水銀朱」関連遺物が大量に出土

2019年02月19日 | Weblog
 徳島県教育委員会が18日、阿南市加茂町宮ノ前の加茂宮ノ前遺跡で、「水銀朱」(赤色顔料)を生産したとみられる縄文時代後期(約4千~3千年前)の大量の水銀朱関連遺物が出土したと発表した。水銀朱の生産の始まりが縄文時代にまでさかのぼることが明らかになったとしている。
 縄文時代後期の集落が確認され、円形配石遺構(ストーンサークル)のほか、石臼や石杵(きね)300点以上のほか、朱が塗られた耳飾、土器や原料となる辰砂原石など大量の水銀朱関連遺物が出土した。
 円形配石遺構も16基見つかった。 直径約1~3mで、石が敷き詰められており、祭祀用とみられる。
 三重県度会町の森添遺跡などでも縄文後期の朱の原石や朱が付着した土器が見つかっているが、水銀朱に関連した遺物の出土量としては国内最多とする。
 現地説明会が、23日(土) 10:00からと13:00からの2回(各1時間半)開催される。
[参考:共同通信、産経新聞、読売新聞、徳島県立埋蔵文化財総合センターHP]

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加茂宮ノ前遺跡
水銀朱


徳島、縄文の「朱」生産遺跡 石臼や赤い耳飾りも
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館林市・陣谷遺跡 古代の木製馬鍬がほぼ完全な形で出土

2019年02月18日 | Weblog
 群馬県埋蔵文化財調査事業団が発掘調査している陣谷遺跡(館林市楠町)で、古代の木製「馬鍬(まぐわ)」がほぼ完全な形で出土したことが分かった。 陣谷遺跡は邑楽・館林台地の北端部の湿地帯にあり、一月下旬、地表から約2mの粘土層・砂層から出土した。 馬鍬は田植え前の水田で牛馬に引かせて代かき作業をするための農具。古代の馬鍬が全体で出土したのは県内で初めてという。
 幅は約1.5m。台木には、長さ45㎝前後の木製の歯が13本装着され(1本は欠損し、近くにあった)、馬鍬を操作する2本の柄も50cmずつ残っていた。また、台木の両端には馬鍬と牛馬を連結するための引き棒を差し込む穴が残っていた。
 馬鍬は古墳時代の四世紀末ごろに大陸から伝来し、当時は幅が大きく、歯も長いのが特徴。 耕作時は牛馬が引く馬鍬の後ろに人が立ち、本体に付く二本の柄を両手で持ったが、柄の付き方も出土した物は古墳時代当時に近いという。
出土層の約1m上に1108年の浅間山噴火による火山灰層があり、古墳時代までさかのぼる可能性がある。
[参考:東京新聞、群馬県埋蔵文化財調査事業団HP]

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 馬鍬
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八幡市・美濃山遺跡 建物跡群や多数の焼土坑が出土 工人集落跡か

2019年02月10日 | Weblog
 京都府埋蔵文化財調査研究センター(向日市)は6日、八幡市美濃山出島の美濃山遺跡で、飛鳥時代から奈良時代にかけての多数の掘立柱建物や焼土坑が見つかったと発表した。
 弥生~飛鳥時代の竪穴建物12基、飛鳥~奈良時代の掘立柱建物27棟が確認された。
 焼土坑15基も確認され、木炭や鉄片が残っているものもあった。焼土坑は木炭窯や鍛冶炉跡らしい。
 窯跡や鉄片などが出土したことから、近くの古代寺院「美濃山廃寺」の造営に携わった工人の集落ではないかとみている。
 調査区域からは、祭祀に使われる土馬の破片約70点や、瓢(ひさご)形土製品が出土した。瓢形土製品は、約400m離れた美濃山廃寺(奈良時代ごろ)でしか出土が確認されていない。
 現地説明会が9日午前10時に開かれる。
[参考:京都新聞、朝日新聞、八幡市HP]

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八幡市・美濃山
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明日香村・小山田古墳 南辺東西幅が80mを超える飛鳥時代最大の方墳と判明

2019年02月02日 | Weblog
 奈良県立橿原考古学研究所が31日、明日香村川原の小山田(こやまだ)古墳(7世紀中ごろ)で墳丘西裾の盛り土が見つかったと発表した。
 昨年12月から古墳の南西側を調査し、これまで1辺約70mの正方形の方墳と推測されていたが、墳丘裾の平面形は南に開いた台形状を呈し、南辺付近の東西幅は80mを超えることがわかった。北辺は約72mと推定している。 これまで飛鳥時代最大の方墳とされていた千葉県栄町の龍角寺岩屋古墳(1辺約78m)を上回る最大の方墳になる。
 墳丘から流れた後世の堆積土からは、室生安山岩(榛原石)や結晶片岩の板石の破片が大量に出土した。平成26年度調査で確認された墳丘北辺の板石積みと同じ石材で、西辺も板石を積んで装飾していたと考えられる。
2015年1月15日の発表では、『北側斜面は40cm大の石英閃緑岩(せんりょくがん)を張り、底面は15~30cmの石材を敷き詰めていた。南側斜面は2段目まで緑色の緑泥片岩の板石を積み、その上に奈良県東部産の「榛原石(はいばらいし)」の板石を階段状に積み上げ・・・』としていた。
 現地説明会は3日(日)午前10時から午後3時まで開かれる。
[参考:共同通信、産経新聞、毎日新聞、朝日新聞、読売新聞、FNN関西テレビ、ABC関西ニュース]

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明日香村・小山田古墳


最高権力者の墓か 小山田古墳は飛鳥時代最大の方墳

小山田古墳、飛鳥時代最大と判明 蘇我蝦夷も被葬者候補に

小山田古墳 方墳としては国内最大規模か 奈良 明日香村

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高槻市・高槻城跡 高山右近が城主時代の障子堀が出土

2019年01月31日 | Weblog
 大阪市教育委員会が30日、高槻城跡(大阪府高槻市)の江戸時代の二の丸跡に当たる城跡公園野球場跡地の発掘調査で、キリシタン大名・高山右近(1552~1615年)が1573年に城主となった時代に掘られたとみられる障子堀跡(幅約16m、深さ約4m、長さ70m)と石垣(長さ約45m)が見つかったと発表した。障子掘跡は堀底を泥で覆って隠し、落とし穴のような機能を持たせていた。 障子堀は東国を拠点とした戦国大名の北条氏が小田原城(小田原市)や山中城跡(三島市)で取り入れた技術で、西日本では松江城下町遺跡(松江市)など数例しか見つかっていないが、秀吉の大坂城の障子堀より古く、近畿で最古級とみられる。
 また堀の中から「元和三年(1617)」と墨書された石材が見つかり、江戸時代初期の修築時に埋められたことも分かった。
 現地説明会が2月2日(日)午前10時~正午に開かれる。
[参考:共同通信、毎日新聞、産経新聞、高槻市HP]

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 高槻城跡
 障子掘



高槻城に高山右近の障子堀、大阪 築城の名手、泥で落とし穴

高槻城跡から高山右近の障子堀発見、最先端技術で防御 
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奈良市・富雄丸山古墳 国内最大、直径109mの円墳を裏付け

2019年01月24日 | Weblog
 奈良市埋蔵文化財調査センターは23日、2017年の航空レーザー測量で、これまで国内最大の円墳とされてきた行田市の丸墓山古墳(直径105m、6世紀前半)を上回る円墳と判明した奈良市の富雄丸山古墳(4世紀後半)について、発掘調査の結果を発表した。
 今回の発掘調査は昨年12月に開始し、墳頂部や、北東の造り出しなど4カ所で実施した。
 直径は約109mであった。墳丘は3段構造だが、レーザー測量で幅約2~3mとみられた平坦面は、1段目が幅7.2m、2段目が幅8.8mであり、平坦面には、円筒埴輪列が円墳の中心を囲むように並んでいた。
造り出し部分も2段以上の構造になっており、平坦面の中央に円筒埴輪列が見つかった。
 また、墳頂部を再発掘したところ、装飾品の鍬形石の破片や、管玉などが見つかった。鍬形石の破片は、京都国立博物館所蔵の「大和富雄丸山古墳出土品」(国重要文化財)に含まれる鍬形石の一部とみられるという。
 現地説明会が26日午前10時~午後3時に開かれる。
[参考:共同通信、朝日新聞、産経新聞、毎日新聞]

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 富雄丸山古墳
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各務原市・坊の塚古墳 前方部も3段構造で白い葺石

2018年12月21日 | Weblog
 各務原市埋蔵文化財調査センターは18日、同市鵜沼羽場町の前方後円墳「坊の塚古墳(全長120m、前方部高さ約8m、後円部高さ約10m、4世紀後半~末期)」の前方部が3段部に整備され、全体に葺石が並べられていたと調査結果を発表した。今回の調査で古墳全体が葺石で覆われていることが分かった。
 県内に3段以上の古墳は少なく、埋葬者の権威がより裏付けられたという。
 墳頂部からは並べられた状態で円筒埴輪の破片も多数見つかった。
 現地説明会が22日(土)に開かれる。

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 坊の塚古墳
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京都市・聞名寺 本尊・木造阿弥陀三尊像は行快作と判明

2018年12月20日 | Weblog
 京都国立博物館(京都市東山区)は17日、京都市左京区の聞名寺の本尊・木造阿弥陀三尊像(13世紀)について、行快作と確認したと発表した。行快銘入りの仏像は10例目。
 三尊像は阿弥陀如来立像(高さ83cm)、勢至菩薩立像(同58cm)、観音菩薩立像(同59cm)。左右に並ぶ脇侍の両菩薩立像の左足と台座をつなぐ枘(ほぞ)の部分に「行快」と墨書されているのがわかった。勢至菩薩立像には、「法眼」の文字もあった。
 三尊像は来年4月13日~6月9日、京都国立博物館で開かれる特別展「国宝一遍聖絵と時宗の名宝」で公開される。
[参考:京都新聞、朝日新聞、読売新聞、NHK]

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 行快
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石神井公園・三宝寺池(石神井城址)とカワセミ

2018年12月17日 | Weblog


今日は朝のうち雨が降っており、午前10時くらいに止んで、11時くらいから晴れ間が出てきました。
久しぶりに、石神井公園の三宝寺池に行きました。
三宝寺池の南側の小高い部分に往時、石神井城の主郭がありました。
その手前の池のそばの木の枝にカワセミが止まって、その姿を楽しませてくれました。

~現地解説板より
石神井城跡
 石神井城は、中世武士の豊島氏の城です。
 豊島氏は、葛西、江戸両氏とともに、秩父流平氏で、鎌倉時代の末には、石神井郷を領有していました。
 室町時代に、城主の豊島泰経は、武蔵守護の上杉顕定にそむいた長尾景春に味方しました。そのために顕定を援助していた江戸城主の上杉定正の重臣の太田道灌は、文明9年(1477)4月、この城に泰経を攻めて、これを落としました。
 石神井城は、中世の平城の一つで、三宝寺池の谷と石神井川の低地とに挟まれた小高い丘陵の上にあって、その周囲は空堀や土囲(どい)でめぐらされていました。
 今でも空堀のあとの一部を見ることができますが、落城によって照姫が水中に身を投げたという伝説など数々の哀れな物語を秘めています。
昭和58年3月 練馬区教育委員会
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鳥取市・松原田中遺跡 3世紀後半の高床式建物の地中梁を公開

2018年12月15日 | Weblog
 鳥取県埋蔵文化財センターは14日、鳥取市の松原田中遺跡から出土した古墳時代前期(3世紀後半)の2本の地中梁(ちちゅうばり)を公開した。
 スギ材で、長さは7.33mと7.22m。梁の長さなどから、巨木を加工している
出土地周辺は地盤が弱いことから、高床式倉庫の沈下を防ぐ目的で梁を2本一組で地中に埋め込んで基礎部分の補強に用いられたとみられる。
出土した2本の地中梁は、22日午後1時~3時、鳥取県埋蔵文化財センター美和分室(鳥取市源太)で一般公開される。
[参考:共同通信、朝日新聞、山陰中央新報]

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 松原田中遺跡


古墳時代の「地中梁」公開、鳥取 弱い地盤、建物の沈下防ぐ

古墳時代の地中梁、鳥取で 軟弱地盤に基礎、技術確立
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香南市・高田遺跡 古代官道「南海道」か

2018年12月15日 | Weblog
 高知県文化財団埋蔵文化財センターが香南市野市町下井の高田遺跡で、奈良時代の道路状遺構とみられるほぼ直線で東西方向に平行に走る2本の溝跡が見つかったと発表した。
 道路幅は県内最大となる10m以上で、8世紀に敷かれた官道・南海道の可能性が極めて高いとしている。
 遺構は高知東部自動車道・南国安芸道路の建設予定地。
 現地説明会が16日午前10~11時に開かれる。
[参考:読売新聞、高知新聞、NHKニュース]

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南海道


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高取市・市尾カンデ遺跡 国内最大級、最古級の大壁建物跡が見つかる

2018年11月27日 | Weblog
 奈良県高取町教委は27日、同町市尾の「市尾カンデ遺跡」で、4世紀末~5世紀初めに渡来人が建てたとみられる大壁建物が見つかったと発表した。
 溝や直径30~40cmの柱穴を16棟分確認した。
 東西14・5m、南北13mの完全な形で溝が確認された1棟が、国内最大級としている。
 今回の調査で古墳時代の大壁建物や掘立柱建物の跡が、合せて24棟見つかった。
[参考:共同通信、産経新聞、毎日新聞、NHKニュース、TVN奈良テレビ]

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 大壁建物

2009-02 高取市・薩摩遺跡 1棟は約15m四方あり、全国最大規模。
2011-05 高島市・天神畑遺跡 古墳時代前期(4世紀後半~5世紀初め)の大壁造り建物。


国内最古の大壁建物跡か、奈良 渡来人の定住早まる可能性
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