県埋蔵文化財センターは、昨年末に同遺跡から出土した「銅戈が形状の異なる2種類があったことを発表した。同時に見つかったのは国内で初めてという。 出土した7本(22~36cm)のうち長さ34cmの1本が、刀に刻まれた「樋と呼ばれる2本の溝が杉の葉のような「綾杉文という文様が刻まれており、 「Vの字形に先端でくっついた九州型。残りの6本は、「ハの字形に先端で離れている大阪湾型であった。 九州型は、広島県、高知県までの西日本で出土する一方、大阪湾型は近畿地方で出土し、同時に出土した例はないという。 また、同時代の祭器「銅鐸《も確認され、銅戈と一緒に出土するのは東日本で初という。いずれも、紀元前2世紀ごろに作られ、紀元前後に埋められたとみられる。
[読売新聞、朝日新聞、共同通信]
昨年、同遺跡からは銅鐸片2点が出土したが、調査の結果2点は一致することが分かった。周囲の土を落とした結果、胴体部分の鐸身(たくしん)に「流水文があり、上部のつり手の部分に縁があることなどから、比較的古い型の「外縁付紐式(がいえんつきちゅうしき)1式とした。
[信濃毎日新聞 2008.3.1]
<これまでの発見の経緯>
弥生時代の「銅戈《(大阪湾型)2本出土 2007年10月23日
銅鐸と銅戈5本、一緒に埋紊 東日本初、長野・柳沢遺跡 2007年11月1日
新たに青銅製祭器「銅鐸(推定高さ20cm)の破片2点と銅戈5本が見つかった。銅戈はやりの穂先に似た形で、大阪湾周辺で多く見つかっている「大阪湾型とみられる。 → このうちの1本は今回、九州型と分かった(H20.2.28)
[読売新聞、朝日新聞、共同通信]
昨年、同遺跡からは銅鐸片2点が出土したが、調査の結果2点は一致することが分かった。周囲の土を落とした結果、胴体部分の鐸身(たくしん)に「流水文があり、上部のつり手の部分に縁があることなどから、比較的古い型の「外縁付紐式(がいえんつきちゅうしき)1式とした。
[信濃毎日新聞 2008.3.1]
<これまでの発見の経緯>
弥生時代の「銅戈《(大阪湾型)2本出土 2007年10月23日
銅鐸と銅戈5本、一緒に埋紊 東日本初、長野・柳沢遺跡 2007年11月1日
新たに青銅製祭器「銅鐸(推定高さ20cm)の破片2点と銅戈5本が見つかった。銅戈はやりの穂先に似た形で、大阪湾周辺で多く見つかっている「大阪湾型とみられる。 → このうちの1本は今回、九州型と分かった(H20.2.28)