高取町教委は、1997~2002年にかけて渡来系豪族、東漢(やまとのあや)氏の首長墓とされる寺崎白壁塚古墳(7世紀前半)を調査し取りまとめた結果、墳丘の北側と南側の計2か所ですそに角があったことなどが判明し、延長線を結ぶと八角形に復元できるという。墳丘の形が八角形である可能性があることを指摘するとともに、「中国大陸や朝鮮半島の技術を日本にもたらした東漢氏が、先駆的に取り入れたのでは《としている。 八角形墳は桜井市の舒明天皇陵の段ノ塚古墳(7世紀前半)で初めて採用されて以降、多くの天皇・皇太子の墓に採用された。寺崎白壁塚古墳は、段ノ塚古墳と同様、墳丘前方の斜面が台形の基壇状に整備されている点も似ている。
[参考:読売新聞]
■寺崎白壁塚古墳 南斜面に築かれた45m規模の三段築成の多角形墳。南北に46m、東西前面60m、背面30mの台形の基壇(三段)に30m規模の台形の墳丘下段(二段)と16mの方形の墳丘上段(一段)からなる三段築成の古墳と考えられる。 墳丘の南面から真北に向かって花崗岩の切石を組み合わせた内法の長さ2.24m幅1.1m高さ0.9mの石槨に長さ8.8m幅1.6~1.9m高さ1.6mの羨道がつく横口式石槨を検出した。石槨は原則として両側壁、奥壁と天井をそれぞれ一石とし(床面は2石)石材の間には漆喰を補填している。明日香村・真弓鑵子塚古墳(6世紀中ごろ)の西約1km、与楽鑵子塚古墳の直ぐ北西方向にある。
[参考:読売新聞]
■寺崎白壁塚古墳 南斜面に築かれた45m規模の三段築成の多角形墳。南北に46m、東西前面60m、背面30mの台形の基壇(三段)に30m規模の台形の墳丘下段(二段)と16mの方形の墳丘上段(一段)からなる三段築成の古墳と考えられる。 墳丘の南面から真北に向かって花崗岩の切石を組み合わせた内法の長さ2.24m幅1.1m高さ0.9mの石槨に長さ8.8m幅1.6~1.9m高さ1.6mの羨道がつく横口式石槨を検出した。石槨は原則として両側壁、奥壁と天井をそれぞれ一石とし(床面は2石)石材の間には漆喰を補填している。明日香村・真弓鑵子塚古墳(6世紀中ごろ)の西約1km、与楽鑵子塚古墳の直ぐ北西方向にある。