県埋蔵文化財センターは13日、中野市の柳沢遺跡からシカを描いた弥生時代中期後半(紀元前1世紀ごろ)の弥生土器が出土したと発表した。県内で弥生時代の絵画土器が出土するのは初めて。シカを含む絵画土器は奈良県での出土が多く、同遺跡で出土した青銅製祭器「銅戈(どうか)」、「銅鐸」と同様、近畿地方との結び付きの強さを裏付けるものになりそうだ。
出土した絵画土器は、主に東北信地方の千曲川水系に分布している栗林式土器で、弥生時代中期後半の型式、壺の形をしている。銅戈、銅鐸が出土した地点から北側に150mほど離れた竪穴住居近くで昨年11月30日に他の土器片とともに見つかった。その後、復元作業を進めていた。半分程度が残り、口径11cm、高さ約31cm、胴の最大径は約23cmと推定される。銅戈、銅鐸とほぼ同時期のものという。
描かれたシカはともに雄で、頭と胴体が逆S字形の弧を描いており、左を向いて2頭前後に並んでいる。大きさが確認できるシカの体長は7cm程度。1本の線で胴体を描き、前脚と後ろ脚、角が2本ずつの線で簡素に描かれている。シカは弥生時代の土器と銅鐸に最も多く登場し、稲の成長を表すという説があり、豊作をもたらす霊力を持つものと考えられていたという。
同センターによると、シカは豊作をもたらす霊力を持つと弥生人に信じられていた学説がある。
同時代の絵画土器は全国で約600点見つかっており、シカの絵の土器は東日本寄りの出土例が日本海側の石川県、太平洋側の神奈川県までだった。同センターは「近畿地方から銅戈、銅鐸と一体になってシカの絵画が伝わり、農耕祭祀が行われていたことを裏付ける証拠になる」としている。
同遺跡では昨年度までの発掘で、青銅製祭器の銅鐸5点と銅戈8点が東日本では初めて同時に出土している。
出土した絵画土器は16日から6月14日まで、中野市立博物館で展示する。
[参考:中日新聞、信濃毎日新聞、読売新聞]
過去の情報・記事
柳沢遺跡
出土した絵画土器は、主に東北信地方の千曲川水系に分布している栗林式土器で、弥生時代中期後半の型式、壺の形をしている。銅戈、銅鐸が出土した地点から北側に150mほど離れた竪穴住居近くで昨年11月30日に他の土器片とともに見つかった。その後、復元作業を進めていた。半分程度が残り、口径11cm、高さ約31cm、胴の最大径は約23cmと推定される。銅戈、銅鐸とほぼ同時期のものという。
描かれたシカはともに雄で、頭と胴体が逆S字形の弧を描いており、左を向いて2頭前後に並んでいる。大きさが確認できるシカの体長は7cm程度。1本の線で胴体を描き、前脚と後ろ脚、角が2本ずつの線で簡素に描かれている。シカは弥生時代の土器と銅鐸に最も多く登場し、稲の成長を表すという説があり、豊作をもたらす霊力を持つものと考えられていたという。
同センターによると、シカは豊作をもたらす霊力を持つと弥生人に信じられていた学説がある。
同時代の絵画土器は全国で約600点見つかっており、シカの絵の土器は東日本寄りの出土例が日本海側の石川県、太平洋側の神奈川県までだった。同センターは「近畿地方から銅戈、銅鐸と一体になってシカの絵画が伝わり、農耕祭祀が行われていたことを裏付ける証拠になる」としている。
同遺跡では昨年度までの発掘で、青銅製祭器の銅鐸5点と銅戈8点が東日本では初めて同時に出土している。
出土した絵画土器は16日から6月14日まで、中野市立博物館で展示する。
[参考:中日新聞、信濃毎日新聞、読売新聞]
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