大津市教委は4日、同市坂本1丁目の穴太野添(あのうのぞえ)古墳群で、古墳時代後期の横穴式石室7基が見つかったと発表した。 いずれも、円墳とみられる。
発掘した石室は約30m四方にすべて南南東向きで並んでおり、長さ2.8〜3.2m、幅約2m規模の玄室が確認された。 いずれも玄室上部の石積みは無くなっているが、玄室下部の石が内側に傾くように積まれており、ドーム型の玄室だったとみられる。 うち5基からは、それぞれ40本程度の鉄製の釘が、いずれも長さ約2m、幅約60cmの長方形の形に沿って発見された。木棺の木材が腐り、釘だけが残ったとみられる。
玄室内部には同じ様式で配置された木棺の跡やミニチュア炊飯具セット(かまど、甑(こしき)、釜、鍋など)が残っていた。
木棺跡と釘はいずれも玄室内の西側に寄った状態で、3基からは玄室の東隅に直径15cmのミニチュア炊飯具セットが見つかった。玄室の北東隅には土師器の甕や須恵器の壺がみつかっており、木棺、ミニチュア炊飯具セットと合わせ、5基とも同じ様式で埋葬されていた。
また、1基からは二股に分かれた(U字形の)銀製の簪(かんざし、幅6cm、長さ16cm)が県内で初めて見つかった。
副葬品や玄室の様式が渡来人の古墳の特徴を表しており、当時の渡来人文化を知る貴重な資料としている。
[参考:京都新聞、読売新聞、中日新聞、毎日新聞、BBC-TV、大津市HP]
発掘した石室は約30m四方にすべて南南東向きで並んでおり、長さ2.8〜3.2m、幅約2m規模の玄室が確認された。 いずれも玄室上部の石積みは無くなっているが、玄室下部の石が内側に傾くように積まれており、ドーム型の玄室だったとみられる。 うち5基からは、それぞれ40本程度の鉄製の釘が、いずれも長さ約2m、幅約60cmの長方形の形に沿って発見された。木棺の木材が腐り、釘だけが残ったとみられる。
玄室内部には同じ様式で配置された木棺の跡やミニチュア炊飯具セット(かまど、甑(こしき)、釜、鍋など)が残っていた。
木棺跡と釘はいずれも玄室内の西側に寄った状態で、3基からは玄室の東隅に直径15cmのミニチュア炊飯具セットが見つかった。玄室の北東隅には土師器の甕や須恵器の壺がみつかっており、木棺、ミニチュア炊飯具セットと合わせ、5基とも同じ様式で埋葬されていた。
また、1基からは二股に分かれた(U字形の)銀製の簪(かんざし、幅6cm、長さ16cm)が県内で初めて見つかった。
副葬品や玄室の様式が渡来人の古墳の特徴を表しており、当時の渡来人文化を知る貴重な資料としている。
[参考:京都新聞、読売新聞、中日新聞、毎日新聞、BBC-TV、大津市HP]