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歴歩

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亀岡市・佐伯遺跡 奈良時代創建の寺院跡か

2018年01月20日 | Weblog
 京都府埋蔵文化財調査研究センターは17日、亀岡市稗田野町の佐伯遺跡で、奈良から平安時代の柱穴や大量の軒丸瓦や、仏塔を模した土製の「瓦塔(がとう)」の一部が見つかったと発表した。寺院の痕跡と見られる。
 佐伯遺跡は縄文時代から鎌倉時代にかけての集落跡で、調査は2015年度に始まり、奈良時代に役所があり集落が形成されていたと推測されている。
南北に並ぶ方形柱穴(一辺1m弱)10個を南北24mにわたり連なって確認。東西には柱穴がないことから、建物ではなく比較的規模の大きい塀があったと考えられるという。付近からは瓦塔の屋根の一部や、蓮華紋が刻まれた軒丸瓦や丸瓦など大量の瓦が出土した。瓦塔や瓦の形式などから8世紀の奈良時代から9世紀の平安時代前期にかけの遺構とみられる。綾部市の綾中廃寺(注)と同型の瓦が見つかり、古代の亀岡と綾部で職人同士のつながりがあったと考えられるという。
 約100m離れた場所からは平安時代の墨書土器や皿、木簡などが出土した。
 同市内ではこれまで、丹波国分寺・国分尼寺を中心に4カ所で古代寺院跡が出土しており寺院や役所のある佐伯遺跡は地域の拠点だった可能性があるとみている。
 20日午前10時半から現地説明会がある。
[参考:京都新聞、産経新聞、毎日新聞]

過去の関連ニュース・情報 
2017.1.⒛ 佐伯遺跡で奈良時代の建物跡など出土
佐伯遺跡で、奈良時代の掘っ立て柱建物跡3棟が見つかった。建物跡は方位を北にそろえて建てられていた。
 蹄脚円面硯(ていきゃくえんめんけん、直径約20cm)や、「正福」と記された墨書土器も見つかった。
 ほかにも平安時代の掘立柱建物跡2棟や緑釉陶器などが発掘された。[参考:朝日新聞]

(注) 綾中廃寺
綾部郷の中央部には七堂伽藍のあった所という伝承があり、近からは古代寺院の礎石や軒丸瓦・同平瓦、風鐸の風招(銅製)、須恵器などが出土している。 軒丸瓦のうちには山田寺式(7世紀末)と藤原宮式(8世紀初)のものがある。

佐伯遺跡の西北約5kmのところにある、天台宗神尾山金輪寺(亀岡市宮前町宮川神尾山)は延暦2年(783)に西願上人により創建というので、気になる寺院である。日本最初の医学書『医心方』を著した丹波康頼(912-995)の五輪塔があり、本尊の薬師如来像は、康頼の六代後の基康が康頼の念持仏を胎内に納めたものを寄進したと伝わる。
現在、東京国立博物館「仁和寺と御室派のみほとけ」展で「医心方(巻一、巻九)」(12世紀、国宝)が展示されている。

2018.1.30追記
約1か月後に、東大寺二月堂で行われるお水取り(修二会)、それに先がけて若狭のお水送りの行事が行われる。
いろいろと調べていくと、若狭神宮寺(神願寺)と和久寺(福知山市)、綾中廃寺(綾部市)、佐伯遺跡(亀岡市)から出土する瓦が、各々同型の瓦、すなわち山田寺式(7世紀末)ないし藤原宮式(8世紀初)が出土している可能性がある。より詳しい資料を探してみたい。

<佐伯遺跡>柱穴や軒丸瓦出土 奈良〜平安の寺院か 亀岡 /京都

佐伯遺跡地図


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