おてんとうさんのつぶやき & 月の光の思案 + 入道雲の笑み

〔特定〕行政書士/知的財産管理技能士/国家試験塾講師等が生業の巷の一介の素浪人の日常

お礼を申し上げます

2018-12-31 | ■ サマザマな おはなし

 

 

只今大晦日20時50分

今年最後の業務を終え お風呂をいただき

年越し蕎麦も頂いた わが事務所です

 

皆さまには いかがお過ごしの本年最後の夜ですか

 

 

いろいろ なんだか 言いたい放題っぽいブログ

であるにもかかわらず

今年もタクサンの方にお付き合い頂き 

ほんとうに ありがとうございました

感謝申し上げます

 

 

私事で恐縮ですが

来る年は マンション管理運営実務知識

充実人生の実現応援のための実務知識

さらなる習得に

励むことを主たる目標として過ごしたい と 考えております

そのあたりのことに関するブログのパーセンテージを より 増やしてみたいと

考えております が

その他の分野についても すこしでも皆さんに覘いていただけるような

内容にしたいものだと あれこれ趣向を練っております

 

それとともに 

音楽

温泉

古典落語

コーヒー

読書

映画

を中心にした 趣味のことも

 

(つまるところ 今まで同様 何でも屋ブログですが・・・) 

 

というようなわけでありますので

どうぞ なにとぞよろしく お願い申し上げます

 

 

 

来る年 皆さまにとりまして 幸多き一年でありますよう

祈念いたしております

 

お礼を申し上げながら 感謝の心を添えつつ 

それでは このあたりで 

失礼いたします

 

年最後の日にいたっても乱筆乱文気ままなブログのままで ゴメンナサイ

 

 

(今年最後の一句)

   あの頃の 

     さまざま貌が

       かわるがわる訪ねくれているような 

                  大晦日夕暮れ雲

 

         

                はたけやまとくお法務事務所

                 畠山 徳男

                                 http://toku4812.server-shared.com/

 

 

 


(雑踏の中で)

2018-12-10 | ■ サマザマな おはなし

 

(巷の状況は 見事なほどに??何も変わってないと思われるので

 再掲させていただきました  2008年4月のブログです)

 

 

所用で東京駅を通過した

新入社員らしい一群とたびたび遭遇し

自分のときと比較し いろいろな思いにとらわれた


昭和40年代 総じて高度成長時代にやんわりくるまれた

ある意味 気楽な門出だった頃の 東京にいた自分


それに比して 今の若年層 

追いかけられながら勉強しなければならない知識はワンサカ

とくにITの進歩の けたたましさ


数字を突きつけられた形での結果責任を若い頃から負わされ


大多数の者は それほど多いとはいえなく しかも不安定な給与体系に脅かされ

わけのわからぬ金利差益追求集団が操る 空虚な経済ギャンブルのために一喜一憂し

1000日の企業努力も 一夜にして藻屑と消えるような

何が本当の原因なのか 誰も解明できないような円高倒産

進歩しているのかしてないのかまるで解らない経済機構のるつぼのなかでおどらされ・・・・



心から 今の若年層・中堅層に同情することがあります

たしかに 泣き言を吐いてはいられない時代なのでしょう


問題は その苦しさをごまかす矛先を より弱いものに向けているのでは という面がある・・・ということ

そのことが とても悲しいのです


幼い存在に対する 到底理解できない仕打ち

抵抗できないものに対する 無慈悲 自己中心的 悪魔も怯えるようなストレス解消

若年層・中堅層による やりきれないニュースの 途切れることの無い連鎖生産



タンポポの花色のようなニュースで紙面が埋まるような日が

どうかどうか この新しい春には続きますように


20歳の頃 春の東京日本橋室町界隈を迷っていたわが身を思い出しながら

今日のブログを どうにか書き終えました




      

 

    

      

 
 


1000超えブログ

2017-11-18 | ■ サマザマな おはなし

 

2008年から ブログを開始したのでしたが

ブログ掲載個数が1000を超えているのでした

 

訪れていてくれている方々には 感謝 さらに感謝の

心持ちの日々です

 

心の趣くままに記さしていただいているようなわけでありますが

内容が アレヤコレヤで まことに申し訳ないような気分

でもあります

せめて 少しでも 閲覧していただく際のわずらわしさを減らす

糧になり得れば

との思いから 分別を試みてみました

 

カテゴリー

というようなこととさせていただきました

 

 

今後とも どうぞ さらなるお付き合いを

お願いいたしまして

感謝の心と 報告とさせていただきました

 

 

 ありがとうごございます

                       

 

 

 


淋しすぎる 乱 れ  

2016-07-26 | ■ サマザマな おはなし

 

 

暗澹たる 心持の日々

 

宗教上からのことが起点 と思われること

特に 青少年者の 生きることの苦悩 ?との理由付けに
よると思われるようなこと

なにゆえの 人種間の わだかまりから とでもいうべきこと

権威ありといわれるものの無様な失墜の連続 といえそうな
ことからのこと

家族という形への曲解によるのか とも思える 人の情の醸成
というものの極度の欠乏 ともいえそうな 強烈な侘しさ

などなどを背景としたであろう 

殺伐とした 

信じられない 現実のものとは信じたくない 
真っ暗な 
事件報道の連続の 日々

 

 

こんな烈風の日常の中で 育まれているのか と 今の子供たちの
これからの 朝 夕 を思うと

涙が滲んでくる

 

でも ひるんでいて 
肩を落としたままでは
なんの変化が生まれようもない

一人一人 自身が 
着飾らない ごく普通の信念を盾に 
闘って
いくしかないだろう と 
自己の信念 とやらを 今朝も探ってみた

 

多少の軋轢を覚悟で おかしいことはおかしいと できるかぎり
表明させていただきながら 同時に他の人間の声も聞かせて
いただきながら
生きていこう

自己の非力さに 少々どころでない侘しさを覚えながら 思った

 

 

特に子供たち さびしくて こわくて シュンと心がしぼみそうになって
しまうだろうけれど
もし よかったら 友達にだって 周りの人にだって こんなオジイサン
にでも 話したくなったら
いつだって どこでだって 言葉をかけてみてね
なかなか難しいことだろうけど できたら いや もしもというときは
とにかく だまりこまないで 一言でも 声にしてみてね

 

 

このような 今朝 でした

徳男

                        

 

    

 

 

  

                                               


なつかしい言葉 など

2016-03-19 | ■ サマザマな おはなし

(訳があって ほぼ 再掲か ともいうべき内容です
ご容赦を願います)

 

近頃 あまり聞かれない言葉

奇特
  (志が深く 行い難いことを 損得抜きで  
進んでする様子)

浄財
  けがれの無いお金(寄付される側からの言い方)

国の目が届かないところ お上に頼っても

どうにもなりそうでない場面では 

その地その地の 奇特家というような方がいて 

巷のあれこれになんとなく気を遣い
うまくとりなし 

物事を解決していた

そのようなときに 浄財 が費やされたりして

奇特な行いと 浄財が 程よく融合され 大仰でない 粋ともいえる善行で

どうにも救われない人々も 何とか生きながらえることができたりしていて・・・・

 

けっして お金に関わる問題だけではなく 

さまざまなことが つまるところは 奇特とか浄財で 濯がれていって 事もなく過ぎ

というような趣きがあったような・・・そんな時代だって わが日本にも あったような・・・・


17歳の子が 実の父から生を終えれるようにしてくれ
と言われ 
嘱託殺人を為さざるを得なかったというようなことが
あった    事の真実は 徐々に明らかにということであろうが
なんとも やりきれない思いがした

 

孤立した生活  関心を持たない かつ 持たれない生き様

関わろうとしない人生 手段を見出せなく 関わることから逃避する生き方

他の存在に無関心を貫くことに美学を見ている人の群れの影

次から次と これらの観念だけが 私の内で走り回り・・・

 

当事者のこと 周囲の関係者?を どうのこうの言っているわけでは けっしてありません

ただただ 悲しかっただけ

かたや 数億なにがしが ある集まりから某政治団体に寄付されたとか・・・というニュースも

あったりして

あからさまな 利益誘導と言われようが 何と言われようが
『自分らの言い分のため金の力を使うことの何処が悪いと言うんですか・・・他人のことなんぞ 
かまっていられるものですか
もっと もっと あからさまな得手勝手なんぞ世の中に ワンサカあるでしょう 
そうは思いませんか・・ 

どこか 間違っていますか どう思います なんか 言いたいこと あるとでもいうんですか
学恩も 正義も 清く正しくも そんなもんに拘っておられるもんですか
なに不自由なく 勉強だけしていられた連中なんぞだって
自分の恵まれた境遇を世間に感謝して それに幾分か
感謝の心を尽くさなきゃ 勉強したくてもそれが叶わなかっ
た級友や人々に申し訳ない なんて思う輩 いまどき 世に見かけるかってェんですよ
昔はそんな偉人にも似たような名も無い人も けっこう居た なんてェこと 親から聞いたこと
あるけど
今時には どこにも とんとお眼にかかれない話ですよ
まァ 悲しいというか 淋しすぎること
ではありますけれどネ

恥の観念なんぞ そんなもん気にしていたら

損だけ受け取らされて 取り残されるだけじゃ と すごんでいるような

これも なんともやりきれない このごろの風潮 ?

なんのかんの言っても たかが 人のすること ?
やれ 不倫がどうの 
薬に頼る弱さがどうの
賭博も ときには いたいしかたないとかどうとか
経歴ごまかしなんぞ たいしたことナイデショ とか 
まっとうに役をこなしている政治家・有識者なんてェのが 今の
この国にいるのか とかどうとか
力を授かっているものどうしが 互いに 相手の傷を さらに
せめぎあっているような
あさましいにも ほどがあるような・・・・

今の日本の淀み 
どのあたりから 少々どころか ハッキリと
狂ってきているのか

我が国の正体を見せつけられているような ニュースが なぜか あいかわらず 多すぎる

これからの 子供たちの未来に 
あまりに無責任のような
勝手すぎるような・・・みっともなさ過ぎるような・・・

でも けっして希望は捨てません
諦めきっては あまりにもさびしすぎます

この世の毒と濁り水の浄化に ほんの少しでも効くような

奇特と浄財の類の行い
けっして大仰でない さりげない 清さの重なりを
懸命に生きなければならない子供たちのための包みにしたい

潔い 

さりげない 生き方の手本

難しいこととは思うけれど

親として

大人として

地上に生を受けたものとして

なんとか 汗をかきながらも やっていかなきゃ・・・

こんな自分だけど

いつの日か 万分の1でも 億分の1でも
この世の何処かで 懸命に汗をかきながらも 
なんとか生きている人々の
なにかの力になれればいいな   
とは思ってはいるのだけども・・・

まだ まだ ずっと ずっと先のことになりそうですが・・・

いつの日にか なんとかして 
と思うばかりの日常 ですが・・・・

周りで なんだかやりきれない 淋しすぎることが続いていたり

しているものですので   2016年 弥生の夜のブログは 

このような文字の群れに なってしまっていたのでした

                      母校(中学時代)の運動場に注ぐ

                              西暦2000年頃? の陽光の図        


                     

 

   

                                        

 


遠き日への呟き

2015-08-14 | ■ サマザマな おはなし

 

 

お盆の朝に 不吉なことを?

なんと迷惑な

と思われそうだが 思い立ったが吉日

私にだって 何が起こるか わからない

可能ならば 言いたいこと 記しておきたいことの万分の一でも

言い 記して

チャンスを逃さないように これからの日々 生きながらえたい

勝手を承知で かきなぐってしまいます

どうぞ どうぞ お慈悲を





以前 ほんの少し記したことがある(間接的な表現で)?

そのように記憶しているが
 

少年の頃 よく 思っていたことを起点にして 思いつくままに記します






ボンクラ少年時代からの 生涯最大の疑問??は

おおよそ 次のようなことだった

≪存在のスタート? 宇宙空間のスタート点?は
この世の始まりは 何処からどのように姿を現せたの?
無から有とは どういうこと?

仮に この世の始まりは こんなぐあいで 等と表現されても
では その始まりを認識できる 場 とでも言うべき 場は
どのように存在できていたの?

無と いうことを認識できたとして その認識できている 場は
どこから登場できたの 
無から無が できあがるの 生まれるの??≫

少年は 日々 こんな具合に 可哀そうに?

幼い悶えを抱え続けていたのでした(悶々としていたであろう?

中学時代の夏休みを なぜか特別に 妙に愛おしく思い出します)


無から無? とりようによっては なんとも 幼稚な
いや 深遠な・・・そう 少年にとっては 不思議で不思議で不思議で
(不思議が一兆個ならぶくらいの疑問)

・・・おじいさんになっても いまだに 

答えは  おそらく ≪ワカラナイ≫
ということになるのでしょう

どんなに どんなに どんなに 科学や哲学や あらゆる分野が
想像もできない単位で進歩し続けたとしても

答えは ≪永遠に    ワカラナイ≫




あるとき こう思いました
ワカラナイ からこそ 生きていける
人間 ワカラナイことがあってもいいのではないか




逆に すべてが そういうことか と理解できたとして そのような状況のなかで 

人間 生存していける?

人間 ワカラナイことがあるから生きていけるのじゃないのかな

この世にある魑魅魍魎の正体がなにもかもワカッテ

不条理の正体がなにもかも 見え尽くせる状況で

逆に言うと なにもかもが条理にかなっていることなのだよ

ワカラナイものなど 何一つない世界なのだよ

とだれかに教えられて

そうすれば 生きていけそう?

この世にあること それらは ご覧のとおり

すべて条理にかなって起こっているものなんだよ

という状況で 生きていけそう?


うまくいえないけど

やはり 人間 ワカラナイことがあってもいいんじゃないの?

無から無 ? ワカラナイ ワカラナイ 不思議で不思議で・・・

でも

だからこそ 生きていけるのじゃないの?

どうにもワカラナイ でも
 

それだからこそ 呼吸をし続けていけそう

あなたなら どう?


何もかもわかる世界って なんだか その・・・

スキッと 賛成の挙手ができそうもない

人類の いや この世の スタートボタンを押してくれた人も

場所も そのボタンの製造者も なにもかも 調べると

調べ上げれて 疑問をゼロにできる・・・
 

のは いいことなんだろう けど・・・

(でも 疑問ゼロの世の始まりは???また 振り出し?)

 


疑問ゼロの 条理に溢れた(つまり 生起していることすべてが

なんらかの条理に裏付けられ尽くされているとされる)世

そんなところ 息苦しくて息苦しくて とても とても

ボンクラ私めは 生きられるとは思えない











というような問答 会話の相手をしてくれる人

いそうで いなかったなー


酒食らって パチンコに通って つまらないお笑い芸人の笑いに

自分をごまかしてるようで

世の 大人なんて・・・くだらない連中

オレが こんなにも いろいろと悩んでいるのに

1人でも おれのモヤモヤに付き合ってくれる

大人はいないのか

・・・ ワカラナスギル世のことを シャベリたいだけなのに・・・

誰かに ブッツケタイ


何を読んでも 何を聴いても 正体がみえない

友達にも コンナこと 訊けそうで 訊けないし・・

あの生臭坊主

こっちが本気なのに テンデ相手にしてくれなくて

“そんなつまらないこと気にするより

とにかく 生きること” だって

それじゃ 答えになってないっていうのになー  











ワカラナイことは ワカラナイ と

とにかく 話の相手には なろう

自分も 同じように悩んでいるし 君と同じように

子供のころから悩み続け この年齢になっても

ホラ このとおり 悩み続け

大人だって 君と同じようなもの
 
酒食らって 意味なくドローッと生きているように見えるかもしれないけれど 

ケッコウ これで 懸命に生きているんだよ


そんなふうな具合に流れるだけの会話だとしても

誰かの 不気味な怒りの相手にならないよりはマシかな?

なんぞと 思うのです






今朝は なんだか いろいろと 人の悩みが身に迫って

相談も いろいろ まったくのところ いろいろ なのです

大人にしたって それ以上に? いろいろ いろいろ さらに いろいろ


とにかく

少年も 青年も 壮年も

今の世に 生きとし生けるもの
 
タイヘンダナー と 妙に 思えてしまって

(もちろん いつの世も生きていくのは至難の業なんだろうけど)


繰り返しますが
 
少年の頃 よく 思いました

“大人なんてサ なんで あそこまで気楽に生きていけるんだろう
 
この 少年の 哲学的な悩み? の話し相手になれそうな奴

いるわけないか

あんなふうに 酒食らって ボヤーン と

生きていやがるんだからナ”

 

 

親にも 先生にも 友達にも 誰にもブッツケラレナクテ絶望する前に

話して欲しかったなー

と思うこと
 
度々 あります





乱雑な文章で ゴメンナサイ



幼い けれど 実は とてもとてもとても

生きていくうえでの決定的な深遠な悩みでもあり

幼い悩み なんぞでは決してない

この世の英知でさえ どうにも手強過ぎる悩み

そうしたものを 抱え続ける少年少女

いや  大人も タクサンタクサンいるのです

私も その一人

心は 永遠の少年のまま でしょう おそらく





まとめるということを度外視し 思うままを書き流しました



繰り返しになるけど

もしかして ツマラナイ大人にこう言いたくて

腹を立てている少年少女さんへ

要するに言いたかったこと

『 大人なんて 
と言われても仕方ないかもしれないけど
大人も けっこう いろいろ悩みながら生きているんだヨ

悩みながら という点では
仲間でもあるんだ

チャンスがあったら とにかく 話してみてくれヨ 



さて 心だけ永遠の少年は 仕事と行事を片づけたならば・・・

なにをして 楽しもうかな  

いやまてよ 大事な大事な片付けごとが

ドッサリ 残っているんだった

 

永遠の 

悩ましき人生劣等国筆頭候補生なんだから

        《以前に ほぼ同様のことを記したのですが とても気になることがあり ほぼ再掲となりました 
     ご容赦をお願い申し上げます》

                         心の宝もの 

                                 故郷の山 の図です

                    http://toku4812.server-shared.com/


      

 

    

      

 
 


2011年10月に記したこと

2015-07-28 | ■ サマザマな おはなし

 

 

一介の素浪人行政書士&マンション管理士だが

世の 根本的な仕組・あり方にも 大きな関心がある

概して言うと どのような仕組が 世の真の発展にふさわしいものであるのか

ということ(たまには こういう硬いことも記します)


一時の(一番いい例がバブル期の世の在り方)世相のように

新手の消費財を開発し需要をうながし その連鎖でなんとか

GDPの数の連続拡大を追求し なんとかかんとか世の仕組みをつないでいくという

時代があった

当時 世界の中で 安穏と 主に供給側に居た日本が 狂乱とも言える熱狂の経済の中に

安んじていられたのも

本来は そこまでの消費財など生きていくうえで必須ではないのだが

でも あれば便利 とにかく なぜかウキウキ人生には無駄ではない というような 

ある意味曖昧な浮き草のような価値観の波状攻撃にさらされた 生きざまの後ろ盾が

あったからのように理解できる

そうして そのような物量生産のしくみと それに踊らされているかのような

大量消費力の支えこそが 好い具合にマッチする

幸せ感醸成の有力な仕組なのだと 大方の いわゆる知識人・有識者・学識経験者・為政者

らが なんとなく?挙国一致体制の雰囲気で半信半疑の下で支持し 日本国の圧倒的繁栄?

とやらに酔っていた


が そういつまでも 他国の民が 日本の(あるいは いわゆる先進国の)思惑に 

妥協するばかり とはいかなくなる

どこかで なにかを契機に
 

なぜに これほどまで 不平等的な生きざまを強いられるのか

なぜに日本やアメリカだけが虹の下の生活を過ごせる者が多いのだろう・・・

との疑問がわくわくと増殖し

各国家で 不合理不条理きわまりない先進国圧倒的有利の政治経済の仕組みの

変革を目指す行動が爆発的に進行していく


日本のまわりの あらゆる国が あるゆる方法と手腕で

一日一日 日本に追いつき 追いぬく体制の構築に励んでいたのだろう



そうしたこともあって・・
 

今日も これからの日本の(あるいは もっと広範囲での国家間での)行動指針となる

価値観の点検作業に追われている

といっても 大方の見方で おおよそ その点検作業の集約結果たるものが 

ある点に結束されることを暗に認めている というか 認めざるを得ないとの事情を
 

そうして その事情を呑まざるを得ないことをも

ヒンヤリと肌で感じている

が 明確に そのことを表現する損な?役を引き受ける覚悟のものが姿をハッキリと

見せてくれない


すくなくとも バブル期のような世の有りようには

戻れない

ということを 経済至上主義を標榜する人たちの前で

確言することを ためらう

人さまの 希望・期待にまで 口をはさみたくない

そんなことを受け持って 何の得がある とでもいうように・・・




需要側が なんとか関心を持つべくものを いわば無理やり

研究開発し なんとか 供給段階まで持ちこたえ

とにもかくにも 生産性向上の数字に連動するような消費行動を

つくりあげるような仕組は もはや 無理

政府も・産業界も・学識経験者と言われる人たちも

そのあたりは わかっている はず

だが 声だかにはしない というか できないらしい


生活していくのに必要な財の量も 極力 減じる

生活していくのに必要な量をヤタラ超える生産も もちろん減じる

生活していくのに必須とはとてもいえないような財の開発は

もはや 冒険的すぎ そのような需要を造成していく手段をなんとかかんとか

工夫しながらの経済活動は 心もとなさすぎる

もはや 投資も 実利のある本来の投資の姿は無く

単に価値を転がす 価値に付着する偶然価値を遊ぶ投機

のなかの投機の親分衆の手の中で いいように転がされているようなもの

しかも それに対し アングリ 口をあけて見逃しているより

しょうもないような 情けないなどと表現するのも脱力感を覚えるような 

そんな具合になり下がっている

高級学識も 高等経済理論も なんともこころもとない・・・


 
GDPよりも生活感覚

資源でなく人を使う

というスローガンが 単なるスローガンではなく経済理論の主な柱に位置するのだ 

ということを認めざるを得ない世である以上

量に頼る生きざまでなく

生きる意味を イチイチ問うような生きざまをある部分で余儀無く問われるような日

を眺める場面が多くなる人生であるのだろうし

当然 今までの世では会えたかもしれない楽しいだけの平均寿命時間経過を安穏と

苦労無く見て過ごせる人生 というわけにはいかないことのほうが多いかも

ということの共通認識のようなものの空気がこの世には増えていくに違いない

というあたりを ハッキリと 言わなければならないことも

あるのだろうということを 為政者は意識せねばならない

それこそ 意識的に






≪物質的生産の量的拡大が行き詰っている時代

資源が枯渇するなど環境制約に直面している時代≫

それを ハッキリと言わなければならない

それとともに

≪量的な拡大は無いが

退屈ではない
 

新たな思想が生まれ 面白い創造的な社会になる≫

などと 安易に言ってはいけないのでは・・

いままでよりは 多少シンドイことになろう ということは言わねばならない 

と思うのだ


≪人々の関心は自然やコミュニティーに向かう

企業は利潤最大化だけを目指すのではなく より相互扶助的に振る舞う

福祉も政府行政にまかせるばかりでなく まずはコミュニティー自身が自身が担う≫

というあたりにも 安易に このことが多用され

ますますの閉塞感をあおるようなことにならないよう注意が必要だ


繰り返しになるだろうが

つまり すくなくとも経済的な面での停滞は

程度の差はあれ いずれどの国でも避けられない

生活の質はどうであれ 量的には寂しさを実感せざるを得ない方向での歩みを 

世界はしているのかもしれない

ということは 心のどこかで認めざるを得ない のでは・・・

そのことを 前提状況にして事を進めなければならない



明るい未来は無いんだよ などと 断言することを是とするための提言では

ケッシテない



いたずらに 量から質の生き方のスタイルチェンジが 何らのマイナス面もともなうもの

ではない と 断言するような風潮は

いかがなものか
 

おそらく チャブ台に並ぶ一汁四菜が 一品ほど減らされざるを得ないような

我慢をしいられるだろう という場面では 表現のごまかしで逃れるのではなく 

率直に言わねばならない ということを思うのだ

そうして 徒に 勢いだけがヤタラ先行し 裏付けの無い景気のよい宣伝材料に

踊らされてしまい

いつのまにか 政治の仕組みの絶対に譲れないところまでをも

侵食されることなどの くれぐれも無いよう しっかりと見つめなければならない 

と思うのだ


不景気が ドンドン ドンドン 進行しているような過程で

どうしても 想起されてしまうのが
 

ナチス思想の不気味さ

あれよ あれよ という間の 暗黒

考えすぎもいいところ と笑われそうなのは覚悟で

どうにも この言葉になってしまうのだ



というわけで

くどくどと記してしまったが

言いたいことは

[黒色は 黒色と

青色は 青色と]

表現は 客観的に
 

信ずるところにより

為政者としての信念を貫いて 言わねばならないのでは

ということ

国民への判断材料は そのまま 色に手を加えず

まな板に載せて欲しい
 

いや 載せなくてはいけない という

極く あたりまえのこと

そうでないと 選択の基準さえ霧に隠れてしまうからです




経済の仕組み 価値観のとらえかた 為政者の姿勢について

世界中の何処を眺めても

明らかに 決定的な変化を余儀なくされているのだから

その変化をジックリ見つめようと

一介の素浪人は思っている

大切な あらゆるもののために

 


やむにやまれず

2015-01-09 | ■ サマザマな おはなし

ほぼ 再掲ですが ある事情があり やむにやまれず 載せさせていただきました

 

 

人は 思うことは 完全な自由
内心にあるうちは どのような規格はずれなことを抱えようと
一切自由 
無政府主義を信奉しようと
婚姻制度を否定しようと
狂気から逃避するため自己を神格化しようと
だれしもが崇拝する思想家を再吟味しようと
一切自由

そうなのです 誰も 内心は覗けないし
内心の様子に 干渉することは不当なのです
内心が内心にとどまるうちは 完全自由
内心を どのような配色でまとめようとも 各々の選択次第
その色にくるまれながら なんとか生きながらえているのが
人類だ とも言えそう 

過去の 狂気の密室のようないくつかの歴史の舞台でも
幾多の命は
こうした内心だけにあった完全自由にすがりながら
生きながらえ得た とも言えるのでしょう
漆黒の闇の中世の一時期も
ナチスの時代も
ポルポトの時代も
今もどこかにある 強制収容所といわれる幾重の狂気に
ガンジガラメの密室内でさえ
人は 自らの内心の色で自己の心を暖めながら生き延びて
いた あるいは いるのかも・・・・



同年代で生を繋いできた方の最終ページが 自決という形
で示されたりすると 
内心を覗けないということの不都合さが どうにもやれきれ
なく思えるときがあります
一片でもいいから 内心を超えられなかったのか と
周りの だれかにでも 内心の色の変わり具合を 
ほのめかすことのできる出会いは皆無だったのかと



自殺者の増加は 驚くばかり
異常なことなのに そうしたことにも慣れてしまうという 
人間の異常なまでの順応性?にも 
それこそ 異常を感じます




紙一重の生
とにかく生きて などと 本当は軽々しくは言えない
だろう

やはり こう言える 
いや 言わねばならない

どう考えても 生 は神聖なものなのではないのか


理由付けは 実は私には説明できそうもない
でも コレだけは言える

人間 生きている というそれだけのことでも 尊敬させていただくに
値することではないのか


私の持論です
自己の人生上の経験から 自然に思い至った言葉です





特にこの数年 どうにも理解できない自決を聞かされつづけ
このような記事になりました
もっとも 理解ができる自決というのは稀有のことでしょうが

それにしても ほんものの明るさは
この世のどこに 閉じ込められているのでしょう

 

子供たちの瞳の笑み
これこそも 絶対に守るべきもの


“自殺って どういうことなの・・・”
こんな疑問 子たちには モチロン不必要
絶対に その意味なんぞ 詮索して欲しくない

 

私に 三人の オセロとチェスと将棋の相手がいます
高校生二人 中学生一人

元気に バンドをしたり ゲームをしたり 進路を考えたり・・・
じいちゃんの世界なんぞに目もくれず?に アクションしまくっています

 

 

 

しばらく生きながらえてきたものであろうと

生きながらえ始めてさほど時を経ていないものであろうと

世界中の巷で 自殺という言葉の意味なんぞ ヒッソリ
辞書でひいてほしくありません

自殺の意義なんぞ 問われたくもありません


 

どうしても つきとめたいなら 知りたいなら
ずっと ずっと ずっと ずっと あとで
ボンヤリとぐらいわかってくれれば いい
いっそ わかってほしくない

 

いまどうしても わからないと 生きていけないというのなら

どんな手段でもいいから その心を 誰かに ほんの少しでも

開けてみてほしい

おてんとうさんの光が ウッスラとでも心に降りかかるかもしれないから


 

もう一度 言わせてください

人間 生きている というそれだけのことでも 尊敬に値する

私の持論です

                                  

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歳の瀬に

2014-12-24 | ■ サマザマな おはなし

クリスマス イブ

なんとも 響きの好い 言葉ですね

その心地よい呼び名が生む憧れの世が なんとか 彼の巷にも届くことを 祈るばかりです

 

信じたく無いような惨劇が あちらにも そちらにも起きている悲しすぎる人の世ですが

 

あちらの そうして そちらの 人のいるところ  ひとつでも多くの笑顔がありますように・・・

 

 

 

事務所の執務机の上の本立に ヒットラーの 「わが闘争」上・下 「続・わが闘争」生存圏と領土問題 の三冊の文庫本があります

愛読書というわけではなく 戒め という意を込め 時々は視線に入るようにしているのです

そうして 時々 あの時代のドイツという国の記録フィルムを眺めます

そこにある 人民の熱狂の不思議さと悲しさを凝視しながら そこにある現実さを信じられない自分が

昔からいて 

でも・・・

“やはり 現実だったのだ” と フイルムを見終わったときに うなづかざるを得ない自分を見て

人間の危なっかしさ というか 生きるということの危なっかしさと 歴史の紙一重の綾を思うのです 

 

 

心の飢え 思想の飢え 生きるためのパンへの飢え そんなところに不気味に潜り込み始め

気付いた時には おぞましい無価値の虚飾にがんじがらめにつながれた己がいる世界

真の笑みを互いに見せ合えることなど 絶対にでき得ないしあり得なくなってしまっている世界

想像しただけで 心が 凍りきります

 

 

苫屋と思想に土足で踏み込んで来ようとする大仰な虚飾の演説に酔う輩が侵入しようとしたのなら

その足に噛り付いて 

我が愛する者を 命を懸け 守ります

 

生きながらえている限り・・・絶対に・・・守ります

 

 

地球というところで なぜかこんなことを 思ってしまっている 本日 2014年12月24日 

17時過ぎです

 

                           

 


もう10日寝ると

2014-12-21 | ■ サマザマな おはなし

 

日曜でしたが お仕事でした

おおよその公務所は26日で仕事納めのようで・・?

自分も公務員経験があるのですが そこは31日どころか元旦までお仕事で2日は休みが取れましたが

そんなところだったので 暦上の偶然もあるのでしょうが 本年の 公務員さんは9連お休み なんぞは 夢のまた夢 でした

 

 

さて 近日のニュースに 芥川賞 直木賞関連のことが

ずっと ずっと 若い頃は

なににでも 直ぐに反応し


芥川賞発表 早速予約しなければ

     乱歩賞は 今年の分 読んでなかった

アカデミー賞の話題作 来週見に行こう
     
     今年の注目演劇は

 等等


直ぐにでも 知識として持ってないと 居心地が悪いような

仕事上での雑談で話題になったとき  知ってないとなァー

というようなことで  その類の情報に そこそこ無理してついていってましたが

このごろは ぜんぜんといっていいほど

 気になりません


というのも まあハッキリ言って

ミゴトに 裏切られることが

多すぎた

からですね・・・・・ もっとも これは 私の 勝手な採点基準 からの結果であることから ですが


世紀最高?全世界注目の話題作 ん十万人観客動員もはや1週で 超感動大作

驚異 待望の十代天才新人作家 ついに誕生


何とかカンとか この類の謳い文句に

幾たびガッカリさせられたことか


さすがに  もういい加減にしてよ という感じ


ほんものの良いものは  どうせ放って置かれても いずれ光を放つ

  そうあってほしい

そう思うことにした


こうまでキャッチフレーズが乱れに乱れて溢れ流れていては

たまりません  (ここまで 情報量と情報手段と宣伝手法が膨れあがっては無理もないことなのかも ?? ) 

それと

 評価するほうの力の問題か

 評価されるほうの問題か

  この点に関しても・・・



  どっちにしろ  MY  WAY で行こう


それこそ 簡単に流されるほど

 眼をボンヤリとはさせたくありません


かといって 新しいものすべてを斜めに見るということでもありませんが

(微妙なカンカク デスケドモ・・・ネ)

     皆さんは  どんなふうに付き合ってますか

     この世の 素敵な情報サンと・・・・

   で  私なんかは  文学は古典(明治・大正・昭和もの
                ・・・これも古典というのか?)が多く

               ジャズは 1950年代ものに

               映画は いつものお気に入りに

               落語も そのとおり

               ご飯は いざという時のご希望メニュー お定まりの 漬物と蜆の味噌汁

               散歩道も お決まりコース

   てなことに なってしまうことが多く

   まったく 進歩がなくて・・・

 

さてさて 明日申請予定の 農地法関連 再確認だー

 

 

それにしても 

ノンビリ と ローカル列車 で 山の麓の温泉にでも 行きたいものだなー

 

   

何年か前に使った時刻表  

   なぜか 活字の 時刻表が見たくなったこともあって 手に入れたのだった