おてんとうさんのつぶやき & 月の光の思案 + 入道雲の笑み

〔特定〕行政書士/知的財産管理技能士/国家試験塾講師等が生業の巷の一介の素浪人の日常

古き西部劇を観たいようなナントモ不思議な心持ち

2019-11-09 | ■ サマザマな おはなし

 

 

 

ウィンチェスター銃'73 』(原題:Winchester '73)は 1950年制作のアメリカの西部劇映画

大戦後 5年目に作られたもの

気分転換に 観てみた

日本では 2年後に公開されたはず ?

一本の映画に なんとなく その頃の 戦勝国 と 敗戦国の 巷も 少しばかりでも 覗えてしまう 

ような・・・



 

内容は 先住民との争いなどを含む 西部劇そのもの だが 

人としての名誉 とか 男女を問わず人としてのケジメ とか 気高い人間性というもの とか 険しい情況下

での真の勇気 とか 


ほんとうの粋というもの とか 真の 人の心の温かさ とかを あらてめて教えてくれる ナントナク 日本

という地にも


・・・世界中に共通するような・・・人の想いというもののなつかしさを 理屈無しにシンプルに感じさせてく

れるような・・・

(特に 昭和時代の巷に そこかしこに ときには味わうことが できたようなものを感じることができるよう

 な・・・ ?)

ほどよい 快い雰囲気に浸ることもできた

「駅馬車」にしても アクションもすごいものがあるが 人の情というものを 重要なテーマにしていることは

同様だ と 思われる

こちらは 戦前 1939年製作 日本に御目見えは 次の年だった


1940年 と 1952年 の 日本という国で公開の 外の国で製作された作品

あの大戦 と 双方らの民 と それに流された幾多の運命と そのときどきの巷のことなど思うと 

胸が痛みもするが・・・

〔映画もダイスキ 私の5大趣味のひとつ
 この映画も好き ですが 映画そのものの好き嫌いという点
 からのお薦め度からしてスゴイ作品かというと 少しばかり
 総合点からするとザンネン 
 なので 是非ともご覧あれ と 
 そこまでは言えないの ですが・・・〕

 



 

 

せせこましいような なんとも虚無感を覚えざるを得ないような 不粋がのさばるような面がありすぎるような

? 今の巷

大人として持つべき情からの行動とはとても思えない心が為してしまう所作を 平然と弱者に向けてしまう者が

散見されすぎる

そうした ニュースが 日常茶飯的な 


昨今の 世

貴重な労働のエネルギーで生った莫大な貴重な財が たった 数分で吹っ飛ぶようなばかげた経済操作が幅

を利かすような


最優先高等?理論 ? に基づくとされる今の世界経済の仕組みとやらの虚しさ

形振り構わず とにかく財の獲得者こそ尊敬に値する者 だと 声を荒げ平然とのたまうようなことを

見なければならないような わびしさ


本来なら夢溢れるべき時間を過ごしてもいるはず なのに と 思われる若人の怒りの集い 


ドンナ基準でそんな額の提示がありえるのかと思わざるを得ない けたたましいトレードなんぞで 

かき回され 


それほどまでしてスポーツというものが本来持っていた純潔の雰囲気を壊す必要などないだろうと

思わざるを得ないような桁違いの莫大な財で蠢くスポーツビジネスとはなりはて 


そうしたものを 見せつけられたくも無いのに と 思ってしまう 財に貶められ続けている と 思わざるを

得ないような
昨今のスポーツ業界の ある意味 空虚とも思える貌の部分

おしなべて すべては金銭価値に置きなおして すべて事の価値が決められるようなことが 世を差配し支配す

るべき公認の
絶対規準なのだと 見せ付けられているような 意識で被われているような 気だるさ


うるわしさの欠片も無いような言動に闊歩され 散らかされての果ての 真の価値が根こそぎに近いまで破戒さ

れ尽される世さえ 

いずれ

近いうちに いやというほど繰り返し見せ付けられそうな悪夢さえ この世の舞台には皆無でない ような・・

そんなふうな 諸々の恐れにおびえなければならないようなグレー色の空想もどきが・・・夢にでてきそうな



オオゲサを承知で 諸々 過激に書きなぐってしまいましたが そういった不気味さを 吹き飛ばせるような

心情を なぜか激しく求めていた心持でしたので 


ほんの少しばかりでも スッキリできそうな気持ちになることができそうな ドラマでも観てみよう と思い



超珍しく なぜかウエスタンのお話を眺められたことは 救いだった



題名は覚えていたが 内容は 忘れていた というより 初見 だったのかもしれない

なんとも 心もとない 己の記憶に 少々 ガッカリ ではあるが・・・とにかく 久しぶりの 

紛れなき 古き ウエスタンの世界のお噺 だった

 

 

遠い昔

西部劇がダイスキな叔父に連れられて 映画館に行ったことがあったりした中学校時代だったが

今にして思うと叔父が魅かれていたのは 異国のアクション劇というばかりではなく そうした よその国にも

あったであろう 人の情の
清さ と 温かさの姿を味わいたいがため だったのかも 知れない と 思えたり

した

記憶にあるのは 叔父は ジョン・ウェインのフアンだったこと





話は 戻って

それにしても

真の宗教というものにとって 年端もいかない者に自爆をほのめかすなどということができ得る

ものなのだろうか


幼子に おびえの表情をつくらせるような蛮行を 至高の存在は いつまで許してしまうのだろうか

民族というものの争いが 千年をもはるかに超えると思えるような年月 絶えること無く続くことの狂気に 

人類は ほんとうのところ 少しの疑義さえも覚えることさえないような存在になってしまう

ことさえあり得るのだろうか・・・どう考えても

そのような理不尽を認めることなどできないはず と 思うのだけれど・・・


こんなふうなことさえ いろいろ なんだか 秋の快晴の一日 なのに みょうに 思い続けてしまった




今の世を 憂いてばかりいても たしかに 人として 寂しすぎよう か

 

政治というものが 巷の生きるエネルギーを決してしまう 最先端に位置するものとばかりは思わないが

けれど

ひとつの途としては 志の高い人が より多く 為政の場での意を決することを目指してくれて

かつ

巷も その類のエネルギーを持つ人を見分ける力をつけることに 努め そのようにしながら 

とにもかくにも すくなくとも大人連は 巷を投げ捨てたともみえるような結果になるような

ことだけは してはいけないと決意し これからの者のためにも 夢を壊しそうなぶざまなことを絶対に

避けなければいけない 

と 思うのだ

当然のこと 自らも そうしたことの欠片でも目標にして努め前進し 生きながらえねばならない と 

思っている

タイセツなものたちのために・・・

 

昨今
今の世の 世界中の多くの 特に為政側に 残念な面をあまりに見てしまうことが多々あるので 

少しばかり ? というか そうとうに 

過激な言葉で 暗すぎるような記事になってしまった

ゴメンナサイ

 

さて もう一仕事 だ ぞ

 

 

でも

 

22時が過ぎた 

事務所からは 退散することにしよう






おやすみなさい

 

                              

                

  http://toku4812.server-shared.com/

 

 


      

 

    

      

 
 


ご案内 です

2019-11-09 | ◆ マンション管理業務  《 全般 》

 

 

セミナー と 相談会の ご案内です

 

日  時 :  令和元年 11月 17日 (日)

会  場 :  牛久市エスカード生涯学習センター

      (茨城県牛久市牛久町280/ 牛久駅西口駅前 エスカード牛久4階)


対  象 :  マンション管理組合・・区分所有者・・分譲マンションにお住まいの方 など

マンション管理セミナー  

「今、管理組合は何をなすべきか?」    

     (講 師/マンション管理士  片山 整)


   10:30 より(10:00 開場)    第2講座室
 

相  談  会 (マンションでのお悩み相談)  

   13:00~16:00          第3講座室

 

主催 ⇒  一般社団法人 茨城県マンション管理士会  
 

後援 ⇒  茨城県/牛久市/公益財団法人マンション管理センター
     一般社団法人日本マンション管理士会連合会

 

 



お申し込み・お問い合わせ

一般社団法人 茨城県マンション管理士会  

〒310-0041   茨城県水戸市上水戸3-4-26    電話&FAX 029-231-6433 

  E-mail info@ibaraki-mankan.net

 ホームページ https://www.ibaraki-mankan.net



マンションの管理運営に関する セミナー と 相談会です

どうぞ ご参加ください   お待ち申しております

 

〔念のため申し添えますが 参加資格として 牛久市内在住の方に限る等の限定は ございません〕

 

                              (一社) 茨城県マンション管理士会 理事長  畠山 徳男

                 

 



                       


少しばかりでも 大人になれそう かな ?

2019-11-09 | ■ 業 務 エ ッ セ イ

 

本日は 霜月 神楽月 の 第二土曜日

当地は 晴天

業務にまったく無関係というもの でもありませんが ほぼ 個人的心情エッセイ です

そういったものですので スルーもありでは と思われる今日の記事ですので ご容赦を・・・

 

 

 

 

学校時代に 折に触れ というか 特に通信簿あたりで指摘されたことは

<何事においても もうすこし 活発に>

ということだった(このことは 超個人的なことで 申し訳ありませんが 以前にも載せたことがありました)

 

活発さに欠ける ということ

自身も 納得できることでした

生来の性格(もっとも 性格というもの 生来のもの でしょうが ?) なので なかなか向きを

変えることが

できない

 

少しは 変わったかな ? と 思うこともあるが 基本的には どうも

ダメだ

そのわりには 場面を選ばず ハッキリと言いすぎる とういうことがあり

(ハッキリと というより 直線的に という言葉のほうが 正しい ? かな・・・)

 

 

特に マンション顧問業務において コマッタチャン的な執行部員に対しての対応に

おいて やや ? 青臭く ズバリ進言してしまうものだから 周囲の役員に ある種の

恐れを覚えさせてしまったような悪しき振る舞いとして 映ってしまった かもしれない?

そうしたことが あったのでは ? と 思い返してみる

( もっとも 以前にも数度述べるように 私の業務は その場で そのタイミングでの始末を必要と

  すること多し
で 場を新たに設定して指摘する ということでは 真の 顧問業務にならないことが

  多いので


  例えば 理事会においての 理事長のトンデモナイ言動は その 場で 直接指摘しなくては

  そのまま素通りして 執行部意思として歩き始めてしまうので )

 

そうしたことは この10年間に 大きなものは三度ほどだった とは思うが

おおよそ そうした場合には 次年度の 契約では お役御免となってしまった

煩過ぎる顧問と 映ったのだろうか・・・

要するに <もうすこし うまいぐあいに なだめながら 営業のことも考えながら>という

感覚の調整に 疎すぎる のだろうか・・

 

 

話はチョット逸れるが

最近は ことのほか 読書をしても 映画を観ても 音楽を聴いても 古典落後を聞いても

若いときのそれとは 格別に趣がちがう感動を覚えることが 多い

同じ経験をしても 以前の思いとは 質もちがうのでは との感興を覚えることが多い

すくなくとも そうした感興の深さなどは 増しているように感じる

 

そんなこんなで・・・物事に対する想いが より深くなっているような・・・

そうしたことが 影響しているのかどうか ハッキリとは言い表せないのだが

大雑把な表現で言うと “自身の いたらなさ”を ボヤーンと思わされることが 穏やかな具合ででは

あるが増えてきた(率直に言うと 自身の形が 円形などには程遠いが 36角形くらいには 近づいては

きているかも・・・というような・・・)

 

 

 

 

相談業務にしても 今までよりも 心して 相手の思うことを 今までよりも少しでも 幅を広げて

深く受け留められるように さらに 努めなければならない というようなことを シンミリ 

思っていたりする

心が やや 膨らんではいるのか とでもいうような気も したりする

 

ということで すこしばかりは いわゆる 大人げのある行動というものが チョットバカリは この身

にも やっと 具わりかけてきたのかな ? と 


少々 自身の心持のあり方への審査点数が甘くなってしまっている かも・・・

 

 

というようなことで

年齢を増すにつれると

マスマス 人生の不平不満が 自己中心を絡めて 大きくなる

少しばかりでも ブツブツ文句が減っていきそうだ

のどちらか で あるようなのだろうが 

自身は ホンノ少しでも 後者であるよう 努めたい などと 事務所内で 思ったことだった

 

 

 

相談者さんの話を ジックリ 伺うように と 気に留めてはいるつもりだが つい 

『要するに・・・こういうことですか ?』などの類の台詞で ついつい 間をとってしまおうと

していたりするが そのタイミングを 数レベル 寛容にする努力を 自身に課してみようと思う

もっとも 意識しての振る舞いを課しているようでは 真の寛容には 程遠い所作になってしまうのだ

ろうが とにもかくにも 徒に 話を遮るようなことには 今まで以上に己を律していくようにしたいもの

とは 思っている 

 

 

 

傾聴 ということ

難しいことだなー

要するに 受ける側に 心のユトリが少しでも無いとすると 余計に難しくなりそうだし 

自身の思いに従え というような生地が用意されているようでは 相手の思いを汲み取ることなど

なかなか できないこととなってしまうのだろうし・・・

とにかく 手強いことだなー

でも 幅広い観点で 穏やかに 聴き終えることができるよう 努めようと 思う

(いつも言うように プロとして 業務として 当然のことなのだろうが その当然のことが

 ナカナカ 今さらながら 難しい)




活発でない ことが 穏やかである証左ではないこと とは 当然として とりとめなく

いろいろな思いを記してしまいました    ご容赦を

 

 http://toku4812.server-shared.com/