『ウィンチェスター銃'73 』(原題:Winchester '73)は 1950年制作のアメリカの西部劇映画
大戦後 5年目に作られたもの
気分転換に 観てみた
日本では 2年後に公開されたはず ?
一本の映画に なんとなく その頃の 戦勝国 と 敗戦国の 巷も 少しばかりでも 覗えてしまう
ような・・・
内容は 先住民との争いなどを含む 西部劇そのもの だが
人としての名誉 とか 男女を問わず人としてのケジメ とか 気高い人間性というもの とか 険しい情況下
での真の勇気 とか
ほんとうの粋というもの とか 真の 人の心の温かさ とかを あらてめて教えてくれる ナントナク 日本
という地にも
・・・世界中に共通するような・・・人の想いというもののなつかしさを 理屈無しにシンプルに感じさせてく
れるような・・・
(特に 昭和時代の巷に そこかしこに ときには味わうことが できたようなものを感じることができるよう
な・・・ ?)
ほどよい 快い雰囲気に浸ることもできた
「駅馬車」にしても アクションもすごいものがあるが 人の情というものを 重要なテーマにしていることは
同様だ と 思われる
こちらは 戦前 1939年製作 日本に御目見えは 次の年だった
1940年 と 1952年 の 日本という国で公開の 外の国で製作された作品
あの大戦 と 双方らの民 と それに流された幾多の運命と そのときどきの巷のことなど思うと
胸が痛みもするが・・・
〔映画もダイスキ 私の5大趣味のひとつ
この映画も好き ですが 映画そのものの好き嫌いという点
からのお薦め度からしてスゴイ作品かというと 少しばかり
総合点からするとザンネン
なので 是非ともご覧あれ と
そこまでは言えないの ですが・・・〕
せせこましいような なんとも虚無感を覚えざるを得ないような 不粋がのさばるような面がありすぎるような
? 今の巷
大人として持つべき情からの行動とはとても思えない心が為してしまう所作を 平然と弱者に向けてしまう者が
散見されすぎる
そうした ニュースが 日常茶飯的な
昨今の 世
貴重な労働のエネルギーで生った莫大な貴重な財が たった 数分で吹っ飛ぶようなばかげた経済操作が幅
を利かすような
最優先高等?理論 ? に基づくとされる今の世界経済の仕組みとやらの虚しさ
形振り構わず とにかく財の獲得者こそ尊敬に値する者 だと 声を荒げ平然とのたまうようなことを
見なければならないような わびしさ
本来なら夢溢れるべき時間を過ごしてもいるはず なのに と 思われる若人の怒りの集い
ドンナ基準でそんな額の提示がありえるのかと思わざるを得ない けたたましいトレードなんぞで
かき回され
それほどまでしてスポーツというものが本来持っていた純潔の雰囲気を壊す必要などないだろうと
思わざるを得ないような桁違いの莫大な財で蠢くスポーツビジネスとはなりはて
そうしたものを 見せつけられたくも無いのに と 思ってしまう 財に貶められ続けている と 思わざるを
得ないような昨今のスポーツ業界の ある意味 空虚とも思える貌の部分
おしなべて すべては金銭価値に置きなおして すべて事の価値が決められるようなことが 世を差配し支配す
るべき公認の絶対規準なのだと 見せ付けられているような 意識で被われているような 気だるさ
うるわしさの欠片も無いような言動に闊歩され 散らかされての果ての 真の価値が根こそぎに近いまで破戒さ
れ尽される世さえ
いずれ
近いうちに いやというほど繰り返し見せ付けられそうな悪夢さえ この世の舞台には皆無でない ような・・
そんなふうな 諸々の恐れにおびえなければならないようなグレー色の空想もどきが・・・夢にでてきそうな
オオゲサを承知で 諸々 過激に書きなぐってしまいましたが そういった不気味さを 吹き飛ばせるような
心情を なぜか激しく求めていた心持でしたので
ほんの少しばかりでも スッキリできそうな気持ちになることができそうな ドラマでも観てみよう と思い
超珍しく なぜかウエスタンのお話を眺められたことは 救いだった
題名は覚えていたが 内容は 忘れていた というより 初見 だったのかもしれない
なんとも 心もとない 己の記憶に 少々 ガッカリ ではあるが・・・とにかく 久しぶりの
紛れなき 古き ウエスタンの世界のお噺 だった
遠い昔
西部劇がダイスキな叔父に連れられて 映画館に行ったことがあったりした中学校時代だったが
今にして思うと叔父が魅かれていたのは 異国のアクション劇というばかりではなく そうした よその国にも
あったであろう 人の情の清さ と 温かさの姿を味わいたいがため だったのかも 知れない と 思えたり
した
記憶にあるのは 叔父は ジョン・ウェインのフアンだったこと
話は 戻って
それにしても
真の宗教というものにとって 年端もいかない者に自爆をほのめかすなどということができ得る
ものなのだろうか
幼子に おびえの表情をつくらせるような蛮行を 至高の存在は いつまで許してしまうのだろうか
民族というものの争いが 千年をもはるかに超えると思えるような年月 絶えること無く続くことの狂気に
人類は ほんとうのところ 少しの疑義さえも覚えることさえないような存在になってしまう
ことさえあり得るのだろうか・・・どう考えても
そのような理不尽を認めることなどできないはず と 思うのだけれど・・・
こんなふうなことさえ いろいろ なんだか 秋の快晴の一日 なのに みょうに 思い続けてしまった
今の世を 憂いてばかりいても たしかに 人として 寂しすぎよう か
政治というものが 巷の生きるエネルギーを決してしまう 最先端に位置するものとばかりは思わないが
けれど
ひとつの途としては 志の高い人が より多く 為政の場での意を決することを目指してくれて
かつ
巷も その類のエネルギーを持つ人を見分ける力をつけることに 努め そのようにしながら
とにもかくにも すくなくとも大人連は 巷を投げ捨てたともみえるような結果になるような
ことだけは してはいけないと決意し これからの者のためにも 夢を壊しそうなぶざまなことを絶対に
避けなければいけない
と 思うのだ
当然のこと 自らも そうしたことの欠片でも目標にして努め前進し 生きながらえねばならない と
思っている
タイセツなものたちのために・・・
昨今
今の世の 世界中の多くの 特に為政側に 残念な面をあまりに見てしまうことが多々あるので
少しばかり ? というか そうとうに
過激な言葉で 暗すぎるような記事になってしまった
ゴメンナサイ
さて もう一仕事 だ ぞ
でも
22時が過ぎた
事務所からは 退散することにしよう
おやすみなさい
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