司法試験の論文式を何度か受けたときの感想
理解する ということと その理解した(自分ではそのように思い込んでいたが)
ことを外部に出す 特に 口頭でではなく 文字で表記することとは
ゼンゼン 消費エネルギーが違うことだ
ということ
郵便配達をしていて 学習時間が限られていたので どうしても知識の
吸入のほうにエネルギーを注ぎ込まざるを得なかった ので <書いてみる>
ということを 後回しにすることが多かった
というより 疲れきってしまうので むしろ 避けていた感があった
そのような情況では 合格など おぼつかない
よほど 能力がすごくて 書き方さえひととおりつかめば オーケーという方も
おられるかもしれませんが
私の場合は そんな力など とても及ばないことでしたので
本来は とにかく 文字で表す作業に力を費やすべきだったが たった一問を
一時間に書き終えることさえ ままならなかった
グッタリとしてしまうことが常だった
ようするに 知識量の点でも 文章構成能力 と 書記能力の点でも 力不足だった
ということだが とにかく 体力も無かった 疲れきっていた
というようなことで 受験は まず 体力
健康であること と 今思うと 納得できる
そうすることが ソモソモ無理なような環境での受験は よほど 徹底的な改革が
必要か と思われる(余計なお世話を覚悟で言っています)
一次試験から まったくの自力学習だった私などは 力もないのに お金もないのに 時間もないのに
若いということは ある意味 オソロシイ
とにかく ハチャメチャだった 周囲の人に 特に 妻には 感謝しかない
挑戦してみたいという想いを 許してもらっていたのだから 幸せ者以外の なにものでもない
今受験するとすると 私の場合は
憲法・民法・刑法・会社法・民事訴訟法・刑事訴訟法・行政法・労働法 となる
(当時は 民事訴訟法と刑事訴訟法は いずれか選択でしたし
社会政策と労働法を選択していたのでした)
もっとも 今にしたって 業務上必要となることが多いので 司法試験受験範囲の学習が
続いているようなものではあります
さて
ということで 受験学習に疲れすぎていて 話にならない 自己採点しても そのようなレベルにある方
自身では気付かないこと多し です
全項目点検という気持ちで 日々の流れ というか 受験学習体制
を 見つめてみるのも 大事かな と 思います
またまた 余計なお世話を覚悟で 記してしまいました
参考になるかどうかはさておいて
私の場合の その当時の 疲れの一番の徴候は
『脳の中心部だろうかな と目される(感じられる)部分が いつも
ボンヤリ ボヤーッ と 気だるい疲れを訴えているような
ようするに 芯がスッキリとすることが まず ない ような』
そういう感覚があったことでした
当然の結果 ? かもしれませんが とにかく 労働時間以外(場合によっては その時間さえ)
時間がとれると 読み通し 考え通し
なので そのようなナントモ表現しようもないような 脳内微熱とダルさが連続するような・・・
詳細な答えなど とても出せようがないほど 首が凝り固まるような ク-ン と 脳がうったえている
ような・・・要するに 首筋から鼻腔の奥を通して脳の中心あたりを貫いて ダルサの微熱が硬い芯を
成している
ような
そんなときは 寝床で聴く 志ん生・円生・可楽・三木助さん(志ん生師匠時代の面々)あたりの古典落語
に なんとか寝つけるまで 助けられました(眠れないことには労働に差し障り 生活の糧を得ることさえ
ままならぬようなことになりますので)
たまに行けた 日帰り温泉(私と子と母を乗せ 室蘭・白老間を妻が往復してくれました)にも助けて
もらったりしました
イロイロ 言ってしまいました
とにかく 健康第一
そうはいきませんよ そうしてはいられないから 辛いのです と 言われそうですが
でも 言わせてください
まずは 健康第一 だと思います
無理しすぎる情況が続くと 勉強・受験も できないこととなってしまうかもしれません
工夫の途があるやもしれません 一度は 日々の体制を点検してみるのもいいのでは
健康第一で 学習が進むことを お祈りしています
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