能率技師のメモ帳 経済産業大臣登録中小企業診断士・特定社会保険労務士の備忘録

マネジメント理論、経営理論を世のため人のために役立てるために

海辺のイタリアレストラン「マリーナMARIOエスプレッソ」でランチ!ヨットハーバーで過ごす夏休みの1日

2020年08月11日 | グルメ

それにしても、暑いですねえ!

コロナは収まらず、台風は来るわ・・・今年の夏休みは、いつもの夏と違います。

書斎にこもって読書三昧・・・少し飽きてきました。

車を転がして、広島観音マリーナへ。

やっぱり海は、いいなあ。

コロナで、潮気がなくなっていたので、ちょっと元気が出てきました。

イタリアレストラン「マリーナMARIOエスプレッソ」でランチをいただいてきました。

オープンエアの海に面した白いカウンター。

「3密」はなく、エアコンがなくても潮風が清々しいテラス席・・・気持ちいい!

まずは、ノンアルビールでノドを潤します・・・TUBEの音楽が聞こえてきそうです。

まずは、シーサーサラダとアボガドサラダ。

そして、今日は、少し邪道ですが、カルボナーラです。

おなかいっぱい!

ごちそうさまでした!


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九里亜蓮!ナイスピッチング!7回119球、失点0で2勝目!カープ、6-1で中日に勝利 ナイスゲーム!

2020年08月11日 | カープ大好き!

九里、ナイスピッチングでした!

7回119球、失点0で2勝目!

今季、一番の投球内容でした。

ストレートもスライダーもコーナーに決まり、強力中日打線を零封。

ケンカ投法も、かわす投法に進化したように思います。

先発ローテーションの軸として、期待してますよ!

 

打っては、1点ずつ着実に加点。

危なげない闘いでした。

 

1回裏 松山、タイムリー

「打ったのはストレート。積極的に打ちにいきました。良い先制点になりました。」

 (2回裏 C1−D0)

 

3回裏 長野タイムリー2ベース

「打ったのはストレート。追加点に繋がって良かったです。」

(4回裏 C2−D0)

夏男・チョーノさん・・・絶好調です。

去年とは真逆の大活躍・・・カープの若手を牽引しています。

カープ、6-1で勝利です。

ちょっと心配なのが、堂林。

エラー連発・・・ピッチャーが可哀そうです。

打撃も湿りがち・・・今が踏ん張りどころです。

レッツゴー!ドーバヤシ

今日は、ノムスケが先発。

安定感抜群の昨今・・・勝ち星を期待しています。

がんばれ!カープ


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長崎原爆の日 ヒロシマとともに後世に伝えていかなければならない特別な一日・・・浦上天主堂を想う

2020年08月11日 | 社会・経済

1945年8月9日午前11時2分、広島市に続き一発の原子爆弾が米軍により投下され、7万人以上の人たちが亡くなりました。

生き残ったヒバクシャの人たちは、戦後も放射能の影響を受け、今もその災禍に苦しめられている人たちがいます。

きのこ雲の下、多く命が失われ、こどもも一般市民も無差別に殺されました・・・本当に無念だったと思います。

 

米軍の当初の投下目標は福岡県小倉市・・・当日曇天のため、急遽ターゲットを変更し長崎市に変更。

長崎市壊滅・・・広島の悲劇から、わずか3日間・・・許されない暴挙であり、国際法違反の反人道的な行為です。

あの日から、75年も経っているのに、未だに世界には1万3000発以上の核弾頭が存在しています。

新型コロナウイルスも直面する世界的課題ですが、一瞬にして人類を滅ぼす核の問題は決して忘れることは出来ません。

 

長崎の平和公園は、過去に二度訪れたことがあります。

碧い空が広がる九州の空気が、とても気持ち良かったのを覚えています。

平和祈念像の前で、手を合わせました。

平和祈念像は、高さ約10メートルの青銅製の像。

制作者の長崎出身の彫刻家北村西望さん。

天を指した右手は「原爆の脅威」を、水平に伸ばした左手は「平和」を表したものだということを聞きました。

その時、訪れた資料館で見たのが、被爆し破壊された浦上天主堂の写真。

1925年に30年かけて建造され、当時、東洋一の教会と言われていたそうです。

歴史的にも、敬虔なクリスチャンが多い長崎の町・・・そのシンボル、希望である天主堂。

原爆により破壊された、その無残な教会・・・すごい衝撃を受けました。

キリスト教徒が教会を破壊する・・・神につかえるキリスト教徒であれば許さない、さらに、いたたまれない気持ちになると思います。

なぜ、広島の原爆ドームのように保存できなかったのでしょうか?

キリスト教圏の米軍の指示により意図的に壊されたのかもしれません。

とっても残念だという気持ちが沸き起こったことを今でも覚えています。

 

広島の原爆ドームも、被爆者の人たちから「最悪の原爆の惨事を思い出すから、見るのも嫌だ」という声があがったと聞きます。

取り壊しの意見も多数あったと聞きます。

それでも、ヒロシマは原爆ドームをそのまま保存するという道を選びました。

長崎の町でも、同じような取り壊し、移設、再建築といった話になったのだと思います。

 

歴史に「もしも(if)」はありませんが、もし、浦上天主堂の破壊跡が保存されていれば、国際平和に向けて大きなインパクトがあったように思います。

すくなくとも、世界中のキリスト教徒に対して、強力な無言のアピールが届け続けることが出来たはずです。

 

昔、広島に荒木武さん(1916年~1994年)という市長がいました。

第27代~30代の広島市長をつとめた被爆者。

当時は、米ソの冷戦中・・・荒木さんは米ソの核実験があるたびに抗議の電報を打ち続けました。

核兵器廃絶は分かるけれども、その無力な抗議スタイルに広島市民もシラケムードだったことをこども心に覚えています。

荒木市長がやったことは、抗議の電報を打つことと、広島の街に木を植えること・・・。

そんな荒木さんは、「植木市長」とも揶揄されていました。

あれから約半世紀、広島の街は水と緑にあふれる国際平和都市になりました。

後世に残る仕事をされたことを、今では多くの広島市民は喜んでいます。

現在、広島市では被爆建物である旧陸軍被服支廠の建物(4棟)を保存するかどうか、国、県、市を交えて議論されています。

後世に伝えるべきだという解体反対派と崩壊の危険がある、管理責任をどうするかと主張する保存反対派もいます。

一つ言えることは、一度壊せば、もう二度と元には戻せないということ。

悲惨な歴史を忘れないためにも、後世に伝えるためにも残していただきたい被爆建物です。


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