台湾ニューシネマ

2018年07月09日 13時45分46秒 | 社会・文化・政治・経済
見直したい<優しさの力>

現実をありのままに描くリアリズム
に結びついて、中国映画とも日本映画とも違う、優しさと内省と恥ずかしがりの気風に溢れた台湾気質を鮮やかに描く作風を生み出した。
台湾ニューシネマは、80年代から90年代にかけ台湾の若手映画監督を中心に展開された、従来の商業ベースでの映画作りとは一線を画した場所から、台湾社会をより深く掘り下げたテーマの映画作品を生み出そうとした一連の運動である。

台湾映画界にそれまでとは全く異なる新潮流をもたらしたという意味で、フランス映画のヌーヴェルヴァーグに相当する運動といえる。
台湾ニューシネマに属する作品群とそれまでの台湾映画とで最も異なる点は、その写実性にある。
従来の台湾映画が政治宣伝的色彩の強い国策映画や、現実社会とは遊離したいわゆるヒーローもの中心だったのに比べ、台湾ニューシネマの作品には、台湾人の日常生活や台湾社会が抱える問題などに直接向き合い、それを丹念に追うことを通じて、ときには台湾社会の暗部にまで光をあてるといったような内容の作品が多い。

また、黄春明など、いわゆる郷土作家の文芸作品を積極的に題材に取り上げていること、それまで公共の場での使用が禁じられてきた台湾語などの方言を台詞に使用するなど、画期的な手法を取り入れていることなども大きな特徴である。

その他、ストーリー展開がはっきりしないこと、スローテンポで、抑揚を抑えた展開のものが多いことなども特徴として挙げることができる。

台湾社会におけるニューシネマの意義[編集]台湾社会の日常やディテールを丹念に描き出すことを通じて、また『悲情城市』のように、それまで封印されてきた歴史の暗部に光をあて、人々の間に活発な議論を巻き起こすことを通じて台湾の人々があらためて台湾社会及び台湾人としての各自のアイデンティティに向き合うきっかけを作ったという点で、さらには台湾映画界を担っていく新たな世代の監督を多数輩出させたという点で、台湾ニューシネマが台湾社会に与えた影響は意義深いものであったと言える。
また、2002年から始まった、台湾におけるフリーペーパーブームの際、ニューシネマを振り返る多くのエッセーや論評が発表された。日本からは、侯孝賢(ホウ・シャオシェン)監督作品『珈琲時光』の主演を務めた歌手の一青窈、アジア文芸、意匠分野で活動している作家の京谷康子や山下祐樹らが企画参加している。ニューシネマ回顧によって台湾文化に対する日本人の立場や認識、特に若者からの認識を再考させたという意義は大きい。

個人と個人との間の理解を築く

2018年07月09日 12時43分37秒 | 社会・文化・政治・経済
この世界で平和を実現するには、まず、個人と個人との間の理解を築かなければなりません。
それが萌芽となって、集団と集団とのより良い相互理解も生まれるのです。
アメリカの社会運動家・エレノア・ルーズベルト

平和の礎は、人間と人間の信頼。

誰の生命も尊く、平等であり、皆が幸せになる権利がある。
全人類の幸福と平和。
この精神に立ち返るなら、おのずと人類の共存共栄や、人類益の追求という思想が生まれるはず

「阪神0-1DeNA」 1点が遠い

2018年07月09日 11時39分53秒 | 社会・文化・政治・経済
阪神3戦連続中止明けの甲子園で痛恨完封負け 

前半戦終了…首位広島と7差2018年7月8日

「阪神0-1DeNA」(8日、甲子園球場)

 阪神が、3試合連続の雨天中止明け4日ぶりの試合で、痛恨の完封負けを喫した。
毎回のように得点圏に走者を進めながら、決定機であと1本がでなかった。

 3試合連続で中止となるのは、1995年7月4日・横浜3連戦(現DeNA)以来。
実に23年ぶりの記録的珍事を経て、4日ぶりとなった甲子園での一戦。阪神は三回、1死から1番・桑原に右中間を破る二塁打で出塁を許すと、続く神里を空振り三振に仕留めたが、3番・宮崎との対戦だった。

三遊間への打球を遊撃・北條がはじき、ボールが左翼前に転々とする間に、二走・桑原の生還を許した。
痛恨のタイムリーエラーが決勝点となった。

 先発の岩貞は5回3安打1失点。自責0ながら4敗目を喫する形となった。

 「四回、五回と自分のリズムで投げることができましたが、序盤にもう少し丁寧な投球をするべきでした。先に点を与えてしまったことが悔やまれます」

雨天中止前には、2戦連続で2桁安打を記録するなど、上がり調子だった打線もこの日は攻め手を欠いた。両軍ともに実戦から遠ざかった攻撃陣が苦しみ、登板間隔のあいた投手陣が優位に立つ展開となった。

 9日からの広島3連戦(マツダ)は「西日本豪雨」災害の影響で、既に3連戦とも中止が発表された。
これにより、この日が前半戦最後の試合となったが、痛恨の1敗で、35勝38敗。
首位・広島と7ゲーム差から後半戦の反撃に向かう。

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阪神は男村田を獲得したら?!

麻原彰晃バラエティー番組にも出演

2018年07月09日 11時36分48秒 | 社会・文化・政治・経済
死刑が執行されたオウム真理教の元代表、麻原彰晃(本名・松本智津夫)死刑囚。
1990年代初頭には、テレビのバラエティー番組にも積極的に出演し、ビートたけしや、とんねるずとの共演も果たしていた。新興宗教とメディアの危うい「共犯関係」の実相とは。【BuzzFeed Japan / 神庭亮介】

「私に代わってオウムの教祖を」

「私に代わって、オウム真理教の教祖をやってもらってもいいんじゃないですかね」

「明日からピンクの服着て歩いて、怒られたりして」

麻原の言葉に、冗談で返すたけし。1991年12月30日に放送された『TVタックル』(テレビ朝日系)で、2人が対談した際の一場面だ。

麻原は当時の新興宗教ブームについて、序盤で以下のように語っている。

「来るべきものが来ているんじゃないでしょうか。人間の物質的豊かさがピークに達して、ここでは満足できないと人々が思い出している。そうなると次はどうなるか。内側の世界の探究に入っていく、ということだと思うんですね」


たけし「死は背中合わせ」
テーマは心の豊かさや幸福論、死生観に及び、たけしはこんな風に問題提起する。

「精神的なものになると、どういうものが価値がある考え方で、価値がないのか。何が心の問題で、どう考えることが一番幸せなのかとか、いろいろ考えるんですけどね」

「幸せ、幸福とか言うんだけども、僕としては生きることと同じように死ぬことがいつも背中合わせにあるもんで」

「常に死ぬことが50%の確率であるもんだとしたら、右手と左手を同時に鍛えるように、死ぬことと生きることを同じ分量で考えないと非常にバランスが悪いんじゃないか」


1997年、ベネチア国際映画祭で「HANA-BI」が金獅子賞を受賞した際の様子
「たけしさんは前世で神の経験」
これを受けて麻原は言う。

「オウム真理教の修行の大前提に『死』というものが来ます。ビートたけしさんのこれまでの活躍を見て感じることは、大変思索力の優れた方だなと。絶えずものを考えていらっしゃる」

「私がビックリしたのは、ビートたけしさんがいきなり『死』の話をお出しになったので。さすがだなと思うと同時に、本当の意味での仏教観が根付いていらっしゃるなとちょっとビックリしましたね」

麻原はその後もたけしの主張を受け入れ、肯定し、持ち上げる。

「ビートたけしさんのおっしゃることは、北伝の仏教の最高峰と言われるチベット仏教のなかのマハームドラーという最高の悟りがあるわけですけど。その最高の悟りに到達する道の真髄なんですね」

「仏教のステージでも『普賢』と呼ばれる段階があるわけですけど。そういう段階を前世において経験していらっしゃる証拠だと思うんですね。普通の人はそういうことを考えません」

「人間からすると『神』と呼ばれる存在があるわけなんですけど。そういう世界を(前世で)少なくとも何回か経験していらっしゃる。つまり神の経験をされていることは間違いないでしょうね」

そして、冒頭の掛け合いへとつながるわけだ。

次ページは:「面白いよなあ、麻原さんて」
7/7(土) 18:44配信

「面白いよなあ、麻原さんて」
終盤、話題はたけし個人の人生観へと移っていく。

「たけしさんの小さい時からの経験を聞いてますと、ある時ポッと仕事を放られるんじゃないかという気がしますけどね」

麻原の投げかけに、たけしはこう返す。

「僕はね、勘としては5年後に自殺するか辞めちゃうかどっちかだと思うんですよ。これで仕事をほっぽり投げるか、自分で死んじゃうか。意外に後で5年ぐらいしたらわかりますから」

「ただまあ、ビートたけしさんは5年じゃ死なないと思いますよ」

たけしが1994年に起こしたバイク事故のことを考えると、ドキッとさせられるようなやり取りだ。

「場所を改めて、違う機会に麻原さんと対談を申し込んで、20時間ぐらいじっくりとですね。2人だけで朝までトークってやらせてくれねえかな」

そんなたけしの言葉通り、2人は後日、雑誌『Bart』(1992年6月22日号)でも対談。

この記事で、たけしは「宗教からいちばん遠い人のような気もする。非常に科学的でもあるし。いちばん反宗教的なところから来た人のような」「面白いよなあ、麻原さんて……」と麻原を評している。


『生ダラ』にも出演
もうひとつ、現在の感覚からすると信じられないような映像を紹介しよう。麻原が『とんねるずの生でダラダラいかせて!!』(日本テレビ系)に出演した際のものだ。

「本日はスペシャルゲストをお迎えしております。オウム真理教の麻原彰晃さんです」

石橋貴明が軽快な司会で麻原を紹介すると、スタジオから歓声があがる。「麻原彰晃の青春人生相談」と銘打って、若者の悩みに答える企画だ。

「麻原さんの好きな女優の人は誰ですか?」

観覧者からの質問に、石橋は「おい!」、木梨憲武は「ちょっとお前…」とツッコミを入れるが、麻原は「いまはいません」と淡々と答える。


秋吉久美子
「秋吉久美子が好き」
石橋「ということは、前はいたわけですか?」

麻原「ええ。いました」

石橋「教祖様の麻原さんが、好きな女優がいた! 誰ですか、それはちなみに」

麻原「私、秋吉久美子が好きだったんです」

拍手と歓声に沸くスタジオ。全編こんな調子で、「変なおじさん」をいじって物笑いの種にするような流れが続く。
参加女性「髪の毛を洗う時はリンスしますか?」

麻原「髪の毛にリンスはしません。シャンプーはベビーシャンプーを使ってます」

石橋「ベビーシャンプーを! もう、麻原さんたらお茶目なんだから」

参加男性「18歳になる宮沢りえさんがヌードになったんですけど、それについてはどう考えますか」

麻原「あのー、そうだねえ。脱ぎたい人は脱げばいいんじゃないかと思いますよ」

「青春は幻影」
ちなみに、最後の質問はこんな感じ。それまでと打って変わって、少々マジメなトーンに転じる。

参加男性「青春とはなんですか」

麻原「私にとって青春とは幻影ですね、幻影」

石橋「幻影?」

麻原「たとえば恋をする。恋というのは相手に対して幻影を抱くプロセスですよね。ただ、青春を経験しない限り、その後の悟り、解脱はないわけですから」

「みなさん大いに青春を経験なさって、で苦しまれて。苦しみというものを自分の内側に根付かせた状態で、次のステップに入られたらいいんじゃないでしょうかね」


木梨憲武
「神々の世界に美しい人がいる」
当時36歳だという麻原に、石橋が「いまでも青春ですか?」と問う。

麻原「いや、修行者というのは青春を死滅する、完全に止めてしまうことが課題ですから。本質的な部分に到達した歓喜というのは、青春の喜びの1万倍とも10万倍とも言える喜びがありますので。ですから、外側の世界についてはまったく興味がないですね」

石橋「あ~そうですか。秋吉久美子さんをあきらめた時に、青春が終わったわけですね」

麻原「いや、それはちょっと違うんです」

スタジオが笑いに包まれる。

木梨「違うんだぞ、おい!」

麻原「つまり、秋吉久美子さんをあきらめても、瞑想すると神々の世界に入りまして、もっと美しい人がいるんですね」

石橋「あ~そうですか。すいません!」

麻原「それを通過した段階で、全部が終わるんです」

危うい共犯関係
『TVタックル』も『生ダラ』もYouTubeには当時の録画がアップされており、前者は69万回、後者は200万回以上も再生されている。

ふたつの映像を見返してわかるのは、当時のオウムがいかに広く浸透し、お茶の間に認知されていたか、ということだ。

知名度アップにマスコミの力を利用したい教団と、視聴率競争のために「時代の寵児」「笑える変人」を引っ張り出したいテレビ局。両者の思惑が合致した、危うい「共犯関係」の結果と言えそうだ。

当時のバラエティー番組はいまと比べれば何でもアリだったし、新興宗教ブームという時代性もあった。その後にオウムが引き起こした事件の数々は、多くの人々にとって予想外だっただろう。

「なぜ見抜けなかったのか」と後知恵で番組やタレントたちを批判して、溜飲を下げても仕方がない。メディアは宗教とどう付き合うべきか。考え続けるためのひとつの教訓としたい。




「作品は読者のもの」

2018年07月09日 10時45分25秒 | 社会・文化・政治・経済
「作品は読者のもの」とは、私の自戒でしたが、(1年間の新聞連載小説)ほどそれを重く受け止めたことはありません。
読者が好きに読み、噛み砕き、個々の中に思い思いに内包されてこそ、小説は生きるものなのだと、いまさらながら実感しました。
私は子供の頃から本が好きで、しかも小説のみ、つまりフィクション限定で読みふけっていました。
物語の中にスコンと入り込み、数時間のあいだは現実を忘れ、まったく違う世界に遊ぶことができる。
それこそが読書の醍醐味でした。
小説家・西條奈加さん

「活字文化」の復興が、人間の復興

2018年07月09日 10時16分26秒 | 社会・文化・政治・経済
出版社に携わってきた身で改めて思うのであるが、「活字文化」の復興が、人間の復興であると。
多くの人の心を揺さぶるのは<真実の物語>。
まれに見る読書家と注目された人たちに共通するのは、心の豊かさである。
「本を開くことは未来を開くこと」
一人一人が、より良き人間に成長するためには、読書で学ぶことだ。
努力を重ねた先に、個人のエゴをを乗り越え、自身の生きる環境や社会に責任を持つ生き方があるはず。

「人間とは何か」

2018年07月09日 09時49分26秒 | 社会・文化・政治・経済
「人間とは何か」を表現するとしたら、人間とは物語をつくり、物語を伝える生き物である、といえるでしょう。
私たちは、それぞれが紡ぎ出す物語そのものなのです。
私たちは、それぞれの物語を宝のように大切にする存在でありたい。
ドストエフスキーの小説「カラマーゾフの兄弟」の中で、登場人物の一人が言います。
「人類を全体として愛すれば愛するほど。つまり独立した人格としての個々別々の人間を愛することが少なくなる」
私は、雑音に惑わされず、人の話に「耳を傾けること」「記憶にとどめること」を強調したいと思います。
暴力や憎しみの中であっても、物語は存在します。
人間の精神、心は、いかなる否定の力よりも強いのです。
決して破壊されることはありません。
物語を滅ぼすことはできないんです。
<人の善良さは見えなくなることはあっても、消えることはない>ことを思いおこさねばなりません。
忍耐強く、思いやり深く対話することが必要なのです。
物語を大切にすることは私たちの人生の使命であり、私たちが日々の職場や活動で、またいかなる世代いおいてもんさねばんらぬ努力です。
なぜならそれは、生命ある全てのものが共有している心だからです。
アメリカ・エマソン協会元会長のサーラ・ワイダーさん(コルゲート大学教授)