昨日、午後7時からの八重洲地区の会合。
月刊誌を読んできて感想を述べることが、前回の打ち合わせで決まっていたのに、肝心なそのことが記憶に全くなかった。
何を聞いていたのか?
手帳を確認したが、そのことが記されていない。
我ながらどうしたのか、と怪しむ。
これでは、人のことは責められない。
実は午後2時から敢闘会の打ち合わせであったのに、寺川さんから連絡がなかった。
これで3度目だ。
会長の春川さんは「寺川さんから連絡なかったのですか」と呆れていた。
メモにして置くべきだ。
記憶などあてにならない。
1か月間違えて、大阪まで行ってしまった過去の苦い経験もあった。
「大阪までの往復の交通費は経費で落としてやろう」と歯科医師の阿部さんは、笑っていた。
これまで、色々な失敗を繰り返してきた。
座談会の取材を忘れ、友人と酒を飲みに行ってしまったこともある。
友人に神田で偶然出ったのだ。
出会わなければ、九段下の社に戻っていた。
携帯電話もない、30代のころのことだった。
座談会会場は東京駅に近いホテル。
自宅にも連絡が来ていた。
「久しぶりに、4人が集まって楽しかったよ。今度は来週だからね。頼むよ」
熱海から来られた方にも迷惑をかけてしまった。
完全に関係が終わったと青ざめたが、尊敬する歯科医師グループの会長の真田さんは実に懐の広い人である。
日中友好協会の日本の代表でもあった。
「一緒に北京に行こうよ」と誘われていた。