東北大学の災害科学国際研究所

2018年07月11日 15時44分02秒 | 社会・文化・政治・経済
試練の渦中にいる方々にとって、いかなる災害に遭おうと、人生で築いてきた心の財(たから)は絶対に消えないとう確信。
私たちも「人間」への深いまなざしを持ちながら、皆さまと共により良い社会を築いていきたいと思います。


知識だけでは防災・減災は成り立ちません。
判断力、気力、体力、コミュニケーション力が不可欠です。


設立理念
東日本大震災という未曾有の災害を経験した東北大学は、新たな研究組織「災害科学国際研究所」を設立し、東北大学の英知を結集して被災地の復興・再生に貢献するとともに、国内外の大学・研究機関と協力しながら、自然災害科学に関する世界最先端の研究を推進する。

東日本大震災の経験と教訓を踏まえた上で、わが国の自然災害対策・災害対応策や国民・社会の自然災害への処し方そのものを刷新し、巨大災害への新たな備えへのパラダイムを作り上げる。このことを通じて、国内外の巨大災害の被害軽減に向けて社会の具体的な問題解決を指向する実践的防災学の礎を築くことを目標とする。

ミッション −「実践的防災学」の創成−
災害科学国際研究所が推進する自然災害科学研究とは、事前対策、災害の発生、被害の波及、緊急対応、復旧・復興、将来への備えを一連の災害サイクルととらえ、それぞれのプロセスにおける事象を解明し、その教訓を一般化・統合化することである。

東日本大震災における調査研究、復興事業への取り組みから得られる知見や、世界をフィールドとした自然災害科学研究の成果を社会に組み込み、複雑化する災害サイクルに対して人間・社会が賢く対応し、苦難を乗り越え、教訓を活かしていく社会システムを構築するための学問を「実践的防災学」として体系化し、その学術的価値を創成することを災害科学国際研究所のミッションとする。

ビジョン(中長期的な活動目標)
東日本大震災の被災自治体等との連携を強化し、被災地の復興への具体的貢献を果たしながら、複雑化・多様化する自然災害のリスクに対応できる社会の創成を目指し、新たな防災・減災技術の開発とその社会実装に取り組む。災害という脅威を防ぎ止めるだけでなく、人間・社会が賢く備えて対応する、さらに災害による被害や社会の不安定から回復しながら教訓を語り継ぐ災害文化を醸成し、社会システムにそれを織り込んでいく。

地球規模の自然災害発生とその波及機構の解明
東日本大震災の被害実態と教訓に基づく防災・減災技術の再構築
被災地支援学の創成と歴史的視点での災害サイクル・復興の再評価
地域・都市における耐災害性能の向上とその重層化
広域巨大災害対応型医学・医療の確立
新たな防災・減災社会のデザインと災害教訓の語り継ぎ
所在地(事務室) 〒980-0845 仙台市青葉区荒巻字青葉468-1 災害科学国際研究所事務局
Tel 022-752-2011 (代表)
Fax 022-752-2013 (宛先をご明記ください。)
E-Mail koho-office※irides.tohoku.ac.jp
メール送信の際には、※を@に置き換えてください。


災害科学国際研究所の第2期所長の就任にあたって
災害科学国際研究所所長 今村 文彦

2014年4月より、初代所長平川新教授の後任として2代目の所長を仰せつかりました。2011年3月11日14時46分、東北地方太平洋沖地震とそれに伴う津波により、東日本は甚大な被害を受けました。この時、2万人近くの人々 が犠牲となり、家屋・建物、社会インフラ、生態系や景観へも大きな影響を与えました。さらに、福島第一原子力発電所の爆発事故も発生し、人類がいまだ経験の無い広範囲にわたる複合災害が発生してしまいました。このような大災害を二度と繰り返さないことが我々の使命であります。

 本研究所は、2011年東日本大震災の1年後に設置され、東日本大震災の被害実態と教訓に基づく実践的防災学の国際研究拠点形成を目指して活動をしており、この2年間でも巨大地震および津波の発生メカニズムの解明から被害の状況、将来の評価・予測などを展開し、さらに当時の教訓を震災アーカイブなどに記録し、着実な成果を挙げつつあります。

 地域連携にも重点を置き、東北沿岸部では、自治体と包括的な協定を締結させていただき、地域に貢献できる活動を始めており、2013年10月には気仙沼市サテライトオフィス(分室)を設置することが出来ました。さらに、災害と共存し「生きる力」を育む市民運動化プロジェクトの推進、「防災手帳」や「防災訓練」の普及、誰にでも認識可能な「防災・減災コミュニケーションデザイン」の開発を行っています。

 さらに、国際的な活動としては、米国ハーバード大学、ハワイ大学、英国ロンドン大学、ドイツ航空宇宙センターと連携し強固な災害研究の推進を行っております。加えて、APRU(環太平洋大学協会)において、マルチハザードプログラムを立ち上げ、災害研究の推進、国際社会・政策への貢献、キャンパス安全の点検、サマースクールの実施などの活動を開始しております。
 今後、我々の災害科学の研究が、日本の復興はもちろん世界の災害軽減に貢献していくために、地球規模で災害のメカニズムを解明し、将来に備える「グローバルな視点」とその国や地域の独自性、多様性、価値観などをつぶさに研究する「インターナショナルな視点」の融合が不可欠と考えております。

 当研究所には、高い志と強い危機意識をもった文系から理系まで7部門36分野の研究者が集結し、災害科学の深化および実践的防災学の構築視点から学究的な研究を日々推進しています。本年9月には、新しい研究所施設が竣工する予定であり、実践的防災学の国際拠点としての機能がさらに充実します。2015年に仙台にて開催される「第三回国連防災世界会議」における提言も積極的に進め
ていく所存です。

 研究活動と地域への貢献活動を益々活発化させて頂くと思います。本研究所の調査・研究に対して、みなさまのさらなるご支援とご協力をお願い申し上げます。

平成26年4月1日

絵手紙工房 主宰 吉水咲子さん

2018年07月11日 12時52分18秒 | 社会・文化・政治・経済

1)線を描く
2)彩色する
3)文字を書く
絵は最も印象的な部分から描く。
絵や文字の失敗も、その絵手紙の<味>に。
頑張った描き手の思いは相手に伝わります。
なかなか会えない人とも心がつながる-それが絵手紙の魅力。

初心者の方はもちろん、お友達同士、ご夫婦、親子、
学生の方など、皆さん和気あいあいとした、
楽しい時間を過ごされてます。

1日体験もやっていますので、ぜひ一度のぞいてみてください。
素敵な出会いは
身近な所から始まります。

日常使っている茶碗やカップ、四季を通じて季節の花や野菜、
果物などを描く事により、今までは気付かなかった新たな感動に出逢うでしょう。

そして自分の描いた絵に自分の言葉が加わると、
受け取った方にも何倍も感動が伝わります。
何かを始めようとするとき、迷いはつきものですが
絵手紙を通じて自分を素敵に変身させましょう。

世間のものさしより自分のものさしです。

今回の杉並人は「絵手紙工房」主宰・吉水咲子さんです。
杉並・武蔵野エリアと、ご実家のある栃木で現在9つの絵手紙教室を開いている吉水さんに、気軽に始められる絵手紙の楽しさと、教室で出会った人々とのつながりについてお聞きしました。

絵手紙を始めたきっかけは
何ですか?

今から十年前、栃木で一人暮らしをしていた病気の母のもとに、地元の高校生から一枚のハガキが届いたんです。「一人暮らしの高齢者にお手紙を」という授業の一環だったらしいのですが、母はハガキをとても喜んで、仏壇にあげたことを私に連絡してきました。
その返事は私が書くこととなり、絵を描いて返事を出したいなと思ったのが絵手紙のきっかけです。
それまでは母に東京から電話ばかりかけていたのですが、絵手紙で送るようになりました。

それから吉水さんと栃木の高校生
との交流が始まったとか。

どんな高校生がハガキを送ってくれたのか会いに行ったんです。
その高校で絵手紙を教えることになるとは想像もしていませんでした。
高校生がお年寄りへ絵手紙を送り、お年寄りが高校生に会いに来たりと、新たな交流が生まれ、私の描いた母への絵手紙と、中学生、高校生の絵手紙を併せて栃木で作品展も行いました。

杉並をはじめ、各所で教室を
開いていらっしゃいますね。

生徒さんは、下は六歳から上が八六歳までの老若男女、ご夫婦や子供連れ、いろんな方がいらっしゃいます。
同じテーマでも描き方や言葉、感じ方が違って面白いですよ。
例えば、題材のピーマンを頭から描く人、おしりから描く人、真ん中からの人、さまざまです。
言葉もこちらが思いもよらない驚くものがたくさん出てきます。それをみんなで笑いあったり、漢字がわからないと教えあったり。私は楽しく描くための方向付けだけをしてあげるんです。

絵手紙の良さって何でしょう?

生徒さんには絵手紙を描いたら誰かに出すようにと伝えています。出すことによって、ヘタでも自然に心のこもった作品となり、私の母が喜んだように誰かを喜ばすことができます。相手と必ず良い関係ができてくるのです。そして絵手紙は自分しか描けないドキュメントでもあります。妊婦さんが八ヶ月の時に描いた絵手紙、赤ちゃんが生まれてから描いた哺乳瓶と「早く大きくなってね」という言葉。これはお母さんにしか描けないものです。
今ではその子はお兄ちゃんになって、下の子と一緒に教室に来ています。
絵手紙は描き手の歴史も残せるのです。

絵手紙で生活が変わりましたか?

母に届いた一枚のハガキがなかったら、私は誰かが背中を押してくれるのを待ち続けていたかもしれません。いつか、何か人のためになることをやりたいと考えてはいたのですが、踏み出せないでいました。今は生徒さん達と共有する時間を一緒に笑いあって、また教室に来たいって思ってもらうことが喜びです。教室では、絵手紙の描き方だけでなく、家族の話、仕事の話、いろんなことが話題になります。そのなかで、今度は私が誰かの背中をそっと押してあげられるようになりたいですね。

最後に杉並の
良いところをお聞かせください。

二十歳の時に初めて阿佐ヶ谷に来て、けやき並木の美しさに感動してからずっと住んでいます。こだわりのある古さと、新しい何かを求めている空気が漂うこの街で、刺激を受けながら暮らし続けたいと思っています。
団塊世代の人物に迫る「D’sスタイル」、
今回は絵手紙指導者の吉水咲子さん。
49歳の時、母の代筆で絵手紙を書くようになり、
素朴な絵に一言添えて自分の想いを伝えることができる絵手紙に魅了される。

「絵手紙には身近な人を励ます力がある」と教室を開設、
ニューヨーク・マンハッタンにて個展も開いた。

「絵手紙は人の心を動かし、人とのつながりを生む大切なもの」と考える
吉水さんの活動を紹介しながら、絵手紙によって変わった、人生の転機を伺う。

メディア掲載情報
2013年11月 NHK「NHK団塊スタイル」に出演しました。
2016年6月
TBSテレビ「サタデープラス」で
絵手紙夢工房の授業風景が放映されました。
タレントの篠原信一さんがお見えになり、
初めての絵手紙を描き上げました。




後世の住民に残した教訓

2018年07月11日 12時01分42秒 | 社会・文化・政治・経済
○ 向日葵(ひまわり)の枝に咲くのか明けの月

高き住居は児孫の和楽 想え惨禍の大津波 此処より下に家を建てるな-の石碑

過去の津波で被害になった人々が後世の住民に残した教訓。

自然災害との戦いは、人間の宿命。
しかし、不条理にあらがい、そのために立ち上がってきたのが人類の歴史。
自然の猛威を上回る生命力、奮闘が救いである。
いかなる試練にも屈しない連帯の強気心を。

児孫とは? 子供と孫
和楽とは? 仲が良く、楽しいことです。

 衰退する取手

2018年07月11日 09時30分34秒 | 日記・断片
今朝の散歩で、先日、西田さんがつくった俳句が、こんな内容であったかと思いだした。

○ 雲早し 浮き沈みする 夏至の月

月は午前4時50分ころの月である。
その時刻の月に星が最接近する後継は、幻想的だ。

今朝は富田さんが住む東5丁目の境のマンション前で新川さんに会う。
右側の先のマンションに住んでいた佐々木さんの話となる。
佐々木さんは勤務地が遠くなり、東京へ移住した。
かれが八重洲地区のホームページを作ってくれたが、彼が移転してそのホームページは閉鎖する。
毎月、2回か3回ほど当方などが投稿していたのだが・・・
6丁目で、武田さんに会う。
犬が飛んで来てまとわりつく。
「何歳ですか?」
「3歳、まだ、4歳にはなってないと思うけど」
「仕事は?」
「明日は仕事に行きます。嫌われない間は、埼玉まで行きます」と言う。
隣に住む元学校の先生も居て、子犬を撫でていた。
見た眼にも足が衰えてきた。
「元気でいいね」と我々を見て言う。
その後、庭でタバコを吸う上村力さんに声をかける。
「暑くなったね。コーヒーでも飲みたいけど、コーヒー屋も無くなった。顔見知りも死んでしまった。年寄りばっかりだ、レストランもない。取手はだめだね。自転車も、魚屋も、八百屋も八重洲団地から無くなった」
「スナックの黒水仙も」
「黒水仙か、名前が悪かったな」
当方は映画黒水仙が好きなの、スナック黒水仙の常連客の一人であった。
自宅から一番近いスナックだった。
次いで「リボン」「エイト」「新宿」「リラックス」などのスナックの話題とな
った。
小森印刷や渡辺製作所、大豊建設などが無くなり、多くのスナックが店を閉めた。
1990年代前のことだ。

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○ 雲早し雲にあらわれ雲に消ゆ大江の山は天の大馬(おおうま)

与謝野鉄幹

与謝野町ゆかりの歌人、与謝野鉄幹さんが昭和五年五月に当地を訪れた際に町の名勝・大江山を詠んだ短歌です。
 加悦谷に風が強く吹きすさぶ一日、流れ飛ぶ雲の合間に大江山が現れては消え、また現れる。その動きはまるで天空を駆け抜ける大きな馬のようだ、とうたっています。
 大江山を見上げる、あるいは動画のように大江山から加悦谷平野を見下ろす、どちらの眺望も、大江山に抱かれたわがまち与謝野町が誇る大パノラマです。