カスリーン台風(昭和22年台風第9号、国際名:カスリーン〔Kathleen〕)は1947年(昭和22年)9月に発生し、関東地方や東北地方に大きな災害をもたらした台風のこと。
カスリン台風や、キャサリン台風などとも呼ばれる。
吾妻川の八ッ場ダムでは川原湯温泉水没に地元が猛反発し1952年(昭和27年)の計画発表から現在に至るまで約60年経っても完成できない状況となっている。
2019年に完成予定。
台風本体の勢力の割には降水量が多い雨台風の典型例とされている。
当時、日本はアメリカ軍を主とする連合国軍の占領下にあり、台風の英名についても1947年(昭和22年)から1953年(昭和28年)5月までアメリカ合衆国と同様に、A、B、C順に女性の名前が付けられていた(日本ではこの他にキティ台風、ジェーン台風などが有名)。
カスリーン台風の英名は「KATHLEEN」であるので、Aから数えると11番目となる。
なお、この11個の中には、アメリカ軍が英名を付けたにもかかわらず日本が台風と解析しなかった熱帯低気圧5個が含まれている。
一方、カスリーン台風の前には、日本が台風と解析したにもかかわらずアメリカ軍が英名を付けなかった台風が3つ存在する。
よって、カスリーン台風を日本の台風番号で表すと、11-5+3で9号となる。
この台風による死者は1,077名、行方不明者は853名、負傷者は1,547名。
その他、住家損壊9,298棟、浸水384,743棟、耕地流失埋没 12,927 ha など、罹災者は40万人を超え、戦後間もない関東地方を中心に甚大な被害をもたらした。
特に、群馬県の赤城山麓や栃木県の足利市などにおいては土石流や河川の氾濫が多発し、これらの被害者を中心に群馬県では592人、栃木県352人の死者を出している。
また、利根川や荒川などの堤防が決壊したため、埼玉県東部から東京都23区東部にかけての広い地域で家屋の浸水が発生した。
この地域で大規模の洪水が発生するのは1910年(明治43年)8月の大洪水(以下、「明治43年の大水害」と記す)以来であった。
なお、東北地方では北上川が氾濫。岩手県一関市などで被害が出ており、岩手県内では109人の死者を出している。
大きな被害が出た要因として、大量の雨がほぼ一日半の短い期間に降ったこと、戦時中や戦後復興の木材消費により山林が荒れ、保水力が低下していた事が挙げられている。
カスリン台風や、キャサリン台風などとも呼ばれる。
吾妻川の八ッ場ダムでは川原湯温泉水没に地元が猛反発し1952年(昭和27年)の計画発表から現在に至るまで約60年経っても完成できない状況となっている。
2019年に完成予定。
台風本体の勢力の割には降水量が多い雨台風の典型例とされている。
当時、日本はアメリカ軍を主とする連合国軍の占領下にあり、台風の英名についても1947年(昭和22年)から1953年(昭和28年)5月までアメリカ合衆国と同様に、A、B、C順に女性の名前が付けられていた(日本ではこの他にキティ台風、ジェーン台風などが有名)。
カスリーン台風の英名は「KATHLEEN」であるので、Aから数えると11番目となる。
なお、この11個の中には、アメリカ軍が英名を付けたにもかかわらず日本が台風と解析しなかった熱帯低気圧5個が含まれている。
一方、カスリーン台風の前には、日本が台風と解析したにもかかわらずアメリカ軍が英名を付けなかった台風が3つ存在する。
よって、カスリーン台風を日本の台風番号で表すと、11-5+3で9号となる。
この台風による死者は1,077名、行方不明者は853名、負傷者は1,547名。
その他、住家損壊9,298棟、浸水384,743棟、耕地流失埋没 12,927 ha など、罹災者は40万人を超え、戦後間もない関東地方を中心に甚大な被害をもたらした。
特に、群馬県の赤城山麓や栃木県の足利市などにおいては土石流や河川の氾濫が多発し、これらの被害者を中心に群馬県では592人、栃木県352人の死者を出している。
また、利根川や荒川などの堤防が決壊したため、埼玉県東部から東京都23区東部にかけての広い地域で家屋の浸水が発生した。
この地域で大規模の洪水が発生するのは1910年(明治43年)8月の大洪水(以下、「明治43年の大水害」と記す)以来であった。
なお、東北地方では北上川が氾濫。岩手県一関市などで被害が出ており、岩手県内では109人の死者を出している。
大きな被害が出た要因として、大量の雨がほぼ一日半の短い期間に降ったこと、戦時中や戦後復興の木材消費により山林が荒れ、保水力が低下していた事が挙げられている。