第二の人生 疾走中 競輪選手 北野良栄

2018年07月28日 10時57分19秒 | 未来予測研究会の掲示板
日本テレビ
坂上忍!第二の人生(7月28日)で紹介した。


第二の人生 疾走中 競輪選手 北野良栄

 歯を食いしばってペダルを踏み込むと、風を切る音とともに時速70キロまで加速する-。金沢市出身の競輪選手、北野良栄(よしはる)(29)は、かつてプロ野球ソフトバンクで捕手としてプレーした。6年前、球団から戦力外通告を受け引退。「自分自身の可能性をもう一度信じ、完全燃焼したい」と千葉県を拠点に自転車で疾走する第二の人生を選んだ。

野球で夢見た“1軍”目指し
-プロ野球から競輪への転身

 子どものころからあこがれだったプロ野球の世界に高校からドラフトで入れて、満足してしまった部分があった。中洲(福岡市)で遊び歩いたり、体調管理などアスリートの自覚が足りなかった。1軍には上がれずに終わった。今、真剣に競輪と向き合っている分、「もったいなかった」と思うこともある。でも、その経験が現在の充実につながっている。後悔はしていない。

 2006年のシーズン終了後、他の選手より一足早く球団事務所に呼ばれて「来年の戦力としては考えていない」と言われた。最後の1年間は出場機会が減って覚悟はできていたので、悔しさよりも「これからどうしよう」と不安が募った。父親がやっていた料理人の道も考えたりした。

 競輪は、ソフトバンクの先輩選手の個人トレーナーから誘われて。何も知らなかったけど、体力を生かして勝負したかったので話に飛び付いた。「もう一旗揚げたい」「とにかく行動」という負けず嫌いな性格とチャレンジ精神で、転がってきたチャンスをつかめたと思う。

-ゼロからのスタート

 挫折とまではいわないけど、野球に比べれば競輪は我慢の連続だった。ブレーキがなく、足をペダルに固定する競技用自転車になかなか慣れずにスタートで転倒したこともあった。思うように走れず、乗るだけでこんなに難しいのかと驚かされた。

 競輪学校を出て、09年のデビュー戦は9人中7着。緊張しすぎて、ひたすらペダルをこいでいた記憶しかない。あっという間に終わり、映像を見返すと「何やってるんだ」と言いたくなるような出来。でも「新しい人生が始まる」と実感できた瞬間でもあった。初勝利の喜びよりも印象に残っている。

 技術や経験で体力面をカバーできる野球と違い、競輪は瞬発力と持久力勝負でごまかしが利かない。トレーニング不足やけがが成績に直接響くので、股関節を痛めて1週間練習を休んだだけでタイムがガクッと落ちた。ストレッチやマッサージを欠かさないようになり、体のケアの大切さを学んだ。

-「元プロ野球選手」という肩書

 特に意識したことはないけれど、負けたくないというプライドにはつながっている。戦力外になったのは自分の責任で、野球を嫌いになったことはない。野球のニュースがあれば見るし、選手の仲間内で草野球をやることもある。三振しちゃった試合もあったね。

 プロ野球時代よりも今、競技に打ち込めているのは、家族のおかげでもある。デビュー前年の選手登録当日に結婚し、「何があっても競輪選手として家族を養う」と決めた。3歳と1歳の息子がもう少し大きくなって「父ちゃんすげえな」と思える選手になりたい。それが一番のモチベーションになっている。

-転向4年目の抱負

 自分は序盤から先頭に立つ「逃げ」が得意。これまでは3分ほどのレースの間、エンジン全開で飛ばすだけだった。ここ1年くらいでようやく、ペース配分や展開を考えながら走れるようになった。自分で言うのは変かもしれないが、体格的には恵まれている。まだまだ上のレベルを目指して成長できる。

 競輪は上からS級、A級の大きく二つのクラス分けがあって、自分は今、A級の中の最上位グループ1班にいる。例えるなら、1軍がS級でA級は2軍。目標は、野球で果たせなかった“1軍昇格”。将来、石川へ戻ることがあれば、S級の一流選手として帰ってきたい。 (敬称略)

 聞き手・志村拓

((C)SoftBankHAWKS)

人生のSpice

【プロ野球選手時代の出会い】 多くの先輩との交流は大きな財産。王(貞治)監督=当時=から入団会見で掛けられた「頑張れよ」という言葉は一生忘れられない。誰もが目標にする、野球の神様のような人だから。

 松中(信彦)さん=外野手=は、戦力外になった時、個人マネジャーとして自分を誘ってくれて。競輪への転向が決まると「やるからには頑張れ」と励ましてくれた。今でもチームが千葉に来ると、親しかった選手とは食事をする。同じスポーツ選手として、彼らの活躍は刺激になる。


 きたの・よしはる 1983年、金沢市生まれ。星稜高校(同市)で強打の捕手として活躍し、2001年のプロ野球ドラフト会議で福岡ダイエーホークス(現ソフトバンク)から5巡目で指名を受けて入団。06年に戦力外通告を受けて引退した。07年に日本競輪学校に95期生として入学し、卒業後の09年1月にデビュー。日本競輪選手会千葉支部所属。11月17日現在、通算87勝。183センチ、85キロ。

 ※次回は21日付Spot&Place。金沢の猫にまつわるスポットを訪ねます。

映画「ある町の高い煙突」

2018年07月28日 10時02分40秒 | 社会・文化・政治・経済
100年前、ここにも命をかけて環境破壊と戦い、愛と誇りを守った人たちがいた
「日立の大煙突と桜」には今日のCSR(企業の社会的責任)の原点がある
昭和の文豪、新田次郎のいまだ映画化されていない傑作を基に茨城県日立鉱山の奇跡の”感動実話”ドキュメント・映画ここに登場!

■原案 新田次郎「ある町の高い煙突」
■脚本 渡辺善則
■脚本・監督 松村克弥(「天心」「サクラ花-桜花最後の特攻-」他)
■プロデューサー 亀和夫・城之内景子(元取手市議)

TOPICS本ホ-ムペ-ジは「ある町の高い煙突」映画化を応援する会のホームページとして運営しております。公式ホ-ムペ-ジはこちら
映画「ある町の高い煙突」のエキストラのオーディションを行います。




茨城県魅力映画支援事業の対象映画です。

効果的なストレスへの対処

2018年07月28日 09時51分41秒 | 医科・歯科・介護
ハーディネス:精神的頑強さ・頑健さ

高いストレスの下でも健康を保つ人が持つ特性。3つの要素から成る。

1) コミットメント

何事に対しても自分自身を没頭させるような傾向。自分の生活に深く関与していると感じる傾向で、自分が誰であり、何をしているかについての信念であり、自分自身や仕事や家族、対人関係、社会組織などの人生の様々な状況に対して自分を充分に関わらせている傾向。

2) 挑戦性

変化が人生における常態であり、変化の予感は安全への脅威というよりもむしろ成長への興味深い誘因であるという信念。

3) 統制感

人生におけるさまざまな変化に直面したとき、自分自身がそれを統制しているのだと感じ、またそのように行動する傾向。個人が出来事の推移に対してある一定の範囲内で影響を及ぼす事ができると信じる。

ハーディネスの高い人は低い人に比べ、ストレスフルな出来事を経験してもそれを肯定的に認知し、自分でコントロールできるものであると考えることができる。

ハーディネスの高い人はストレス下における状況でも新造の弛緩期の血圧が低く、その中でもタイプB行動をとる人が最もDBPが低かった。

タイプB(何事にも差し迫った感覚を持たず、仕事の時にも特に興奮することがない)

タイプA行動 

まるで何かに駆り立てられているいかのような行動パターン。

背後にある心理的構え

1) 高い業績をあげることへの動機づけ

2) 時間に追われている感覚

3) 厳しく外部から要求されている感じ

4) 短気

5) 差し迫った危険を防ぐためにデザインされた脅迫的行動パターン

6) 強い競争心

◆効果的なストレスへの対処

1)仕事の見通しをはっきりさせる。

2)その見通しにしたがって自律的に仕事を行うことができればストレスの悪影響を抑制することができる。

ストレスに対しての接し方を変える。ストレスに対する認知スタイルを変える。

毎日の出来事を肯定的に認知し、自分でコントロール可能なものであると認知すること、そのような認知に具体的な行動(タイプB行動や健康維持のための行動)を伴わせることができるならばストレスの悪影響をより効果的に防ぐことが可能と考えられる。

支持的な社会的関係を持つことがストレスの緩和にとって大きな効果を持つ。

これはウェルネスサイクル(ストレスへの対処に成功したことをきっかけとして人間的な成長が果たされ、生活の質の向上へとつながる、という循環構造)のなかでも重要な要因とみなされている。