日本テレビ
坂上忍!第二の人生(7月28日)で紹介した。
第二の人生 疾走中 競輪選手 北野良栄
歯を食いしばってペダルを踏み込むと、風を切る音とともに時速70キロまで加速する-。金沢市出身の競輪選手、北野良栄(よしはる)(29)は、かつてプロ野球ソフトバンクで捕手としてプレーした。6年前、球団から戦力外通告を受け引退。「自分自身の可能性をもう一度信じ、完全燃焼したい」と千葉県を拠点に自転車で疾走する第二の人生を選んだ。
野球で夢見た“1軍”目指し
-プロ野球から競輪への転身
子どものころからあこがれだったプロ野球の世界に高校からドラフトで入れて、満足してしまった部分があった。中洲(福岡市)で遊び歩いたり、体調管理などアスリートの自覚が足りなかった。1軍には上がれずに終わった。今、真剣に競輪と向き合っている分、「もったいなかった」と思うこともある。でも、その経験が現在の充実につながっている。後悔はしていない。
2006年のシーズン終了後、他の選手より一足早く球団事務所に呼ばれて「来年の戦力としては考えていない」と言われた。最後の1年間は出場機会が減って覚悟はできていたので、悔しさよりも「これからどうしよう」と不安が募った。父親がやっていた料理人の道も考えたりした。
競輪は、ソフトバンクの先輩選手の個人トレーナーから誘われて。何も知らなかったけど、体力を生かして勝負したかったので話に飛び付いた。「もう一旗揚げたい」「とにかく行動」という負けず嫌いな性格とチャレンジ精神で、転がってきたチャンスをつかめたと思う。
-ゼロからのスタート
挫折とまではいわないけど、野球に比べれば競輪は我慢の連続だった。ブレーキがなく、足をペダルに固定する競技用自転車になかなか慣れずにスタートで転倒したこともあった。思うように走れず、乗るだけでこんなに難しいのかと驚かされた。
競輪学校を出て、09年のデビュー戦は9人中7着。緊張しすぎて、ひたすらペダルをこいでいた記憶しかない。あっという間に終わり、映像を見返すと「何やってるんだ」と言いたくなるような出来。でも「新しい人生が始まる」と実感できた瞬間でもあった。初勝利の喜びよりも印象に残っている。
技術や経験で体力面をカバーできる野球と違い、競輪は瞬発力と持久力勝負でごまかしが利かない。トレーニング不足やけがが成績に直接響くので、股関節を痛めて1週間練習を休んだだけでタイムがガクッと落ちた。ストレッチやマッサージを欠かさないようになり、体のケアの大切さを学んだ。
-「元プロ野球選手」という肩書
特に意識したことはないけれど、負けたくないというプライドにはつながっている。戦力外になったのは自分の責任で、野球を嫌いになったことはない。野球のニュースがあれば見るし、選手の仲間内で草野球をやることもある。三振しちゃった試合もあったね。
プロ野球時代よりも今、競技に打ち込めているのは、家族のおかげでもある。デビュー前年の選手登録当日に結婚し、「何があっても競輪選手として家族を養う」と決めた。3歳と1歳の息子がもう少し大きくなって「父ちゃんすげえな」と思える選手になりたい。それが一番のモチベーションになっている。
-転向4年目の抱負
自分は序盤から先頭に立つ「逃げ」が得意。これまでは3分ほどのレースの間、エンジン全開で飛ばすだけだった。ここ1年くらいでようやく、ペース配分や展開を考えながら走れるようになった。自分で言うのは変かもしれないが、体格的には恵まれている。まだまだ上のレベルを目指して成長できる。
競輪は上からS級、A級の大きく二つのクラス分けがあって、自分は今、A級の中の最上位グループ1班にいる。例えるなら、1軍がS級でA級は2軍。目標は、野球で果たせなかった“1軍昇格”。将来、石川へ戻ることがあれば、S級の一流選手として帰ってきたい。 (敬称略)
聞き手・志村拓
((C)SoftBankHAWKS)
人生のSpice
【プロ野球選手時代の出会い】 多くの先輩との交流は大きな財産。王(貞治)監督=当時=から入団会見で掛けられた「頑張れよ」という言葉は一生忘れられない。誰もが目標にする、野球の神様のような人だから。
松中(信彦)さん=外野手=は、戦力外になった時、個人マネジャーとして自分を誘ってくれて。競輪への転向が決まると「やるからには頑張れ」と励ましてくれた。今でもチームが千葉に来ると、親しかった選手とは食事をする。同じスポーツ選手として、彼らの活躍は刺激になる。
きたの・よしはる 1983年、金沢市生まれ。星稜高校(同市)で強打の捕手として活躍し、2001年のプロ野球ドラフト会議で福岡ダイエーホークス(現ソフトバンク)から5巡目で指名を受けて入団。06年に戦力外通告を受けて引退した。07年に日本競輪学校に95期生として入学し、卒業後の09年1月にデビュー。日本競輪選手会千葉支部所属。11月17日現在、通算87勝。183センチ、85キロ。
※次回は21日付Spot&Place。金沢の猫にまつわるスポットを訪ねます。
坂上忍!第二の人生(7月28日)で紹介した。
第二の人生 疾走中 競輪選手 北野良栄
歯を食いしばってペダルを踏み込むと、風を切る音とともに時速70キロまで加速する-。金沢市出身の競輪選手、北野良栄(よしはる)(29)は、かつてプロ野球ソフトバンクで捕手としてプレーした。6年前、球団から戦力外通告を受け引退。「自分自身の可能性をもう一度信じ、完全燃焼したい」と千葉県を拠点に自転車で疾走する第二の人生を選んだ。
野球で夢見た“1軍”目指し
-プロ野球から競輪への転身
子どものころからあこがれだったプロ野球の世界に高校からドラフトで入れて、満足してしまった部分があった。中洲(福岡市)で遊び歩いたり、体調管理などアスリートの自覚が足りなかった。1軍には上がれずに終わった。今、真剣に競輪と向き合っている分、「もったいなかった」と思うこともある。でも、その経験が現在の充実につながっている。後悔はしていない。
2006年のシーズン終了後、他の選手より一足早く球団事務所に呼ばれて「来年の戦力としては考えていない」と言われた。最後の1年間は出場機会が減って覚悟はできていたので、悔しさよりも「これからどうしよう」と不安が募った。父親がやっていた料理人の道も考えたりした。
競輪は、ソフトバンクの先輩選手の個人トレーナーから誘われて。何も知らなかったけど、体力を生かして勝負したかったので話に飛び付いた。「もう一旗揚げたい」「とにかく行動」という負けず嫌いな性格とチャレンジ精神で、転がってきたチャンスをつかめたと思う。
-ゼロからのスタート
挫折とまではいわないけど、野球に比べれば競輪は我慢の連続だった。ブレーキがなく、足をペダルに固定する競技用自転車になかなか慣れずにスタートで転倒したこともあった。思うように走れず、乗るだけでこんなに難しいのかと驚かされた。
競輪学校を出て、09年のデビュー戦は9人中7着。緊張しすぎて、ひたすらペダルをこいでいた記憶しかない。あっという間に終わり、映像を見返すと「何やってるんだ」と言いたくなるような出来。でも「新しい人生が始まる」と実感できた瞬間でもあった。初勝利の喜びよりも印象に残っている。
技術や経験で体力面をカバーできる野球と違い、競輪は瞬発力と持久力勝負でごまかしが利かない。トレーニング不足やけがが成績に直接響くので、股関節を痛めて1週間練習を休んだだけでタイムがガクッと落ちた。ストレッチやマッサージを欠かさないようになり、体のケアの大切さを学んだ。
-「元プロ野球選手」という肩書
特に意識したことはないけれど、負けたくないというプライドにはつながっている。戦力外になったのは自分の責任で、野球を嫌いになったことはない。野球のニュースがあれば見るし、選手の仲間内で草野球をやることもある。三振しちゃった試合もあったね。
プロ野球時代よりも今、競技に打ち込めているのは、家族のおかげでもある。デビュー前年の選手登録当日に結婚し、「何があっても競輪選手として家族を養う」と決めた。3歳と1歳の息子がもう少し大きくなって「父ちゃんすげえな」と思える選手になりたい。それが一番のモチベーションになっている。
-転向4年目の抱負
自分は序盤から先頭に立つ「逃げ」が得意。これまでは3分ほどのレースの間、エンジン全開で飛ばすだけだった。ここ1年くらいでようやく、ペース配分や展開を考えながら走れるようになった。自分で言うのは変かもしれないが、体格的には恵まれている。まだまだ上のレベルを目指して成長できる。
競輪は上からS級、A級の大きく二つのクラス分けがあって、自分は今、A級の中の最上位グループ1班にいる。例えるなら、1軍がS級でA級は2軍。目標は、野球で果たせなかった“1軍昇格”。将来、石川へ戻ることがあれば、S級の一流選手として帰ってきたい。 (敬称略)
聞き手・志村拓
((C)SoftBankHAWKS)
人生のSpice
【プロ野球選手時代の出会い】 多くの先輩との交流は大きな財産。王(貞治)監督=当時=から入団会見で掛けられた「頑張れよ」という言葉は一生忘れられない。誰もが目標にする、野球の神様のような人だから。
松中(信彦)さん=外野手=は、戦力外になった時、個人マネジャーとして自分を誘ってくれて。競輪への転向が決まると「やるからには頑張れ」と励ましてくれた。今でもチームが千葉に来ると、親しかった選手とは食事をする。同じスポーツ選手として、彼らの活躍は刺激になる。
きたの・よしはる 1983年、金沢市生まれ。星稜高校(同市)で強打の捕手として活躍し、2001年のプロ野球ドラフト会議で福岡ダイエーホークス(現ソフトバンク)から5巡目で指名を受けて入団。06年に戦力外通告を受けて引退した。07年に日本競輪学校に95期生として入学し、卒業後の09年1月にデビュー。日本競輪選手会千葉支部所属。11月17日現在、通算87勝。183センチ、85キロ。
※次回は21日付Spot&Place。金沢の猫にまつわるスポットを訪ねます。