フランスが日本色に染まる

2018年07月04日 12時57分26秒 | 社会・文化・政治・経済
1920年に駐日フランス大使として日本に滞在したフランスの劇作家・詩人のポール・クローデルは、日本文化に<魂のうるおい>を感じると表現した。
日本文化の根底には、縄文時代時代から現代にいたるまで、自然を敬い、異なる価値観の調和を尊ぶ「美意識」が存在している。
日本人は、常に外から異文化を取り入れ、自らの文化と響き合せ、融合させることで、新しい文化を創造してきた。
多様な価値観が調和し、共存するところにこそ、善悪を超えた「美」があるとするに日本文化ならではの「美意識」が、排他的で混迷度を深めている現代の国際社会が抱える問題解決の糸口になるのではないか。

ジャポニスム 2018:響きあう魂

今世紀最大規模の日本文化・芸術の祭典

【「をちこちMagazine」より転載 】

国際交流基金 ジャポニスム事務局長
増田是人

 「をちこち」の読者の皆様はフランスを代表する作曲家、ドビュッシーの交響詩『海』の初版楽譜の表紙に葛飾北斎の浮世絵に似た絵柄が使われていることをご存知でしょうか。最近公開されたエドゥアルド・デルック監督の映画『ゴーギャン タヒチ、楽園への旅』の中に、ヴァンサン・カッセルが演じるゴーギャンがこの浮世絵のデッサンをみつめているシーンがありますが、当時、パリでは日本の浮世絵が多くの芸術家を魅了し、その作品に多大な影響を与えていました。
 「ジャポニスム」は、フランスで生まれ、そして北斎の浮世絵に描かれた大波のように、大きなうねりをもって世界中の文化・芸術家に影響を与えた芸術運動でした。
 今日においても、フランスにおける日本美術の代名詞は「浮世絵」で、パリの美術館では頻繁に浮世絵展が開催され、常に賑わっています。
さて、こうしたフランス人の期待を見事に裏切るかのように、今年開催される「ジャポニスム2018:響きあう魂」の展示プログラムの中に「浮世絵展」はありません。何故でしょうか?それは、「ジャポニスム2018」は、あの「ジャポニスム」ではないからです。
 「ジャポニスム2018」は2018年7月から2019年2月までパリを中心にフランスで実施されます。伝統から現代まで、展示、公演、映像、生活文化などの多種多様な日本文化・芸術を紹介する一大プロジェクトです。「ジャポニスム2018」を通じて、フランス人が19世紀に味わったような新鮮な驚きと発見をしていただき、これが新たなジャポニスム旋風を巻き起こすことを私たちは期待しています。

ジャポニスム2018の開催経緯

 「ジャポニスム2018」は、日仏友好160周年にあたる2018年に開催することが両国首脳の間で合意されました。
企画にあたっては、国際交流基金の中に事務局が設置され、フランスのさまざまな文化機関と協働し、また両国政府及び民間企業の支援も得ながら開催準備が進められています。

 ところで、現代の世に送り出す「ジャポニスム2018」は、どのようなコンセプトのもとに生まれたのでしょうか。その一つの答えは、自然を敬い、異なる価値観の調和を尊ぶ日本人の「美意識」です。

 常に外部から異文化を取り入れ、自らの文化と響き合わせ融合させてきた日本人は、時に相反する価値観がぶつかりあいながらも調和し共存するところに「美」があると評価してきました。
 日本文化の原点とも言うべき縄文や、伊藤若冲、琳派から、最新のメディア・アートやアニメ・マンガ・ゲームまで、舞台公演では、歌舞伎、能・狂言、雅楽から、現代演劇、初音ミクまで、さらには食や祭り、禅、武道、茶道、華道など日常生活に根ざした文化。このような日本文化の多様性、根底に流れる感受性や美意識は、現代の排他的で混迷度を深めている国際社会が抱える問題解決の糸口になるかもしれません。

 2020年の東京オリンピック・パラリンピックを見据えて、日本の地方の魅力もアピールし、訪日観光の促進や和食・日本酒、日本茶等、日本産品の海外展開に貢献したいと考えています。また、デザインやファッション、建築、テクノロジーなどの分野における創造力、むだを省いた「引き算」の美学なども世界を魅了する日本の文化といえるでしょう。

フランスが日本色に染まる

 パリ市内を中心に20を越える会場で繰り広げられるすべての事業をここで紹介することはできませんが、いくつか代表的な企画についてお知らせしましょう。
 まず開幕に先立って5月には、パリ市内北西部に位置するラ・ヴィレットにおいて、チームラボの《teamLab : Au-delà des limites(境界のない世界)》展が始まります。ラ・ヴィレット(1986年オープン)は、ジャック・ラング文化大臣(当時)が設立構想に携わった科学と文化をテーマにした施設です。まさにその当初のコンセプトに合致する日本の最先端テクノロジーとアートを駆使した展示が、大規模に開催されます。

袴田事件の証拠捏造問題

2018年07月04日 11時23分09秒 | 社会・文化・政治・経済
みそタンクから見つかった重要証拠「5点の衣類」は捏造の疑いが指摘され、司法関係者もあきれるばかりだ。
ねつ造疑惑まで指摘された当時の捜査は、何が問題だったのか。
なぜ決め手となる証拠は長年、表に出てこなかったのか。

捜査や裁判に関わった警察官、検察官、裁判官など当事者を徹底取材 NHK番組
アメリカでは証拠開示の徹底とその後のDNA鑑定の飛躍的な進歩によって、この40年余で144人の死刑囚が無罪となった。
日本は検察が証拠を全部出さない場合もある。
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小川秀世袴田事件弁護団事務局長

再審無罪を確信、証拠は何一つありません
『はけないズボンで死刑判決 検証・袴田事件』

はっきり言って、袴田さんとこがね味噌専務宅での強盗殺人・放火事件とを結びつける証拠は何一つありません。
袴田さんの自白を見ると、コロコロ変遷して実にいい加減な供述を強いられています。
これが本当に犯人の自白だとは、誰も思わないでしょう。
自白の虚偽性に加えて、5点の衣類という非常に重要な証拠の柱が全てねつ造されたものだと裁判所によって認められた以上、絶対に有罪になんてできません。
再審開始決定までには時間を要してしましましたし、即時抗告審でも時間を無駄にしてきました。
でも、即時抗告審では勝訴が確実だと予測しています。
また例えそれがどっちへ転んでも、最終的には再審無罪になると私は確信しています。
いや、そうしなければならないと、怒れる弁護団は燃えています。

弁護士を開業してから、特に刑事事件に携わると、現実の刑事手続きは本当に腐っていると思いました。
様々な理不尽なことを次々と目の当たりにし、それを正そうとしました。微力を尽くして闘いました。
そうすると、警察の態度はガラっと変わり、酷いデマを流して私を攻撃してくるではありませんか。
たとえば私の依頼者は、「あの弁護士がつくと,求刑が重くなる」などと滅茶苦茶なことを言われています(笑)。
今の刑事事件の手続きがいかに人間の自由と尊厳を傷つけていかということを、誰でも感じると思います。
それを何とかしないといけないという気持ちで仕事をすることが、人のため、即ち自分のためになると思っています。

想像を絶する作戦 英米 ソ連との戦争計画

2018年07月04日 10時38分23秒 | 社会・文化・政治・経済
1945年5月10日のヨーロッパにおける軍隊配置状況。
赤地に黄数字がソ連軍、緑地に白数字がアメリカ軍、茶地にベージュ数字がイギリス軍想像を絶する作戦(Operation Unthinkable)は1945年5月22日付けでイギリス軍が作成したソビエト連邦との戦争計画。



アンシンカブル作戦とも呼ばれる。
実行に移されてはいない。
イギリス政府にとって初めての本格的なソ連との戦争計画であり、イギリス軍とアメリカ軍の連合軍がヨーロッパ東北部を主戦場としてソ連軍と対決するという内容だった。
チャーチルは統合計画本部に命じ、その開戦期日は7月1日とされた。
これはイギリス政府にとって初めての本格的なソ連との戦争計画となり、5月22日に報告書がまとめられた
作戦報告を読んだイギリス陸軍参謀総長のアラン・ブルックは作戦成功は全く不可能だと判断し、5月31日の参謀長会議でも作戦実行は「考えられない(Unthinkable)」だと評価されている。
原子爆弾によるソ連工業施設の一掃を含む全面戦争をチャーチルは検討するようになったが、同月の総選挙で労働党が勝利し、さらに8月9日のソ連対日参戦によってチャーチルによる対ソ開戦はなくなった。
英米がソ連を軍事的に屈服させる事ができず、一方でイギリス本土の防衛は可能だとした点で本作戦は冷戦の構図のさきがけだったと言える。

防災アドバイザーの警告も生かされなかった

2018年07月04日 10時16分34秒 | 沼田利根の言いたい放題
犠牲者が出て、初めて対策の手が打たれる。
これが歴史の繰り返しである。
それは、東日本大震災の津波被害や大阪府北部を中心に震度6弱を観測した地震で思い知らされたことだ。。
40年前の宮城県沖地震以降、多くの地震でブロック塀の危険性は指摘されていたが対策は取られず、最悪の事態を招いてしまった。
今回の地震で女児の命を奪ったブロック塀を管理していた小学校の校長は「本当に悲しく、時間を巻き戻したい」と語った。
「この塀は危ない」という3年前の防災アドバイザーの警告も生かされなかった。
時間は戻せないのだ。
災害は何処にも、何時でも起こり得る。
一番の問題は、「想定外」と過去の災害の教訓が生かされないことだ。
帰宅困難への対応も然り、繰り返される。
都市で大地震が起きたら、大津波が来たら「自分は」「人は」と考えると想像を絶するばかり。

中田 喜直さんとの偶然の出会い

2018年07月04日 06時47分00秒 | 沼田利根の言いたい放題
テレビの音楽番組を観ていて、「あれ、この人は昨日、一緒にお酒を飲んだ人では?!」と我が目を見開くようにした。
出会ったのは、音楽喫茶で隣り合せをして、言葉を交わす。
初対面なにの、「どうです。場所を変えてウイスキーでも飲みませんか?」と新宿歌舞伎町のバーに誘われたのだ。
何を話したか記憶にないが、歌唱法ではなかったか?
また、田谷力三のことなどを話題とした。
「あんたは、若にのに田谷力三を知っているのですね」と相手は目を丸くした。
まさか、お酒の相手が中田 喜直さんであったとは、「赤面」の思いであった。
当方は23歳であったので、当時中田さんは43歳だったのだ。
沼田利根
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中田 喜直(なかだ よしなお、1923年(大正12年)8月1日 - 2000年(平成12年)5月3日)は、日本の作曲家。
75歳没
東京市(現在の東京都渋谷区)出身。
『ちいさい秋みつけた』や『めだかの学校』、『夏の思い出』など、今日も小中学校の音楽の時間で歌い継がれている数々の童謡、楽曲を作曲した日本における20世紀を代表する作曲家の一人である。

父は「早春賦」で知られる作曲家の中田章、兄は作曲家・ファゴット奏者の中田一次である。
妻の中田幸子は、音楽出版ハピーエコーの代表であり、喜直の作品を多数出版している。
また、はいだしょうこの声楽の師匠でもある。
ジャズピアニスト志望であったが、手が小さいことから断念し、終戦後の1946年には作曲家グループ「新声会」に入会。
歌曲の伴奏をつとめるかたわら、作曲家としての活動を本格的にスタートさせる。
NHK「ラジオ歌謡」や「歌のおばさん」、「えり子とともに」などラジオ番組にも積極的にかかわり、これらの番組において「夏の思い出」や「かわいいかくれんぼ」「雪の降るまちを」などを生み出している。

1953年にはフェリス女学院短期大学音楽科講師に就任し、その後40年にわたって教職を勤め上げた。
在職中、教え子であった妻幸子と出会い結婚。
1955年に大中恩、磯部俶、宇賀神光利、中田一次と「ろばの会」を結成。
この会は中田が亡くなる2000年まで活動を続け、数多くの童謡のレコード・楽譜を世に送った。また、1956年には「蜂の会」に参加し、ここで歌曲「サルビア」「おかあさん」などを発表。
1969年に設立された日本童謡協会にもかかわり、のちに会長に就任する。
2000年5月3日に亡くなるまでに書かれた作品は3000近くといわれている。
その全貌はまだ明らかになっていない。
校歌や社歌・自治体のための歌も少なくない。
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田谷 力三(たや りきぞう、1899年1月13日 - 1988年3月30日)は、大正から昭和期のオペラ歌手。
正統派のテノール歌手だけでなく、浅草オペラの花形として、多くの人に愛された。89歳没
オペラ歌手として[編集]原信子、清水金太郎らと浅草オペラで活動し、当時は物珍しかったオペラのパイオニア的存在としてその名を轟かせた。
田谷の歌声に感動して、藤原義江(当時は戸山英次郎)も新国劇を辞して歌手を志した。
他にも東八郎や大宮敏充(デン助)にも芸能界へ入る志を与えたといわれている。
大正年間、浅草オペラにおいて人気の頂点に君臨し続け、浅草オペラ壊滅後も"オペラ歌手"(サイン・名刺に常に記していた)として華々しい活躍を続け、本格的なオペラ、オペレッタの舞台に終戦後まで立っている。
浅草時代から得意としていた役はビゼー作曲『カルメン』のドン・ホセ、プッチーニ作曲『ラ・ボエーム』のロドルフォ(日本初演)など、叙情的と劇的の両面を併せ持った重要な役が多い。
代表曲に『恋はやさし野辺の花よ』(スッペ:⇒オペラの中では女声の歌だが、新しい日本語歌詞を付けて男声の持ち歌として独立した形)『海賊ディアボロの唄』(オーベール)『ベアトリ姐ちゃん』(スッペ)『オゝソレミオ』『巴里の屋根の下』『海のない港の唄』などがあり、後年『知床旅情』などの最新曲をレパートリーに加えるなど、幅広いジャンルの唄を持ち歌にしている。

7月1日は「童謡の日」

2018年07月04日 05時52分00秒 | 社会・文化・政治・経済
”今を生きる子ども達に、今生きる歌を″

童謡の日童謡の日宣言
一般社団法人日本童謡協会

私たちは、日本童謡協会の名のもとに、 真に子ども達のものとなる童謡の創造と、 その普及のために、心を一つにしてきました。
"童謡″は、かつて大正7年7月1日、 「芸術として真価ある純麗な童話と童謡を創造する最初の運動」として 発刊された雑誌『赤い鳥』

私たちは、日本童謡協会の名のもとに、

真に子ども達のものとなる童謡の創造と、

その普及のために、心を一つにしてきました。

“童謡″は、かつて大正7年7月1日、

「芸術として真価ある純麗な童話と童謡を創造する最初の運動」として

発刊された雑誌『赤い鳥』が喚起して以来続く、

世界に殆どその例を見ない優れた子どもたちの文化所産であります。

激しい社会環境のもとに、ともすれば、

真に子ども達のものとは何かが見失われがちな今日、

童謡にかける期待は時代の要求となり、新しい飛躍と隆盛が望まれています。

私たちは、この時、”今を生きる子ども達に、今生きる歌を″

の主張を全ての人々と分けあい、社会的な運動までに高揚し、

さらに大きなうねりとなって広がることを願って、

この記念すべき7月1日を、『童謡の日』制定することをここに宣言します。

昭和59年6月26日

日本童謡協会 会長 中田喜直

子どもは宝

2018年07月04日 05時36分35秒 | 社会・文化・政治・経済
家庭の宝
社会の宝
世界の宝
人類の宝
未来の宝

子どもの幸福度調査 ユニセフ

日本の子供の幸福度 総合6位 貧困率は深刻化
2013年12月25日 ... 国連児童基金(ユニセフ)と国立社会保障・
における子どもの幸福度―日本との比較 特別編集版』を発表した。日本の子供の幸福
度は、総合順位で先進31カ国中6位。
オランダが総合1位となった。
日本の子は孤独感1位!?
子どもの幸福度NO.1のオランダから学ぶ ...
2017年9月20日 ... オランダの子どもの幸福度は世界一. ユニセフが行っている「子どもの幸福度ランキング
」、聞いたことがある方も多いと思います。
その調査によれば、オランダの子どもたちの
幸福度は、先進国の中でも1位。 そして、子どもの孤独感ランキング ...