死刑オウム問題は今日に課題を

2018年07月16日 09時40分17秒 | 沼田利根の言いたい放題
色々な捉え方、感じ方があるものだ、と改めて思うのであるが、作家の中島京子さんの毎日新聞の投稿「時代の風」には違和感があった。
「この国はいつから死刑を実況中継する国になったのか。そのころ、西日本では人々が濁流に呑まれ、家を失い、家が流されていた。どう考えてもおかしいだろう。<死刑のショー化>じたい絶望的にグロテスクだが、それより、テレビには伝えるべき情報があったんじゃないか」
----------------------------
社会は同時進行であるので、テレビも新聞も豪雨をあますことなく伝えていたのではないだろうか。
比重の問題なら、豪雨もオウム事件も社会的な影響では遜色がないはず。
改めて、風化した問題を社会的に教訓化する必要がある。
ナチスの問題すら、なかったことにする人たちやヒトラーを評価する人も皆無ではない。
オウムの後継団体も存続している。
これらを含めると、死刑はオウム問題は、今日に課題を投げかけているのである。