「競輪場は高齢者の居場所だな」
輪子は荻野市太郎のつぶやきに、「そうね」と応じた。
余命わずかの患者たちのいわゆる「終末医療」の居場所である6階病棟の担当となって2年。
輪子は入院患者たちの死を看取ってきた。
死は身近で日常的なのである。
「死は無である」それが輪子の看護師としての実感だった。
臨終に立ち会う家族たちの嘆き、悲しみに同苦できないほど、輪子は多くの死に慣れてしまっていた。
輪子が競輪場に向かうのは、死とは遠い存在である元気な高齢者たちの場に同化するためでもあった。
彼らはギャンブル狂とは遠い存在であり、「競輪」そのものを楽しんでいる姿であった。
ある者は、ギャンブル依存症の体験者であるが、現在は敗北者・破滅者ではなかった。
ある意味で、荒波を泳ぎ切ったのである。
競輪場に姿を見せる限り、彼らは健在であり、生き切っている人たちなのである。
「家にいると暑くてな。まいるよ。競輪場は冷房が利いているので、ブラブラするのにいいんだ」
藤代の近郊に住む、元公務員(自称かも)の紺野房雄が言う。
「家に冷房ないんだ。ここは快適だな」と杉本哲也は禿げ頭を撫でるようにして笑顔となる。
輪子は荻野市太郎のつぶやきに、「そうね」と応じた。
余命わずかの患者たちのいわゆる「終末医療」の居場所である6階病棟の担当となって2年。
輪子は入院患者たちの死を看取ってきた。
死は身近で日常的なのである。
「死は無である」それが輪子の看護師としての実感だった。
臨終に立ち会う家族たちの嘆き、悲しみに同苦できないほど、輪子は多くの死に慣れてしまっていた。
輪子が競輪場に向かうのは、死とは遠い存在である元気な高齢者たちの場に同化するためでもあった。
彼らはギャンブル狂とは遠い存在であり、「競輪」そのものを楽しんでいる姿であった。
ある者は、ギャンブル依存症の体験者であるが、現在は敗北者・破滅者ではなかった。
ある意味で、荒波を泳ぎ切ったのである。
競輪場に姿を見せる限り、彼らは健在であり、生き切っている人たちなのである。
「家にいると暑くてな。まいるよ。競輪場は冷房が利いているので、ブラブラするのにいいんだ」
藤代の近郊に住む、元公務員(自称かも)の紺野房雄が言う。
「家に冷房ないんだ。ここは快適だな」と杉本哲也は禿げ頭を撫でるようにして笑顔となる。